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2024/1 Vol.127

表紙:本誌連載企画「絶滅危惧科目- 基盤技術維持のための再考-」のコンセプトに合わせてイラストレーター坂内拓氏とデザイン。本号は「蒸気エンジン」がモチーフ。

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絶滅危惧科目-基盤技術維持のための再考ー

第1回 講義「蒸気工学」の今昔

小澤 守(関西大学)

講義科目の推移

「蒸気工学」はどのように消えていったか

我が国に於ける工学分野の高等教育は工学寮(1873)、のちに工部大学校(1877)から始まった(1)。その後、東京大学に吸収され、帝国大学工科大学(1886)になるに及んで完全に文部省の管轄下に入った。この頃、文部省編として工部大学校都検のH. Dyerの師であったW. Rankineの著名な著書(2)が翻訳された。その内容は蒸気原動機を中心とするも水力や風力にも言及した工部大学校の機械工学分野の専門科目に位置付けられていた講義 “Prime mover”(原動機)そのものであった。この翻訳版を帝国大学で教科書として採用したかどうか不明であるが、当時の重要な参考書であったのは間違いない。図1に示す“Prime mover”の講義内容には工業熱力学及び蒸気工学を含むが、基礎科目である“Natural philosophy”にもおそらく物理学の一部として熱力学も含まれていた。

1900年頃になると図1に示すように、講義科目が蒸汽機關、熱學・熱氣瓦斯及石油機關、機關車、舶用機關に分化。1921年頃には内部燃焼機關、つまり内燃機関が独立し、蒸気動力として往復動機関から蒸気タービンへ重心が移動したことを受けて、科目名にタービンが出現している。これが1940年頃になると熱力学が独立し、蒸気関係が蒸汽罐と蒸気原動機に分化した。この頃には発電用も舶用も水管ボイラが支配的になり、原動機もほとんどが蒸気タービンになり、その性能向上もかなり著しかったことを受けてのことであろう。その一方で、菅原菅雄の『蒸汽罐及蒸気原動機』(5)によれば内燃機関の単位数の増加によって蒸気関係講義の大幅な減少が述べられている。戦後の新制の大学になるとボイラとタービンが再び統合されている。1975年頃にはエネルギー変換工学といった統合科目的なものも出現するが、原動機としてのガスタービンが注目されようになり、蒸気タービンと統合した科目も現れている。一方、長らく続いていた鉄道車両(元は蒸気機関車)や舶用機関(船舶工学)などの科目が消滅している。

1991年以降、大学教育課程の大綱化によって大学の卒業所要単位数が大幅に減少し、それに伴って蒸気工学(ボイラ及び蒸気原動機関係)や内燃機関、燃焼工学などエネルギー変換に関わる科目群はエネルギー変換工学(あるいは熱工学)に統合された。

図1 蒸気工学関連科目の系譜(1)(3)(4)

講義科目消滅の影響

講義科目の消滅は何をもたらすか

1968年入学の著者の場合、専門科目が113単位以上、それに先立つ一般教養科目が80単位以上、合計193単位以上が卒業要件であったがこの数値は阪大でも京大でも同様であった。現在では工学部では140単位内外(大学によっては130単位内外)にまで減少している。従来の蒸気工学、内燃機関、さらには燃焼工学などを包含したエネルギー変換あるいは熱工学といった科目が4単位あるとしても、その内容は担当者にもよるが、現物にまで言及した内容にはなかなかなりにくいのではないだろうか。

熱力学の講義の中ではランキンサイクルの議論がされているが現物についての内容は含まれない。一方、エネルギー変換には、ガソリンエンジン、ディーゼルエンジン、エンジン内燃焼、蒸気ボイラ、蒸気タービン、ガスタービンなどの内容がひしめいており、例えば蒸気関係だけを丁寧に説明することはその専門家でもない限り一般にはかなり難しい。最近まで著者は4年次学生相手の非常勤講師を務めていたが、ボイラ、タービン、BWR、PWRなどについて言及しても、ほとんどの学生が初めて聞く内容であったという。

たとえば図2に示す、貫流ボイラの図面を見ても、その詳細を理解するのは当然ながら困難であり、そのスケール、つまりはボイラの高さが数十m程度もあり、燃焼室だけでも図3に示すように巨大な工作物であることもなかなか実感しにくいのではないだろうか。また昨今のエネルギー問題に対する理解や電力の安定供給のために火力発電所では変圧運転が行われている理由さえも自ら興味を持って調べない限り、理解できそうにない。基礎が分かっておれば十分対応可能という議論も理解できないわけではないが、現実のプラントは熱力学、伝熱、流体力学、燃焼工学、化学、材料学、材料力学、制御理論などの総合技術であり、長年に亘る研究開発と実績の上に構築された技術を背景に、新たな展開を図る役割が与えられていることを理解し、それらに関わってきた技術者に対して敬意が払われるだろうか。従来技術に拘泥してはいけないが、実績のある技術にはそれ相応の重要な要素が含まれているからである。いまさら蒸気工学の科目を復活させることはできないのは明らかであるが、何らかの機会を使って、あるいは工夫によって、現物に触れてみる機会を作り、せめてスケール感だけでも植え付けておく工夫はないものだろうか。このままではエネルギー問題をはじめ、さまざまな局面での議論が空疎になり、今後の我が国の基盤技術維持に対する危惧を覚えるのである。

図2 超臨界圧貫流ボイラ(6)

図3 建設中のボイラ燃焼室(6)


参考文献

(1)Henry Dyer,Calendar of the Imperial College of Engineering,Tokei (1873), in N. Miyoshi ed.,The Collected Writings of Henry Dyer,Vol.1,Global Oriental, Folkstone(2006), pp.17-57.

(2)William Rankine 原著,永井久一郎訳,蘭均氏汽機學(上下),A Manual of the Steam Engine and other Prime Movers,8th ed.,Charles Griffin and Co.,London(1876), 文部省編輯局(1885).

(3)京都大学機械系工学教室第二世紀事業会編,京都大学機械系工学教室第二世紀記念誌(2001).

(4)大阪帝国大学講義要目(1935),大阪帝国大学工学部学生便覧(1940).

(5)菅原菅雄,汽罐及蒸気原動機,丸善(1941).

(6)M .Ozawa,H.Asano eds.,Advances in Power Boilers,Elsevier,Amsterdam(2021), pp.129-130.


<名誉員>

小澤 守

◎関西大学 名誉教授、関西大学社会安全研究センター 主幹研究員

◎専門:熱工学、混相流、機械安全

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