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2022/5 Vol.125

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日本はものづくりで勝てないのか!?

第5回 小栗上野介忠順の思い

遣米使節として米国に渡航

小栗上野介忠順(1)~(6)は文政十(1827)年、旗本・小栗忠高の子として旗本屋敷である江戸駿河台、現在の明大通りの角(図1)で生まれた。早くからその才を認められ、33歳の万延元(1860)年、大老・井伊直弼の推挙を受けて、幕府遣米使節の実質的なリーダーとして渡米することになった。

遣米使節団は図2中央に示す正使新見豊前守正興・外国奉行、副使村垣淡路守範正・外国奉行(同左)、監察小栗忠順・勘定奉行(同右)ら77名と米国乗組員289名、合計366名で米国船ポーハタン号にて渡航した。西海岸まで随行した咸臨丸には、勝安房(勝麟太郎、37歳)、福沢諭吉(25歳)、通訳の中濱万次郎(33歳)ら日本人94名およびジョン・マーサー・ブルックら米国乗組員11名、合計105名が乗り組んだ。

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