特集 学会横断テーマ「少子高齢化社会を支える革新技術の提案」
福祉機器開発研究における機械工学の役割
はじめに
わかっていたようでわかっていなかった「機械工学とは?」
2022年9月に富山大学を会場として開催された日本機械学会年次大会において、「機械工学分野における少子高齢化社会の課題解決にむけた活動推進」という特別企画公開ワークショップが企画された。そこで、福祉機器開発における機械工学の役割について話題提供するようにお声かけいただいたのが、本稿執筆のきっかけとなっている。講演の依頼を受けた後、200文字の講演要旨を書かなければいけなかったのであるが、それがなかなか書き切れなかった。結局1週間考え抜き、わかったことは、機械工学というものが何なのかが把握できていなかったということであった。大学で学んだことはまさに機械工学であり、仕事を始めて以来30年以上、機械学会の会員である。その自分が、機械工学が福祉機器開発にどう役にたっているのかがわからなかったのだ。
確かに福祉機器開発という境界領域で長年仕事をしているので、機械工学を常に突き詰めているわけではないし、機械工学自体も最近は様変わりをしてきて、ナノスケールの話が出てきたり、細胞の話しが出てきたりしている。しかしながら、仕事をしながら機械工学が染みついていると常々考えていたので、200文字が書けなかったのはショックであった。
本稿は、このような反省もふまえて、機械工学について少し解説を加えた上で、福祉機器開発研究という領域に機械工学がどのように役に立つのかを概説することにした。
機械工学とは
アナリシスとシンセシスが織りなす、人と社会を支える学問
機械工学の定義について改めて調べてみようと思い、手元にあった「新版 機械工学便覧」(1989年10月1日発行)を見てみたのだが、どうも見当たらない。やはり、ウィキペディアに頼ることにした。以下がその定義である(1)。
「機械工学とは、機械あるいは機械要素の設計、製作などから、機械の使用方法、運用などまでの全ての事項を対象とする工学の一分野である」
造ることのみではなく、機械を中心とした幅広い学問である。ちなみに、英語版のウィキペディアでの定義は日本語版とは異なっており、力や運動を含んだ機械というキーワードが含まれている(2)。力学を中心とした学問である点が記述されているものと考えられる。
2010年に、日本学術会議機械工学委員会が発行した「日本の展望―学術からの提言 2010 報告 機械工学分野の展望」では(3)、学術としての機械工学は4力学を中心とした分析(アナリシス)と、設計と生産を中心にした統合(シンセシス)を学術コアとするディシプリンに、多彩な応用技術(人工物の科学)に関わる工学知を組み上げた立体構造を有する、としている。前述の定義をより具体的に表すとともに、アナリシスを縦糸、シンセシスを横糸として「織りなす」、対象を選ばない、広範な技術の基盤を創造する学問とされている。さらに、本報告書では、今後の機械工学に期待される貢献と役割として、「人と社会を支える機械工学」を掲げ、環境制約、資源制約の下で、安心安全で豊かさの感じられる持続的な社会を構築するための具体的な方策を呈示することを挙げている。1999年のブタペスト宣言で21世紀の科学のあり方として、「社会における科学と社会のための科学」が含められたことを受けて、科学技術全体が社会に向けられてきたという背景はあるものの、「人や社会を支える」機械というのは、まさに福祉機器がその成り立ちの時代から担ってきた役割と同じであり、ここで一致を見ていたことに驚きを隠せない。
ちなみに、本項の冒頭に記した「新版 機械工学便覧」の「はじめに」には、機械学会内でこの新版を編集するにあたり、機械工学に関する議論が進められたと記されている。便覧の中には機械工学の定義は見当たらなかったが、濃い議論がなされたとのこと、どなたか報告書などをお持ちの方がいらっしゃるようであれば、是非ご連絡をいただきたい。
福祉機器開発研究とは
障害を理解し、利用者中心での開発が重要
福祉機器開発では、技術的な研究のみではなく、障害のある個々の利用者にあわせた機器の選定・導入や、給付制度の構築・運用、利用者への心理的な効果など、社会側での受入を促進するための研究も重要となる。塚田らは、国立障害者リハビリテーションセンター研究所福祉機器開発部にて実施した福祉機器開発10事例を取り上げ、開発プロセス、それぞれの段階で考慮した要件、越えられなかったボトルネック、ボトルネックを越えるための解決策等について、1年半かけて議論し、福祉機器の開発に必要な研究の、福祉機器開発研究の枠組みを構築した(4)。そこで提案された枠組みを図1に示す。ここでは、機器開発という工学をベースとしたプロセスをしっかりと進めることと、社会への働きかけという実装に必要な要件を整えていくことの2本柱の重要性が示されている。福祉機器の開発では、開発者と利用者が異なるケースが多くなる。そのためその開発プロセスにおいて最も重要なのはコンセプトを作成する段階であり、当事者参加や医学的知見の取り込み等多くの事項が必要となる。社会との関係では、利用効果の明確化や適合の場の整備、標準化、当事者や専門職の啓発などを進める必要性が示されている。
図1 福祉機器開発研究の枠組み(4)
図1に示される枠組みをふまえると、福祉機器の研究においては、開発から利活用に至る一連の流れを、サイクルとして捉えることが重要となる。それを図示したものが図2であり、そこには多くのステークホルダーが存在することが見てとれる。そのため、このサイクルを円滑に回すためには多くの困難が存在する。特にそれぞれのステークホルダーが、自身の役割を果たすために最善を尽くそうとするものの、他のステークホルダーとの情報共有ができていないため、効率的にこのサイクルが回らないという点が大きな課題となっている。そのため、福祉機器開発研究に関わるステークホルダーがこのサイクルを共有し、開発する側と利用者側がつながったり、行政が全体を見渡しながら包括的な支援を行うなど、福祉機器の開発と利活用の相互作用を活性化することが、全体を俯瞰しながら改善していくための視座を提供するものとして位置付けることとした。
図2 福祉機器開発利活用サイクル
さらに、図2のサイクルをふまえ、利用者と利用場面を設定することで効率的な福祉機器の開発のためのコンセプト立案手法(FATI: Field-based Assistive Technology Innovation)を作成し(5)、図3のようなプロセスを提案した。ここでは、特に利用者および他のステークホルダーとの協働を基本として、開発する福祉機器に関するための十分な情報を利用が想定される現場にて収集し、それを基にコンセプト案を作成する。さらに、モックアップやプロトタイプを作成して実際の利用者による利用場面での臨床評価を行い、その結果に基づいた修正を行うプロセスを必ず実施する。最終的なコンセプトでは、ヒューマンインターフェースの要件と、開発機器を利用するために必要なサービス手法もコンセプトとしてまとめることを提案している。
図3 福祉機器のコンセプト立案プロセス(5)
さらに、このプロセスを進める上での7項目からなる指針を作成した。以下に示す。
1) 開発目標に基づき、対象者の障害の種類および程度を設定する。
2) 設定した対象者の生活状況に関する情報を収集し、開発機器の利用場面および機器の利用に関係するステークホルダーを設定する。
3) 設定した障害当事者の開発プロセスへの参加を実践する。障害当事者の全てのプロセスへの参加が難しい場合には、主要なステークホルダーの参加を実践する。
4) 設定した対象者の障害の種類および程度に応じて、ヒューマン・インタフェースに用いる技術を決定する。その際、必要に応じて、利用者の心身機能と技術のマッチングのための計測を行う。計測は、想定する対象者の生活場面にて行うことが望ましい。また、以下の非機能要件を考慮する。
4)-1 対象者の個別性や心身機能の変化に対応するために、ヒューマン・インタフェースのモジュール化やパラメータ調整などの機能を実現する技術を付加する。
4)-2 設定した対象者の障害の種類および程度をふまえて、開発機器の利用に伴う二次障害の危険性を把握し、その対策を講じる。
5) 利用場面を想定した上で、コンセプトを構築する。その際、以下の非機能要件を考慮する。
5)-1 開発機器に関連する給付制度等の情報を収集し、その範囲に含まれる機器とするか否かを決定する。
5)-2 市場規模に関する情報を収集し、選定した技術およびコンセプトについて、小さい市場規模にも対応できるよう、適宜見直しを行う。
6) プロトタイプを作製し、臨床評価によりコンセプトの修正を行う。
7) 臨床評価で得られた知見を基に、利用者への個別適合サービス手法や導入訓練手法、運用に関わる手法およびその体制の構築もコンセプト立案段階で考慮する。また、必要に応じて、開発機器を利用したサービス提供モデルについても考慮する。
以上のように、枠組みやサイクルとしてのプロセス、福祉機器開発のためのツールの整備は、福祉機器開発研究の重要な成果であるが、ステークホルダー間の連携や社会基盤の構築など、まだまだ取り組むべき課題は多く存在する。
機械工学の役割とは?
力学とメカニズムの探求を基礎としたシンセシスの重要性
これまでの議論をふまえて、本項では、2つの事例を示しながら福祉機器開発研究における機械工学の役割を示してみようと思う。
(1)力学を中心とした工学としての役割
著者が福祉機器の分野に身をおいて、始めに取り組んだプロジェクトの一つが、手動車椅子の自動ブレーキである。電気工学が専門の上司に対抗して「安全を担うものなので電気を使わずに作るべき」と主張して、力学をベースに開発を進めたものである。力学的エネルギーの源として、利用者の体重を使うことを考え、図4のように座面の後部が上下する機構と車椅子のブレーキが連動し、座面の下に設置したバネにより、立ち上がると座面が上がり、ブレーキがかかる仕組みである。プロトタイプを作製して臨床評価に望んだところ、利用者の体重が60kg以上でないと足漕ぎで走行中にブレーキがかかってしまうという点と、車椅子に座ったときにブレーキがすぐにはずれてしまうので動いて危険な場合があるという点が課題として指摘された。油圧を使ったり、いろいろ機構を試してみたのだが解決策を見いだせず、一度お蔵入りとなった。
その後、車工房の三世川氏から図5に示すような摩擦を低減させた機構の提案があり(7)、体重30kgの人でも使えることが確かめられ、製品化に向けた検討が始まった。力学による問題解決がプロジェクトを加速した。もう一つの、座ったときに動いてしまう問題については、座ったときにブレーキが外れない機構を採用することで、解決を図った。しかし、この解決策では動き始めるときには、利用者が自らブレーキを外さなければならない。これに対しては、利用対象者像を変更し、基本的にブレーキは自分でかけていただくこととし、ブレーキレバーもオレンジ色で目立つようにした。このオレンジが商品名「セイフティオレンジ」の由来となる。このようなコンセプトの修正は、まさにシンセシスのなせる技といえる。その後、テクノエイド協会の福祉医療機構研究助成金を得て、フランスベッド(株)にて商品化まで至った。
図4 自動ブレーキ(一次)
図5 自動ブレーキ(二次)
(2)メカニズムを基にした仕組みづくり
前述の上司の後、情報系の上司の下で仕事をすることになった。なかなかなじめなかったのが、わからないことはブラックボックスにしたままで、入力と出力の因果関係を基に理解してしまえばよいではないか、という考え方であった。改めて気がついたのであるが、どうも中身のメカニズムがわからないと気が済まないのである。これも、機械工学の特徴的な一面と考えられる。
関連する事例を一つ紹介する。JST戦略的イノベーション創出促進事業(S-イノベ)にてプロジェクトリーダを務めさせていただいた「高齢者の記憶や認知機能低下に対する生活支援ロボットシステムの開発」におけるエピソードである。このプロジェクトは、前述のFATIを実践し、図6に示すような、生活で重要となる情報をコミュニケーションロボットとの会話を通して、高齢者に伝えるシステムを開発するというものであった。最後のフェーズの社会実験に向けて、図7のような地域のリソースを巻き込んだアクションリサーチを展開した。アクションリサーチなので、仮説検証が成り立つとは限らない。多様なステークホルダーが関与し、それぞれの考えや行動により、状況が一変することもある。山積する課題と、その解決のための最善策と研究計画の修正を常に考えているようなプロジェクトであった。このような中で、自分が何をやっていたのかを振り返ってみると、これは本当にイメージの話しで客観性は全くなく、とても心苦しいのであるが、頭の中に機構図みたいなものが入っていて、個々のステークホルダーの情報が整理され、全体のメカニズムがとても明確にあったように思うのである。従って、何か問題が生じた場合でも、その機構図を修正して、メカニズムを再構成することで解決策が自ずと見えてきたように感じるのである。おそらくブラックボックスのある因果関係のみで考えていてはそうはいかなかったのではないかと思う。メカニズムがあるからこそ、何が起こるかわからないアクションリサーチに対応できたのではないかと思う。
以上、2つの事例から福祉機器開発研究における機械工学の役割とは、力学に基礎を置きシンプルで実用的なソリューションを常に視野に入れておけることと、因果関係ではなくメカニズムを探求することによる包括的な統合(シンセシス)に基づく考え方といえるのではないだろうか。
図6 情報支援ロボットのコンセプト(6)
図7 アクションリサーチを用いた情報支援ロボット開発
おわりに
大学2年生の夏休みに、友人と車で北海道を1周する旅行に出かけた。大雨の中、網走刑務所の前の駐車場からバックで車を出そうとしたとき、「ドスン」と電柱にぶつかる音で車を止めた。出て行ってみると、後部のバンパーが電柱にあわせてへこみ、それは車体の変形までに至っていた。後ろのトランクを開けようとしたが開かない。仕方なく、そのままクラブの合宿地である安達太良に向かった。電気工学科の先輩にへこんだトランクを見せると「車屋さんに持ってかないとだめだねっ」。ところが、機械工学科の先輩に見せたところ、「こんなの、たたけば直るんだよ」と、ドンドンとトランクの内側をたたき出した。しばらくすると、「ほらね」。へこんではいるものの、トランクが開くようになっていた。ちょうど3年生からの学科分けに悩んでいた著者が、機械工学科を選んだきっかけである。
どこか、シンプルでかつ実用的、そしてそこにはメカニズムの探求という裏打ちがある。そんなところが機械工学の魅力であり、福祉機器開発研究に通じる部分(というか一致する部分)だと思う。大学受験では電気系ばかり考えていたので、3年で学科を選ぶことができたことには、改めて感謝である。
参考文献
(1) ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%9F%E6%A2%B0%E5%B7%A5%E5%AD%A6 (参照日2022年12月31日)
(2) WIKIPEDIA
https://en.wikipedia.org/wiki/Mechanical_engineering(参照日2022年12月31日)
(3) 日本学術会議 機械工学委員会, 日本の展望-学術からの提言2010 報告 機械工学分野の展望(2010), pp.1-10.
(4) 塚田敦史, 横田恒一, 二瓶美里, 井上剛伸, 数藤康雄, 相川孝訓, 廣瀬秀行, 田村徹, 伊藤和幸, 石濱裕規, 青木慶, 福祉機器開発におけるボトルネックとその解決策 福祉機器開発事例の検証, 日本機械学会論文集C編, Vol.68, No.675(2002),pp.3439-3446.
(5) 井上剛伸,第5章 2福祉工学,佐久間一郎,秋吉一成,津本浩平 編集,医用工学ハンドブック(2022)
(6) 井上剛伸, 廣瀬秀行, 今泉寛, 高齢障害者用車いすブレーキ掛け忘れ防止装置,人間工学, Vol.32, No.4(1996),pp.183-188.
(7) 山内閑子, 二瓶美里, 認知機能の低下のある方の生活をサポートする車いすの開発,バイオメカニズム学会誌, Vol.43, No.4 (2019),pp.235-240.
(8) Takenobu Inoue, Misato Nihei, Takuya Narita, Minoru Onoda, Rina Ishiwata, Ikuko Mamiya, Motoki Shino, Hiroaki Kojima, Shinichi Ohnaka, Yoshihiro Fujita, Minoru Kamata, Field-based development of an information support robot for persons with dementia, Technology and Disability, Vol.24, No.4(2012), pp.263-271.
(9) 大切な情報を知らせてくれるロボット, 国立障害者リハビリテーションセンター
http://www.rehab.go.jp/ri/kaihatsu/papero_html/index.html(参照日2023年1月1日)
<正員>
井上 剛伸
◎国立障害者リハビリテーションセンター研究所 福祉
機器開発部長
◎専門:福祉機器工学