日本はものづくりで勝てないのか!?
第1回 限りなく続く国力の衰退
国力の衰退
高坂正堯が40年前に執筆した『文明が衰亡するとき』(1)に「ヴヱネツィアは、かつて地中海を支配する大強国であったが、最後はナポレオンの脅迫の前にあっさり屈して18世紀末に国が消滅した。16世紀以降、階級が固定し、貴族階級が国を支配するようになるが、その貴族が結婚しなくなり、17世紀には6割が独身となった。理由は国家発展の基礎であった貿易を、リスクが高いと敬遠し、本土に土地を買って資産運用で生活するようになった。家に人が増えれば分け前が減るから子供を産まなくなる。結局、国力の重要な要素である人口が減って衰退してしまった。それと、技術革新の遅れである。優れた造船技術を開発して、海洋大国になったが、15世紀にポルトガルやオランダの新しい帆船技術の開発が進む中、ヴヱネッィアは造船の予算をほとんど増やさなかった」とある。
またマレーシアのマハティール前首相(2)は20年前に「一国の人口が減少し、高齢化することは、その国が衰退へと向かっていることを意味する。高齢者は家でテレビを見ていれば快適という場合が多く、高級レストランに行くことも少なければ、車を買い替えたり、スーツやゴルフクラブを買ったりすることもない。高齢者は必要なものがすでに揃っているから消費が極端に減るのだ。最終的にイノベーション力と特許件数を決めるのは高齢者ではなく若者だ。日本以外の先進国は、米国:320百万人(2013年)⇒462百万人(2100年)、フランス:64百万人⇒79百万人、イギリス:63百万人⇒77百万人、と予想されている。日本は今、世界でなんの変哲もない平凡な国へと向かっている。もし私が日本の若者なら、他の国への移民を考える」と警鐘を鳴らしている。
人口減少と日本
第一次ベビーブームの1949年の出生数は269万人で、合計特殊出生率は4.32と過去最高であった。ところが2020年末の国内出生数は84.7万人で、出生率は1.34と大幅な減少である。
図1に示すように、日本の人口は奈良・鎌倉・室町時代は7百〜1千万程度で推移してきた。江戸時代前半に3千万(約3倍増)と明治維新後(約4倍増)の2度にわたり、人口爆発が起き、2004年に1億2千784万人でピークを示した。このまま移民政策などを採用しなければ、2100年には5千万人に舞い戻るのはほぼ確実である。ジェットコースターに例えれば、その高見を通過中で、急降下する直前である。2050年まで1億の人口を保つとすると、計算上は累計で1714万人(年間平均34万人)、生産年齢人口(15〜64歳)を維持するシナリオでは累計3233万人(年間平均65万人)もの移民が必要となる(3)。どうみても海外からの大量移民は実現可能な施策ではない。ものづくり産業の将来を考える上で、人口減少問題は決定的に深刻である。人口が半減することは単純に言えば、農業・金融も含め、ものづくり産業は半分以下でよいことになる。
上昇しない日本の賃金と物価
戦後の1950年に、日本は世界のGDPの僅か3%に過ぎなかったが、1988年に16%(中国は2%)のシエアを占めるまでに発展した。しかし、その20年後の2018年には、わずか6%(中国は16%)にシュリンクしてしまった。それとともに、日本の債務は対GDP比 で2.4倍に増え、世界のワースト1位である。これが、通奏低音のように重く日本人の心に鳴り響き、企業の前向きな投資・賃上げ、および国民の消費行動にブレーキをかけている。日本の劣化を端的に示すのが世界各国との時間当たりの賃金である(図2)(4)。20年間、賃金も全く変わっていないどころか、低下傾向を示しており、実感とよくマッチングしている。20年前、筆者が大学教授のときの年収は、ほぼ当時の米国の教授と同じ水準にあった。ところが、日本では今もほぼ同額だが、米国の教授はすでに倍の給与に上昇している。
日本では賃金が上昇しないため、物価も上昇していない。そのため物価も世界と同じ水準と錯覚しがちである。日本では「億ション」という言葉があり、「1億円を超えるマンションは富裕層が購入する」とのイメージが強い。確かに諸外国も同じように、100万ドルのマンションは高嶺の花という時代はあった。しかし、現在の先進諸国においては、1億円のマンションは一定以上の仕事についている中産階級が、普通に購入する物件である。
内向きになった日本の企業
日本企業は内部留保がほぼ180兆円で推移してきていたが、2008年のリーマンショック後は、守りに入った企業は社員の賃上げや設備投資などを抑え、現在では250兆円に跳ね上がった。新設備導入がなければ、技術者の主たる業務は「改良改善業務による古くなった工場の維持」となる。若い時期には現場で汗水垂らして働き、直接技術開発に関わる働き方が常識である。最近、大企業の技術開発が下請け(関係会社)に丸投げされる場合があるという。すなわち技術開発の外注化である。若い技術者が関係会社の技術の管理、すなわち書類業務にと変化しはじめている。成長に重要な時期に技術そのものに触れる機会を奪われ、その結果エンジニアとしての一生を台無しにしてしまう。
最近、学生時代から自分なりの考えや、思いを抱いていた優秀な若者が、大企業を見限りつつある。退職せざるを得なかった彼らは、自分なりの「思い」があり、主張があり、改革の意欲がある人物である。多くの大企業では、優秀な若者の思いを受け入れる余裕や度量がないため、「もうやってられない」となる。A君は、X社において、極めて優秀で3年間米国の大学に留学した。帰国後、満を持してさまざまな提案をしたところ、「君だけ特別扱いできない」として、取り合ってもらえず、外資系のコンサルタント会社に転職してしまった。B君はY社3年目にして社長賞をもらうほどの有能なエンジニアで、あるとき海外での事業展開を提案し、自分がそこで活躍したいと願い出ると、「他の同期との足並みが乱れる」と反対され、もう我慢の限界に来たと会社を辞し、今は海外で活躍している。C君はZ社3年目、いろいろな技術に携わった後、自分の所属する旧態依然の組織改革を提案したところ、「入社3年目でそのような提案はまだ早い」と言われ、これでは何を提案してもダメと悟り、ベンチャーに転進した。そのベンチャーの社長(米国有力工科大学出身で日本語堪能なアメリカ人)から、入社に際して5時間にわたり個人面談された。「人材こそが企業のいのち」と熟知している。この事例のように「何を言っても動かない会社」が優秀な若者が敬遠するようになった。
今日本は、穏やかで普通になりたい一般の若者と、大過なく事を運びたいとする大企業の双方にとって、「思い」を主張することは「やっかいなこと、面倒なこと」として避けられ、その風潮が蔓延して指示待ち人間を増やす結果にもなっている。連載第2回では、ものづくりの衰退の現状について論じてみたい。
将来予測のため過去の歴史を振り返る
1990年以降、筆者が企業から大学に転じたころから「今までと違う!何かおかしい?」との漠然とした不安が生じ、「世界の片隅の、このちっぽけな日本がなぜ、どのようにして世界ダントツのものづくり大国になったのか?」その後、「どうして世界の進歩から取り残されるようになったのか?」、さらに「今後、どうなるのか?」との問題意識が筆者の頭の片隅にあった。「1年後を予測するには、10年遡れ、10年後を予測するには100年の歴史を振り返れ」との諺にあるように、退職後の時間を利用して、産業を急速に立ち上げた幕末から明治、そして戦後の高度成長期、絞って筆者なりの視点で振り返り、今後の方策を探ることにしたい(6)。
参考文献
(1) 高坂正堯, 文明が衰亡するとき(2012), 新潮選書.
(2) マハティール・ビン・モハマド, 立ち上がれ日本人(2003), 新潮新書.
(3) 小黒一正, Business Journal, 2020年1月15日.
(4) 加谷珪一, 貧乏国ニッポン(2020), 幻冬舎新書.
(5) リンダ・グラットンほか, LIFE SHIFT100年時代の人生戦略(2016),東洋経済新報社.
(6) 浅川基男, 日本のものづくりはもう勝てないのか(2021), 幻冬舎.
<フェロー>
浅川 基男
◎早稲田大学 名誉教授
◎専門:機械工学、塑性加工、機械材料
キーワード:日本はものづくりで勝てないのか!?