特集 機械工学、機械技術のこれからのあり方
米国での機械工学技術の展望:教育、雇用および市場について
この原稿を執筆している2021年11月現在、米国株価はパンデミックによる一時の落ち込みを補って余りある成長を続けている。パンデミックからの回復に伴う労働力不足をはじめ、ガソリン価格の高騰、店頭での物品不足など諸問題が顕著になってきているほどである。
長期の見通しを語る上で、2020年初頭から現在に至るまでのパンデミックによる社会経済状況の変化はあまりにも大きかった。一方で、これからの方向性を決定づける重要な転機であったともいえる。本稿では、パンデミック以前と以降、それぞれの状況を織り混ぜて米国での機械工学技術者の教育、および雇用と市場について考察をしようと思う。
大学での教育(学部プログラム)
通常4年の学部プログラムでは、学生は機械工学の基礎的な科目の履修とラボ(機械工学演習)、そしてプロジェクト(Capstoneと呼ばれる機械設計実習)を行う。科目としては数学、CAD、材料、熱流体、生産技術、振動、制御、がありほぼすべて必修となっている。大学院に進学する場合、他大学に進む学生が多く、単位互換のために学部プログラムはほぼ同じになっている。大学によっては(例えば筆者が勤務するジョージア工科大学では)企業顔負けの機械工場が学生に開放されており、機械設計の経験を積むために有利な環境になっている。学部レベルでは物理現象の理解やモデル化など数理能力の教育も重要であるものの、チームで機械設計実習を行い、設計仕様の分析や数値化を通じて意思決定を「説明できる」ことに重点がおかれている。
学生の進路
先に述べたようにパンデミックの直後の市場の落ち込みを除けば米国経済はここしばらく好調であり、就職も売り手市場である。新卒採用というシステムがなく、ステップアップのための転職も頻繁に行われる。例えば学部卒でエンジニアとして企業に就職し数年の技術経験を積んだのち、キャリアアップのためにMBA、弁護士(米国では特許弁理士になるには弁護士になる必要がある)、あるいは工学修士を取得し、マネジメントにシフトしていくことはよく見られる。
機械工学およびロボティクスの博士課程の学生を主に指導する筆者の周囲では、機械工学博士課程修了後の進路としては、国立研究所(サンディア、オークリッジ、NASA関連など)、航空宇宙防衛関連企業および研究所、スタートアップ、そして学術分野(ポスドクあるいはファカルティ)が多いように思う。GAFAと称される巨大IT企業やボーイングなど防衛関連企業を除けば博士課程修了者が大企業に職を求めるケースはあまり多くない。
市場状況
米国国勢調査局(Census Bureau)(1)によれば、2019年時点で機械技術者は総計33万人、うち約27%が自動車関連、次いで13%が一般機械関連、10%が建築関連の職に従事している。雇用は2020年から2030年にかけて約7%増加すると予測されている。広義での機械技術者の給与は平均9.5万ドル、中央値8.3万ドルとされているが、一括りに機械工学技術者といっても従事する業種によって給与は大きく異なる。ASMEの調査(2)によれば、原子力やインフラ関連分野は約15万ドルと高く、同様に航空宇宙、化学、石油分野が高い。一方で自動車関連は低い。なお、表1に示すように学部、修士、博士の学位取得の順に中央値で約1万ドルずつ高くなり、学位と経済的利益の相関は明確に正である(3)。
表1 ジョージア工科大学卒業生の出身学部別給与 2019-2020年データ(3)
機械工学部卒業生のサラリーは約10万ドルであり、学位が高くなると給与も上がる傾向にある。
ダイバーシティ、エクイティ、インクルージョン(DEI)
人種、経済状況、文化背景が大きく異なる人々が社会を構成している米国の深刻な状況を表すには、「多様性」という訳語ではまれに説明不足の感があるため、ここではあえてDEIを使うことにする。パンデミックの始まりに前後して起こったいくつかの人種差別事件によってDEI問題が改めて顕在化した。
米国国勢調査局(Census Bureau)(4)によれば、2019年時点で、約75%の機械技術者が白人、11%強がアジア人、以降黒人、他の人種が続く。また男性技術者の総数は女性の約10倍である。
理科系の専攻では極端な男女比が見られることがまだ多いように思う。筆者の所属する機械工学学部教育の現場では約30%が女子学生であり増加傾向にある。ちなみに医用生体工学(Biomedical Engineering)では男女比は拮抗している。
DEIは社会や家庭など本人の努力の及ばない要因によって教育や就業の機会を失うことを是正するものである。また周囲の人々の意見に左右されることや、本人の思い込みによる「暗黙の偏見」による機会の損失という問題も含め、いわゆる「フェアの精神」に基づき、人種、年齢、性別などの要素を排除して、能力を評価するべきという考えである。もし応募者全体の人種構成と採用者の人種構成が異なっているのであれば、そこで合理的な説明がされなければならない。一方で、能力以外の要素を加算して結果を操作することも「フェア」ではない。人事担当者はDEIに関するセミナーを定期的に受け、公正な評価ができる訓練をすることが推奨されている。
写真1 ジョージア工科大学での研究教育の様子
米国特有の事情と機械技術
経済成長と外交リスクを切り離すために半導体をはじめとする製造業の米国回帰の動きが加速しており、金属3次元積層造形(Additive Manufacturing)やIndustry 4.0(次世代オートメーション技術)を取り込んだ大きな流れとなっている。特に後者はITやAI、人間支援技術も含む学際的分野である。ジョージア工科大学では学生はメジャー(この場合機械工学専攻)に加えてマイナーを選ぶことができるが、最近はマイナーに計算機工学を選ぶ学生が多い。
また国土保全の観点から、超音速熱流体解析、そのためのエネルギー、物性および計測技術への開発投資が盛んになっている。
大学院プログラムは連邦政府研究資金の潤沢さに影響を受けるが、ここしばらくは上に述べた生産、熱流体、物性分野のアクティビティが高い。
広大な国土を移動するための航空および自動車産業、食糧を自給するための農業、国土保全のためのインフラおよび防衛、最先端テクノロジーを支える生産技術、そして3億を超える国民を支える医療技術、どれもが「モノ」を介したサービスである。米国が今後も継続的に発展するには、生活に直結した物理現象についての工学である機械技術が不可欠であることに異論はないであろう。
参考文献
(1) 米国労働省労働統計局, Employment outlook for engineering occupations to 2024, (Oct. 2016).
(2) Kosowatz, John. BY THE NUMBERS: MECHANICAL ENGINEER SALARIES RISE, ASME Magazine(2019), pp. 28-29.
(3) Georgia Institute of Technology, Office of Academic Effectiveness, Career and Salary Survey, 2019-2020.
(4) 米国国勢調査局, https://datausa.io/(最終参照日2021年11月16日).
上田 淳
◎ジョージア工科大学 機械工学科 教授
◎専門:制御,アクチュエータ,バイオロボティクス
キーワード:機械工学、機械技術のこれからのあり方