日本はものづくりで勝てないのか!?
第9回 材料をベースにものづくりの再強化
前回までは幕末の鍋島直正、小栗忠順、そして戦後の鉄鋼業界・自動車産業界を例として日本のものづくりの黎明期とその発展について紹介してきた。今回から日本がものづくりで勝つために「材料をベースにものづくりの再強化」、「アナログとデジタルのハイブリッド化」そして、「ものづくりを支える国への提言」を述べてみたい。
コモディティ化へのわな
日本のビデオレコーダーは1990年には世界の75%を占め、太陽電池も世界の50%を生産していた。しかし、これらを世界中にコモディティ化、すなわち高付加価値の商品を一般的な商品とし市場価値を低下させ、結果的に他国に市場を譲り渡してしまった。その典型例がクォーツ時計である。腕時計業界の勢力図を塗り替えたといわれるクォーツ時計は米国のベル研究所で開発されたが、大きすぎて実用化までには至らなかった。それを1969年に日本のセイコーが、腕時計に入るまで小型化した。特許も公開して「大量に安く」をモットーに、日本産クォーツ時計が世界を席巻した。これによりスイスの時計産業は大きな打撃を受け、米国の時計産業はほぼ全滅した。しかし、クォーツ時計はたちまちのうちにコモディティ化し価値も値段も下落した。その渦中の1980年代の半ばに、スイスは機械式時計で奇跡のように蘇った。今やスイスの腕時計生産量は、世界のわずか2.5%で年間約3千万個であるが、売上高では世界市場の5割以上、10万円以上の腕時計の約95%を占める。このコモディティ化を克服するためには「大量生産・大量消費志向」から「国民一人当たり付加価値の最大化」を目指す以外にはない。質の高い長持ちする部材・部品・商品を、高価格帯であっても世界の人々が欲しがる「ハイ・クオリティー化したものづくり」への転換である。SONYの盛田昭夫は既に1980年代、「値段は高くてもよろしい。高いだけ良いものであればそれでよい」と言い放ち、「大量に安く」をモットーとしていた日本の産業界に警鐘を鳴らしていた。
材料とものづくりはなぜ強いのか
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