特集 新技術の安全・安心はいかにして確保されるべきか
事故調査の現状と問題点
公的な事故調査の概要
2001年以前、我が国の公的な事故調査機関としては、航空事故調査委員会と海難審判庁があるだけで、それ以外の分野では公的な事故調査機関は存在しなかった。マスメディアや国民の受け止めとしても、「この事故の原因は警察が調べています」という報道を違和感なく受け止め、「航空事故調査委員会が調べています」という報道を見かけることはなかった。
その二つの事故調査機関についても、さまざまな事故に対して事故原因の調査を行い、社会の安全性を高めるという考え方から設置されたものではなかった。海難審判庁は、1882年農商務省の管船局で所管されることになった海事審問に端を発するものであるが、海難事故の原因究明だけではなく、海員の懲戒もその目的とされていた。航空事故調査委員会も1966年の連続航空事故に対する運輸省航空局の対応が批判され、行政当局や業界から独立した調査機関の必要性を求める声が大きくなって設置されたものである。
我が国の事故調査機関に大きな動きがあったのは、2001年に従来の航空事故調査委員会が、航空・鉄道事故調査委員会として改組されたことである。1991年に起きた信楽列車事故の後、何故日本には鉄道のための事故調査委員会がないのかという疑問が学識経験者、研究者から出され、10年の年月を経て航空・鉄道事故調査委員会設置法が国会で可決成立されたのである。その背景にあったのは、事故や災害が起きたとき、警察にすべて任せておけば原因は解明されるわけではないことが共通認識になってきたこと、責任追及だけでは事故や災害の再発防止に繋がらないという考え方が社会的に広がってきたことである。また医療事故などの分野で、ヒューマンエラーの刑事責任を追求することが果たして適切であるのか議論が巻き起こったことも背景にあった。
2001年の後には、各分野で独立性や専門性などを備えた事故調査機関の必要性が指摘され、運輸安全委員会(従来の航空・鉄道事故調査委員会が海難審判庁と統合されて2008年に発足した)、消費者安全調査委員会(2009年)、医療事故調査制度(2014年)、学校事故調査制度などが法律や政令に基づいて設立されていった。強調されるべきなのは、その後設立されたいずれの組織も、責任追及を目的とするのではなく、再発防止を事故調査の目的としていることである。
事故調査と刑事事件捜査との関係
そこで以下では運輸安全委員会を念頭に、警察・検察と事故調査制度との相違や、お互いの関係を整理する。
まず下記の表であるが、警察・検察を責任追及型の捜査(調査)、事故調査機関を再発防止型の調査というモデルに分けた(この点、米国では捜査も調査もinvestigationと単語をあてている)。運輸安全委員会が公表する事故調査報告書には、「本報告書の調査は、本件事故に関し、運輸安全委員会設置法に基づき、運輸安全委員会により、本件事故の原因を究明し、事故の防止に寄与することを目的として行われたものであり、事故の責任を問うために行われたものではない。」と明記されていることからしても、捜査と調査を二つのモデルに分けて、検討を行うことは妥当な方法であると思われる。
上記の表をめぐっては幾つか議論となる点があるが、まず調査の目的から検討する。警察・検察が事故の捜査をする目的は、事故に関与した関係者個人について、業務上過失致死傷罪*1で処罰する疑いがあるかどうかを調べることである。
捜査機関の捜査について強調しておきたい点が2点ある。
まず第1の点は、捜査の対象はあくまで個人の刑事責任であって、組織(会社や行政組織)ではないという点である。すなわち事故を起こした個人の行為が捜査の対象となるのであって、事故を起こした組織が捜査の対象となることはない。これに対して、調査の目的は、原因の究明と再発防止である。そのため「組織事故」と呼ばれるような事故の場合、調査の方が組織全体の問題点を明らかにすることに適していると考えられる。
第2の点は、日本の刑事法の体系では、業務上過失致死傷罪の守備範囲は非常に広く、軽微な自動車事故から巨大な原子力発電設備の深刻な事故まで、すべてこの業務上過失致死傷罪で裁かれる。世界的に見渡しても業務上過失致死傷罪で組織(会社組織や行政組織)を裁く例はイギリス以外には見当たらない。
次に調査の独立性について検討する。運輸安全委員会設置法第6条では、「委員会の委員長及び委員は、独立してその職権を行う。」と定められている。また運輸安全委員会は国家行政組織法第3条に基づく外局(3条委員会)とされ、独自の人事管理権や予算編成権が認められた他、事故原因の関係者となった私企業に対しても直接勧告できるなど権限が強化された。これらの建て付けからすると、運輸安全委員会には独立性が保障されているといえよう。
事故現場における捜査機関と調査機関の協力関係はどうか。例えばJR西日本の福知山線脱線のような事故が発生したと仮定する。捜査機関と事故調査機関はそれぞれ事故現場に急行し、救急救命活動と並行しながら、現場に散乱している設備などを保全する。その場合、人的動員は警察のマンパワーに頼ることが多いが、現場や散乱している設備の保全の方法については、警察と運輸安全委員会が現場で協議をしながら円滑に決められているとのことである。
次に専門性と鑑定嘱託について。警察・検察には運輸などの事故原因の専門家はいない。それはむしろ当然のことである。都道府県警察ごとに、運輸・医療・学校・消費者の事故の専門家を職員として抱えることは現実的ではなく、何時起きるか分からない分野に専門家を用意することは非効率的ですらある。
そこで刑事訴訟法においては、鑑定*2という方法が用いられる。
ところが警察が捜査対象とする事案が、運輸安全委員会が調査する事案でもある場合、例えば航空事故が発生したとき、当該事故は運輸安全委員会の調査の対象とされるが、同時に業務上過失致死傷罪のおそれがあるとして捜査の対象にもなる。このような場合、警察はどのようにして鑑定人を選定するのであろうか。
結論から述べると、運輸安全委員会と警察庁との間で締結された覚書(「運輸安全委員会設置法の運用について」警察庁甲刑発第267号、国空委企第9号、平成20年9月5日。ならびに「航空事故調査委員会設置法案に関する覚書について」警察庁丙企発第6号、昭和47年2月8日)に基づいて警察が運輸安全委員会に鑑定を嘱託し、運輸安全委員会は事故調査報告書全体を鑑定書*3として警察に提出するという取扱がなされている(上記の覚書第3条には「捜査機関から航空事故調査委員会委員長等に対し、航空事故の原因について鑑定依頼があったときは、航空事故調査委員会委員長等は、支障のない限り協力するものとする」と記されている)。もちろん事故調査報告書そのものを鑑定書にすることはできないので、表紙は鑑定書と記載される。どれくらいの事故調査報告書が鑑定書とされるかについては、航空事故の全件、鉄道事故は少数件、船舶事故の一部が鑑定嘱託の対象となると教えて頂いたことがある。
しかし筆者はこの鑑定嘱託の手続きには問題があると考えている。事故調査報告書を鑑定書として用いられるということは、運輸安全委員会が把握した客観的な資料だけでなく、事実に対する分析や評価、さらには事故関係者からの口述内容の引用などが、鑑定書を通して刑事責任追及の資料として利用されるということを意味する。とすれば事故関係者から口述などの協力を得られにくくなるのではないかという懸念がある。これに対する対策としては、警察からの運輸安全委員会に対する鑑定嘱託の対象を、運輸安全委員会が把握した客観的な事実関係、例えば鉄道事故では運転状況記録装置の解析や脱線に至る事実経緯、脱線の物理的なメカニズムなどに限定するなどの見直しを行う必要があると考えるものである。
過去に業務上過失致死傷罪で起訴された民間航空機の機長が、無罪を争った刑事裁判がある(名古屋地方裁判所平成14年(わ)第1091号、判決言渡平成16年7月30日)。この刑事裁判では、検察が証拠として提出した鑑定書の証拠能力、機長の当該航空機の操縦輪の操作の妥当性などが争点となったが、機長は無罪となった。なお鑑定書の証拠能力について、上記判決は、「本件航空事故調査報告書は、(中略)事故の調査を行い、その調査の経過、認定した事実、認定した理由、事故の原因を記載したものであり、専門的知識を有する者が、共同で、その科学的な経験則及びその適用による事実の認定についての意見を記載したものであって、刑事訴訟法321条4項の鑑定書に準ずるものとして、同条項が準用されるものである。」と判断している。
刑事事件の捜査が、事故調査の妨害になっているという主張について。同じ事故を警察・検察と事故調査委員会の両方が調べることは、関係者が刑事処罰をおそれて真実を供述することを避けることとなり、徹底した事実の究明の妨害要因になっており、この状態を是正するためには事故調査を捜査に優先させるべきであるという意見である。
確かに関係者が体験したことは一つであり、その体験を捜査と調査で別けて語るのは実際的には困難である。また刑事事件における供述には黙秘権の保障があり、関係者が黙秘権を行使すれば事故調査の支障につながり兼ねないという主張も理解はできる。
この問題点について上記の覚書(「運輸安全委員会設置法の運用について」平成20年9月5日付)には、犯罪捜査と事故調査とは、それぞれの異なる目的の下に異なる法律上の手続き、方法によって発動され、いずれもそれぞれの公益実現のための重要な作用であり、一方が他方に優先するという関係にあるものではない。これまでも、警察の行う捜査と、航空・鉄道事故調査委員会の行う事故調査については、事故現場において適切に調整が行われ、それぞれが支障なく円滑かつ的確に実施されてきているところであり、今後とも同様の運用を続けていくこととする、と記載されている。
この意見は、本論点に対する警察の公式的見解であると思われる。これまで刑事事件の捜査が事故調査の支障になったとの実際の例が指摘されたこともない。この警察の見解を誤っていると主張する根拠は乏しい。しかしながら、事故調査は、再発防止のために事故の構造的な問題点を洗い出す必要があり、関係者から事実に即した口術を得る必要がある。そのためには、事故調査が責任追求から独立しており、捜査とは目的を異にしていることを明確にしておくことが重要であると言えよう(「JR西日本福知山線事故調査に関わる不祥事問題の検証と事故調査システムの改革に関する提言」平成23年4月15日)。
事故調査と民事責任との関係
民事責任の追及は、事故で被害を蒙った被害者・遺族が被害の回復、具体的には損害の賠償を求めて、訴訟外の交渉、民事調停、民事訴訟を起こすことである。したがって刑事事件における刑事責任の追及や、事故調の再発防止とは異なる目的のものとなる。
ところで民事上の損害賠償の請求をするためには、当該事故が発生したことについて加害者側に不法行為が認められる必要がある。より具体的には、①事故が発生し、②被害が発生し、③過失(又は故意)が認められ、④過失と被害との間に因果関係が認められる必要がある。そして過失が認められるためには、注意義務違反と予見可能性が認められる必要がある。
刑事裁判との比較でいうと刑事責任の予見可能性と民事責任の予見可能性は、一般的には刑事裁判の方がより厳密に認定される。言い換えれば民事責任の方がより広く責任が認められることもある。このような違いが生じるのは、民事責任の判断においは、被害者と加害者との間の損害の公平な分担という理念が重要とされるからである。
アメリカの不法行為法では、ハンド判事が提唱したハンドの公式が重要視される。この公式によると、
①危険が生じる蓋然性、危険性
②危険が実現した場合の重大性
③十分な予防措置をとることによる負担
の三つの因子をとりあげ、①×②>③ならば過失があり、①×②<③ならば過失はないとする。
その結果、事故調査における再発防止の考え方や刑事責任の考えかたと、損害の公平な分担を重要視する民事責任の考え方は、相当に異なったものとなることもある。例えば自動車事故の場合では、結果にある程度の重大性が認められ、危険発生の蓋然性が認められる場合であっても、刑事事件としては不起訴(つまり警察・検察が捜査を行ったにも関わらず、検察が起訴しないものとして処理される)になったが、民事の損害賠償事件として責任が認められること決して珍しいことではない。
事故調査と捜査についてのまとめ
事故が起きた場合に執り行われる、刑事責任、事故調査、民事責任について、それぞれの目的はなにか、各責任が認められる手続きはどのように進められるのかなどについて検討を試みた。それぞれの目的は違うといっても、事故という社会的損害を契機に始まるという点、それぞれの事故の内容を公平・適切に調べる必要があるという点では共通点もある。
今後も調査や捜査が相互に円滑に進められ、社会全体にとっても、被害者にとっても、相互の手続きの認識が深まるように、事故の関わる各関係者の努力が望まれるところである。
注
*1 業務上過失致死傷罪。刑法第211条。業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、5年以下の懲役若しくは禁錮又は100万円以下の罰金に処する。
*2 鑑定。刑事訴訟法における鑑定とは、特別の知識経験を有する者により、事実の法則またはその法則を具体的事実に適用して得た判断を報告する、とされる(刑事訴訟法第165条)。具体的なイメージとしては、薬物の判定、被害者の死因の特定など、鑑定は非常に多くの捜査手続きで使われている。
*3 刑事訴訟法の証拠法則、伝聞法則、鑑定書。刑事訴訟法では、証拠に関する法則が細かく定められている。その中で伝聞証拠とは、公判期日における供述以外の証拠を指し、訴訟当事者の反対尋問権の保障の趣旨から、伝聞証拠は原則として証拠とならないとされる。鑑定書も伝聞証拠に該当するので、伝聞証拠の禁止の原則からは証拠能力を持たないことになる。しかし刑事訴訟法第321条4項で「その供述者が公判期日において証人として尋問を受け、その真正に作成されたものであることを供述したときは、第1項の規定にかかわらず、これを証拠とすることができる」と定めている。
佐藤 健宗
◎佐藤健宗法律事務所 弁護士、元・関西大学社会安全学部 客員教授、
元・消費者庁 事故調査機関の在り方に関する検討会 委員
◎専門:事故調査論
キーワード:新技術の安全・安心はいかにして確保されるべきか