学会賞受賞論文のポイント
パラスイマーのフォームの疑問を最適化シミュレーションで解決
2021年度日本機械学会賞(論文)受賞
Optimizing simulation of deficient limb’s strokes in freestyle for swimmers with unilateral transradial deficiency
Motomu NAKASHIMA, Ryosuke TAKAHASHI, Taichi KISHIMOTO
Journal of Biomechanical Science and Engineering
はじめに
選手「じゃあもっと速く泳げるようになるためには欠損側の腕の動きはどうすればいいんですか?」
筆者「それは今回の結果からではわかりません」
選手「…」
上記のやり取りは、2016年2月に都内某所で実際になされたものである。筆者は、2016年9月のリオデジャネイロパラリンピックに向けて、選手サポート事業の一環として、国内パラスイマー7名の動作分析を行っていた(1)。各選手の泳動作を各々の練習場に赴いて撮影し、映像を元に関節角のデータを作成し、それを著者らが開発した水泳の力学シミュレーションモデルSWUM(2)に入力し、力学シミュレーションを行う。その結果を各々の選手やコーチにフィードバックして、日々のトレーニングに活かしていただく、というサポート内容であった。そして上記の会話は、7名の中の片前腕欠損の障がいを持った選手に自由形(クロール)の分析結果を一通りこちらから説明した後になされた。この事業では現状の選手の泳動作を分析し報告するまでが仕事であり、基本的には選手やコーチの方々に検討のための素材を提供するというスタンスで筆者はフィードバックを行っていた。しかし上記の選手とのやり取りにおいては、選手の側からは欠損側の腕の動作についての具体的なsuggestionが求められた。根拠なくいい加減な答えを返すことはできない。冒頭の筆者の返答はそんな思いから出たものであった。それに対しての選手の「…」に本研究の出発点がある。「…」の際の選手の表情は、明らかに得心がいかない様子であった。その表情は筆者の中でのどに刺さった小骨のように引っかかりとして残った。そのため、事業とは関係なく自身の研究として選手の疑問に答えたい。そのような思いで本研究が始まった。すなわち、片前腕欠損の障がいを持ったスイマーのクロール泳において、そもそもどのような欠損側の腕のストローク(水のかき方)が望ましいのかを数理的に解明しようという試みである。
研究手法
手法として、まず水泳のモデル化には前述のSWUMを用いた。SWUMにおいて、図1に示すように、クロール1周期を12個の時間フレームに分割し、欠損側の腕(ここでは左腕)が水中にある5個の時間フレームにおける、肩の関節角を最適化の設計変数とした。そしてSWUMのシミュレーションを最適化アルゴリズムに則って設計変数を変化させつつ繰り返す反復計算を行い、最大の泳速度が得られる設計変数の値を求めた。ただし最適化における制約条件として、スイマーが発揮できる関節トルクには上限値があるとした。この関節トルク上限値については、以前の健常スイマーにおける最適化シミュレーションの際に構築したモデルを本研究でも使用した。ただし、片前腕欠損の障がいを持ったスイマーは、欠損側の筋力が低い可能性が考えられるため、対象者のスイマーの実験結果に基づいて、関節トルク上限値を全体的に0.72倍した場合についても計算を行うこととした。また、片前腕欠損の障がいを持った実際のスイマー1名を対象として、自由形全力泳の泳動作を取得し、これを最適化シミュレーションの初期値とした。
図1 肩の関節角を最適化する5個の時間フレーム
図2に対象スイマーの元々の泳動作、図3に最適化シミュレーション結果の泳動作をそれぞれ示す。ストローク1周期中における同じタイミングである。両者を比較すると、最適化シミュレーション結果ではかき始めのタイミングが遅くなっているが、かき自体はより速いものとなっており、より大きな流体力(赤線)が上腕部に発生していることがわかる。よって選手へのsuggestionとしては、「かき始めのタイミングを少し遅くし、だが速く(もっと頑張って)かけ」ということになる。またこの図からはわかりづらいが、最適化結果のストロークでは、より身体の外側をかくような動きとなっている。これはその方が発揮できる関節トルクが大きくなるためである。
このようなストロークの改善により、欠損側の腕による推進力は顕著に増加する。健常側の腕が発揮する推進力を100%として、それに対する欠損側の腕が発揮する推進力は、対象スイマーの元々の泳動作では5%以下であったが、関節トルク上限値を0.72倍した、いわば対象スイマーの現状のままの筋力でも、最適化結果の泳動作では推進力は15%以上となった。さらに健常並みに筋力を増加させた場合に相当する、関節トルク上限値1.0倍の場合では、推進力は25%以上まで増加した。よって欠損側の腕についても、発揮可能な推進力はまだまだ増やせる余地を残していると言えよう。
図2 対象スイマーの元々の泳動作
図3 最適化シミュレーション結果の泳動作
おわりに
以上の研究成果は、2018年2月に再び都内某所で当該選手に報告させていただいた。得られた知見を噛み砕いて丁寧に説明したところ、2年前とは異なり、「よくわかりました。非常に参考になりました。この情報を活かしてトレーニングに励みたいです」とのお言葉をいただけた。筆者にとって、2年前の引っかかりが解消され、大きな喜びを感じた瞬間であった。当該選手は2021年に開催された東京パラリンピックにも出場し活躍された。当該選手の活躍に、筆者らの研究がどれぐらい貢献できたのかはわからない。しかし貢献できること自体が大きな喜びであることに変わりはない。これからも選手やコーチなどの現場のニーズに真摯に向き合って研究を行っていきたい。
筆者にとって本研究プロジェクトは上記の選手への報告によって十分に報われたと考えていた。しかしその上に、この内容をまとめた論文によって、2020 JBSE Papers of The Year Awardおよび日本機械学会賞(論文)をいただけたことは、まさに望外の喜びである。関係諸氏にここで深く謝意を表する。
参考文献
(1)中島求, リオデジャネイロパラリンピックにおける日本選手の活躍への SHD の貢献, 日本機械学会スポーツ工学・ヒューマンダイナミクス部門ニュースレター, No.2 (2017), pp.2-6.
(2) Nakashima, M., Satou, K., Miura, Y., Development of swimming human simulation model considering rigid body dynamics and unsteady fluid force for whole body, Journal of Fluid Science and Technology, Vol.2, No.1 (2007), pp.56-67.
<フェロー>
中島 求
◎東京工業大学 工学院システム制御系 教授
◎専門:スポーツ工学、バイオメカニクス、バイオロボティクス、福祉工学
キーワード:学会賞受賞論文のポイント