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2023/1 Vol.126

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転ばぬ先の失敗学

第1回 失敗の原因をしつこく考えよう-100年前のタイタニック号沈没事故を例にとって-

失敗学の連載にあたって

筆者の失敗学は、技術者のための失敗学である。技術者はより良い方向へと挑戦し続ける。だから、いくら技術者のモラルが高くても、事故、災害、ミス、トラブル、不具合の類は付きものである。ゼロリスクはあり得ない。でも事前にリスクに気付いて、致命的な損失だけは避けるべきである。連載では、「転ばぬ先の杖」のような工学的知識を紹介する。

なお、ここでは失敗として、寝坊、口論、ドタキャンのような生活上のミスは扱わない。また、再発防止策として安全文化・コンプライアンス・法工学・技術者倫理のような社会学的な方法も扱わない。他を探せば、いくらでも書籍や学会特集号の解説があるから。

1996年に研究室OBたちと「続々・実際の設計 失敗に学ぶ」(畑村洋太郎編著、日刊工業新聞社)を執筆した。2000年にそれを立花隆先生がテレビ番組で紹介し、「失敗学」と名付けてくれた。そこで2002年に畑村洋太郎先生と一緒に「NPO失敗学会」を設立して、筆者は「失敗学の伝道師」となった。

失敗学では「失敗のナレッジ・マネジメント」を実行する。例えば、「炭素鋼には、低温時にガラスのように砕ける特性、『低温脆性』がある。その昔、リバティ船やタイタニック号は冷たい海で脆く壊れて沈没した。マイナス100℃のような低温下で用いる機械は、面心立方晶のアルミニウムやオーステナイト系ステンレス鋼で設計しよう」というように。

筆者は失敗のナレッジを収集・分析し、「失敗百選(2006年)」「続失敗百選(2010年)」「続々失敗百選(2015年)」を執筆した。平成の間、伝道も絶好調であったが、令和になると陰りが出てきた。日本経済がジリ貧になって失敗の回避よりも、成功への挑戦に注目するようになったから。つまり、皆が創造設計、スタートアップ、人工知能、脱炭素化等に傾注し始めた。そこで「脱・失敗学宣言(2021年)」(4冊とも中尾政之著、森北出版)を執筆し、そこではデジタル技術の応用と違和感の創発を提唱し、従来の失敗学を路線変更した。連載では順を追って説明しよう。

失敗の原因追及は設計能力を高める

連載の第1回はタイタニック号の沈没事故を取り上げる。筆者らはJSTのプロジェクトで1167件の事故を調べ、「失敗知識データベース」を作った。今でもNPO失敗学会のサイトで公開している。そこで2番目の検索回数を誇る人気事例が北大西洋でのタイタニック号沈没である(トップは次号で紹介する御巣鷹山でのJAL機墜落)。とにかく、世界でいちばん有名な事故であろう。

筆者は2020年のコロナ第1波のとき、NHK番組の「ダークサイドミステリー タイタニック号の陰謀」に解説者で出演した。この事故の定説のストーリーは、「タイタニック号は氷山への正面衝突を避けるため左へ舵を切ったが、右舷が氷山に擦れてリベットの頭が千切れ、図1(a)に示すように、艦首から6防水区画連続で側面の鉄板が剥がれて、隙間から海水が船内に流れ込み、2時間後に沈没した」である。

1987年に沈没船体を発見し、リベットも引き上げて分析したところ、リンや硫黄の不純物を多く含む粗悪な炭素鋼だったことがわかった。上述の低温脆性も起きたと推定される。現在、筆者の専攻でもシャルピー試験で、学部2年生に低温脆性を体験させている。でも日本製の低炭素鋼は時々、期待を裏切って、ドライアイスでマイナス70℃に冷却しても、全破面で脆性破壊してくれない。それほどに製鋼技術は進歩している。また、下穴を皿モミしてから皿リベットを打ち、現代の航空機のように、表面に頭が出張らないにしておけば、氷山と擦れても頭が落ちず、沈没しなかったとも推定される。でも、いずれも後知恵で、その当時の技術レベルでは事故が起きても仕方がない。

その前に、タイタニック号はUnsinkableではない。設計者は16の防水区画のうち、最大4区画連続で浸水しても沈没しないように設計した。姉妹船のオリンピック号は軍艦と衝突して隣接の2区画が浸水したが、設計通りに沈没を免れた。逆に、タイタニック号は6区画連続だから、設計通りに沈没した。一緒に出演したクルーズ船の元船長の幡野保裕氏によると、商船大学ではもう避けられないと観念したら「正面から当たれ」と教育しているそうである。艦首は大破するだろうが、1区画の浸水で済むので沈没せずに漂流し、全員救助されたはずである。

このように、低温脆性、リベット形状、防水区画設計、操船に問題があるが、これらを責めるのは、当時の技術レベルを勘案すれば無理がある。

定説の主原因は、「当時の英国商務省の規定が1万トン以上の大型船(タイタニック号は4.6万トン)は沈まないと見なし、1178名分(最大乗船人数3128名の38%)の救命ボートだけで運航許可した」ことである。だからボートに乗れた687名は救助され、乗れなかった1517名が船と一緒に沈んだ。でも、救命ボート不足は合法だったので、技術者は罪に問われていない。なお、鍵付き扉で仕切られた3等船客が避難できなかった、という非人道的な船室構造も批判されているが、米国移民法では合法であった。トラコーマ伝染を恐れたから。法律は安全に勝つ。

でもさすがに政府も責任を感じたのか、タイタニック号沈没後に海上人命安全条約が採択され、定員の125%分の救命ボート積載が課された。姉妹船のブリタニック号は、第一次大戦中に病院船として運航されたが、機雷に当たって1時間半後に沈没した。しかし、救命ボートが増備されていたので、ほぼ全員の1035名が救助され、死亡は直撃の30名だけだった。タイタニック号も定員分の救命ボートを積んでいれば、沈むまでの2時間以内に全員が退船でき、死亡者ゼロだったと推定される。

多くの研究者や小説家が、この豪華客船の利益優先、安全軽視、格差構造を指摘しているが、それだけでは大事故に至らない。この沈没に至るまでの40年間で、北大西洋航路での死亡者はたった5名だった。沈むはずがない、氷山は恐れるに足りず、という思い上がりがあったことは否めない。でも運航関係者は過失の罪にさえ問われていない。不可抗力と見なされた。

タイタニック号の設計は、その当時の技術レベルで考えると、きわめて安全設計だった。座礁しても沈没しないように、2重構造の船体底も採用していた。もっとも、船体の鉄板の厚さはたった2cmであり、1/700のモデルを作ったらちょうど水に浮かべた折り紙の船になる。同じ「不沈」船でも戦艦大和は41cmであるが、当時の客船はそれくらいベコベコだった。ただし、競争会社のルシタニア号は救命ボートを定員分用意しており、安全神話に驕っていたと言えなくもない。

番組中で紹介された陰謀もその類の話であったが、最後の陰謀だけが興味深かった。つまり「処女航海の最初から石炭が自然発火し、図1(b)に示すように、消火の手段が無く延焼し続けた。もうボイラで燃やすしか処理の手立てが無く、氷山があろうとも停船できなかった」である。ニューヨークまで5から6日の航海で着くが、石炭は軽くするために7日分しか積んでいなかった。燃やすしかないが停めることもできない。つまり、船長は背中で薪が燃えているのに気付かない「カチカチ山の狸」になっていた。もちろん、発火を隠していたら、船長は未必の故意で有罪であるが。途中の寄港地ではボイラーマンのほぼ全員が交代したが、一酸化炭素中毒が原因だったのかもしれない。蒸気船は蒸気機関車と違ってボイラが大きいので、自然発火しやすい褐炭を燃料として使えた。

この陰謀は歴史家が唱えたものだが、彼はタイタニック号の電気技師の屋根裏部屋に放置されていた写真集をオークションで入手し、「第6ボイラ付近の右舷鉄板が黒く映っているのはなぜ?」という違和感を抱き、陰謀説につなげた。100年間の写真から新説を述べるとはかなりしつこい。

このように、事故をしつこく分析していくと、多くの失敗知識が得られ、自分の設計が一段と上手くなる。


参考文献

(1) 中尾政之, 脱・失敗学宣言(2021), 森北出版, pp.146.


<正員>

中尾 政之

◎東京大学大学院工学系研究科 教授
◎専門:生産技術、ナノ・マイクロ加工、加工の知能化と情報化、
創造設計と脳科学、失敗学

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