特集 機械工学、機械技術のこれからのあり方
次世代CPS開発における機械工学
はじめに
デジタル技術とデータを基軸とし、従来の産業の姿が大きく変わろうとする第4次産業革命の動きが広がりを見せている。自動運転・自律制御、ロボットやドローン、AIやサイバーフィジカルシステム(CPS)が続々と「社会に実装」され、データが資源化されることで、デジタルによるビジネスモデルの革新と生産性向上はさらに加速することが予測されている。東芝はCPSテクノロジー企業として、強みとするコンポーネントやシステムをIoT技術によりエッジ化して、データを収集し、サイバー空間上にデジタルツインを構築する。AIを活用して、データを分析し、フィジカル空間にフィードバックすることにより、コンポーネントの動作やシステム運用を高度化することを目指している。フィジカルとサイバーを融合させることによって生まれる新たな価値を提供するためには、フィジカルで収集されるデータの質が重要となる。ここでは東芝の研究開発センターで開発に取り組んでいる、自動運転システムで重要な役目を担うLiDAR(Light Detection And Ranging)システムと、高精度ジャイロセンサをモチーフとして紹介し、機械工学との関わりを考える。
ソリッドステートLiDARシステム
自動運転や社会インフラ監視に不可欠な「目」の役割を担う距離センシング技術がLiDARである。LiDARは、レーザ光を物体に反射させ、戻ってくるまでの光子の飛行時間(ToF: Time of Flight)を計測して距離を測る技術で、遠方までの周辺環境を高解像度の3次元点群データとして把握することができる。レーザ光を用いることから、一般的なカメラと異なり、暗闇、霧、雪など視界不良の状況にも強く、長距離の監視が可能である。レベル4以上の自動運転システムには周辺の環境の変化にいち早く気づけるよう、より広い範囲を、より高解像に察知できる測距センサが不可欠である。さらに、集中豪雨時の斜面崩壊や大雪による積雪などの検知、道路や建物内などにおける落下物の監視など、高精度なインフラ監視を実現する技術としても期待が寄せられている。こうした重要性から、LiDARの市場総額は2019年度の16億ドルから年率19%の成長が見込まれている(1)。
LiDARの測距方式には、CMOSイメージセンサを用いたカメラとほぼ同じ原理であるフラッシュ型I-ToF(Indirect-ToF)方式と、レーザを走査して計測を行うスキャン型D-ToF(Direct-ToF)方式がある(図1)。フラッシュ型は高解像度と低コストを実現しやすいものの、レーザの最大出力はアイセーフ規格※によって厳密に制限されているため、光を拡散してしまうフラッシュ型は測距範囲の点からスキャン型に比べ圧倒的に不利である。さらにスキャン型LiDARの受光素子として一般的に用いられるSiPM(Silicon Photo Multiplier)は、I-ToF方式で用いられるAPD(Avalanche Photodiode)に比べ受光感度が遥かに高い。故に自動運転向けのLiDARにおいては、スキャン型D-ToF方式LiDARの小型・低コスト化および高解像度化に各研究開発機関の力が注がれている。
図1 LiDARの方式比較
従来のスキャン型D-ToF方式のLiDARでは、3次元(2次元方向にスキャン+奥行1次元)の測距画像を得るために、機械式の回転ミラーで2次元方向のスキャンを行う。この際に、レーザ光を出力する投光側だけでなく、ターゲットからの反射光を受ける受光側も、同一の回転ミラーでスキャンして、受光側の光の経路を投光側に揃えておかなければならない。これがスキャン型LiDARの小型・低コスト化を妨げている大きな原因となっている。さらに、より遠距離の計測に向けて受光素子に入る光量を増大させるためには、受光側のレンズとミラー面を極力大きくしなければならない点も、小型・低コスト化に向けた課題である。
これに対して当社は、スキャン機構を内蔵した2次元受光アレイを用いた独自のソリッドステートLiDARシステムを実現した(2)。当社のシステムでは、高感度なSiPMが1次元ではなく2次元配列されている。それぞれのSiPMに内蔵された画素選択回路により、反射光を受けるSiPMのみをオンにし、他のすべてのSiPMをオフにすることで、2次元アレイ内の任意の場所に照射された反射光をすべてリアルタイムで捉えることができる。これにより受光側で必要なスキャン機能が受光アレイに内包されることになるため、回転ミラーによるスキャンは不要となる。一方、依然として投光側には何らかのスキャン機構が必要であるが、高輝度、小口径のレーザのスキャンはMEMS(Micro Electro-Mechanical Systems)ミラーで十分に対応できる。こうして大型かつ高価な機械式回転ミラーをシステムから取り除き、完全にソリッドステート化された小型・低コストのシステムが実現可能となる(図2)。
本技術の採用により最長測定距離200mを保ったままで、当社従来比で1/3のサイズとなる約350cc、および、4倍の解像度となる1200×80画素を実現した(図3)。さらに独自のデバイス温度補正技術を組み合わせることにより、振動・風圧・気温変化などが厳しい環境においても高い性能を維持できることを確認した(3)。
図2 当社のソリッドステートLiDARシステム
図3 開発した小型ソリッドステートLiDARシステム
本システムの心臓部は、SiPMとその画素選択回路を高密度実装する2次元受光アレイデバイスであり、そのコアとなる技術は半導体プロセス技術や回路設計技術である。本技術の狙いは可動部を有するメカニカルなシステムから機構部分を除去し、ソリッドステート化により小型・低コスト化することであり、そうした観点では一見、機械工学の活躍の場を縮小する流れに見えるが、決してそうではない。例えばSiPMの高密度実装を可能とする半導体プロセスの確立には、ナノスケールの構造解析をベースとしたプロセスシミュレーションが欠かせない。ポリゴンミラーの代わりとなるMEMSミラーもいまだ発展途上なデバイスであり、その性能向上にはマイクロメカニクスに立脚したイノベーションが欠かせないだろう。
高精度ジャイロセンサ
近年、情報通信サービスに対象物の位置情報を新たな付加価値として組み入れることで、新規のサービスを創出する取り組みが盛んになっている(4)。こうした背景を受けて、倉庫や工場内での作業者や無人搬送機の位置計測、インフラ点検や農作業無人化に向けたドローンの精密姿勢制御、モビリティの自動運転など、さまざまな対象物の位置や姿勢を精密に計測する技術が切望されている。この際、屋内やビルの谷間、トンネル内など、GPSが利用できない環境においても安定して測位を継続できる技術として有望なのが、主に船舶・航空・衛星・防衛の分野で使用されている慣性航法技術である。同技術に用いられる、加速度センサやジャイロセンサを組み合わせた慣性計測装置(Inertial Measurement Unit: IMU)の市場総額は2019年度の32.3億ドルから2025年度には42.6億ドルに拡大すると予想されているが、中でもロボット、AGV(Automatic Guided Vehicle)、ドローン、自動運転車などの産業分野の新規市場は年率10.5%という高い伸びが期待されている(5)。
しかし、航空・防衛用途向けの一般的な高精度IMUのサイズは概ね数10cm角程度と大きく、価格も〜数千万円程度と極めて高価であるため、新規市場への適用に求められるようなサイズ感、価格帯との間にミスマッチが存在する。スマートフォンなどに用いられているMEMSのIMUを代替的に用いるケースも多いが、現状のMEMS-IMUは航空・防衛用途のものと比べて極めて精度が悪く、対象物の高精度な測位は期待できない。
そこで東芝では、フーコーの振り子の原理を利用して対象物の角度を直接検出する高精度ジャイロセンサ(Rate Integrating Gyro: RIG)の開発に取り組んでいる。当社は2020年、MEMS技術でチップ化した角度直接検出型ジャイロセンサを、世界に先駆けてマイクロコントローラーベースのモジュールとして動作させることに成功した(図4)(6)(7)。角速度を出力する従来のジャイロセンサでは、角度を求める際に積分演算を行うため演算誤差が累積するのに対し、RIGは角度を直接検出できるため、高精度化が期待できる。MEMS技術を用いて形成した2次元振動子をフーコーの振り子として動作させるためには、振動子のX 方向と Y 方向の共振周波数と減衰係数が完全に一致している必要がある。可変抵抗ダンパシステム(8)を採用し、振動子内の所定の電極にDC電圧を印加することで減衰定数のミスマッチを電気的に補正するなど、独自の非対称性補正技術により振動子のRIGとしての動作を実現した。
試作したプロトタイプモジュールを用いて、鉄道模型と歩行者の屋内測位実験を行った(図4)。その結果、前者は総移動距離に対して0.5%、後者は1.8%程度の誤差量となり、既存のMEMSレートジャイロ(RG)を用いた測位よりも誤差を抑圧できた(図5)(9)。その後、更なる精度改善に向けた開発を進め、最新の試作モジュールにおいては、地球の自転(12.4dph@北緯35°)を十分に検出可能なレベルの高精度化を実現した(図6)(10)。これは、GPSや画像、地磁気などの周囲情報を一切用いずに絶対方位角の計測を行う“真北測定”への適用が視野に入る性能である。
図4 開発したマイコンベース小型RIGモジュール
図5 RIGモジュールによる屋内測位実験
図6 RIGモジュールによる地球自転の計測
本開発のキーとなる技術は、MEMSの振動子を所望の精度で動作させるための多自由度系の機械制御技術である。2次元振動子のリアルタイムフィードバック制御に加えて、非対称性の補正や温度変化による補正などの複数の制御を並列的に実施することが求められる。一方で、制御対象であるMEMS素子の共振周波数や共振モード形状を制御可能な領域に設定するための構造解析・設計技術も同様に重要である。こうした機械工学的な技術に加えて、小型かつ低ノイズなモジュールを実現するための回路技術、MEMSの振動子をバラツキ少なく製造し、高真空度で真空封止するための製造・実装技術、さらに角速度ではなく角度を出力するジャイロセンサ特有の測位アルゴリズムを実現する信号処理技術など、複数の学術分野に属する多様な技術を複合しなければ、IMUとしての要求性能を達成することはできない。こうした異分野融合的な開発を遂行するために、当社では、機械工学、電気工学、物理工学といった多様なバックグラウンドを有し、研究所や事業部、工場などさまざまな職場経歴を有するメンバーを一つのチームの元に集結させ、相互の技術分野を学び合いながら開発を進めている。
まとめ
半導体の微細化を始めとしたスケーリングに基づく研究開発の限界が徐々に見え始める近年、従来の「研究→開発→製造→販売」という垂直統合の流れに基づくリニアモデルの研究開発からは新たな付加価値が生まれにくくなっている。各技術分野の専門家が、各々の専門分野に閉じこもってひたすらに専門性を磨くだけでは、こうした状況変化に対応することは難しい。昨今のDX社会においては、各技術領域で確立された個々の要素技術を、これまで誰ひとり思い付きもしなかったような新たな付加価値によって束ね、システムとして作り上げていく技術や取り組みが極めて重要になっている。
東芝は、デバイスからソリューションまで、1社でCPSに必要なすべての技術をカバーする世界でも数少ない企業の一つである。あらゆる技術領域の知見を有するという優位性を有する反面、自前主義に陥ったり、社内で技術的競合や利益相反が発生しかねないというリスクがある。新たな付加価値を生み出すために、異なる事業分野をバックグラウンドとした多様な技術をいかに融合させていくかは、当社に留まらず、今後の多くの企業にとっての共通の課題となっている。ものづくりに限らずサービスの創出でも機械工学、機械工学技術者が必要となるケースは極めて多く、技術者一人ひとりが高い視座で社会の変化を見つめ、技術の交流の輪を広げていくことが期待されている。
本成果の一部は、国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の助成事業の結果得られたものである。
※ 目に障害を与えないレーザー光強度については、使用者への傷害を防止するために国際電気標準会議(International Electrotechnical Commission: IEC)などで安全基準が決められている。レーザ製品に関する国際規格に「IEC 60825-1」があり、IEC加盟国に共通の安全基準となっている。
参考文献
(1) Yole Développement, LiDAR for Automotive and Industrial Applications report(2020).
(2) T. T. Tuan, A. Sai, et al., A 2D-SPAD Array and Read-Out AFE for Next-Generation Solid-State LiDAR, IEEE Symp. on VLSI Circuits 2018.
(3) 東芝プレスリリース, 世界最小サイズ・最高画質で最長測定距離200mのソリッドステートLiDARを開発, https://www.global.toshiba/jp/technology/corporate/rdc/rd/topics/21/2106-03.html(参照日2021年10月18日).
(4) シード・プランニング, 屋内位置情報サービス市場の動向と将来展望2020(2020).
(5) Yole Développement, High-end Inertial Sensors for Defense, Aerospace, and Industrial Applications(2020).
(6) R. Gando et al., A Compact Microcontroller-based MEMS Rate Integrating Gyroscope Module with Automatic Asymmetry Calibration, Proc. IEEE MEMS 2020.
(7) S. Kaji et al., A <100 ppb/K Frequency-Matching Temperature Stability MEMS Rate Integrating Gyroscope Enabled by Donut-Mass Structure, Proc. IEEE MEMS 2020.
(8) R. Gando et al., A MEMS Rate Integrating Gyroscope Based on Catch-and-Release Mechanism for Low-Noise Continuous Angle Measurement, Proc. IEEE MEMS 2018.
(9) 小野 大騎, 丸藤 竜之介, 加治 志織, 増西 桂, 小川 悦治, 宮崎 史登, 平賀 広貴, 太田 寛, 板倉 哲朗, 冨澤 泰, 角度直接検出型・高精度MEMSジャイロセンサの小型モジュール開発および位置推定の実証, 第11回マイクロ・ナノ工学シンポジウム講演論文集(2020), 26P2-MN2-3.
(10) F. Miyazaki et al., A 0.1 deg/h Module-Level Silicon MEMS Rate Integrating Gyroscope using Virtually Rotated Donut-Mass Structure and Demonstration of the Earth’s Rotation Detection, Proc. Transducers 2021.
小島 章弘
◎(株)東芝 研究開発センター 先端デバイス研究所 バックエンドデバイス技術ラボラトリー 室長
◎専門:半導体デバイス/プロセス技術
<フェロー>
冨澤 泰
◎(株)東芝 研究開発センター 先端デバイス研究所 バックエンドデバイス技術ラボラトリー 研究主幹
◎専門:MEMS、マイクロメカニクス、センシングシステム
吉川 宜史
◎(株)東芝 研究開発センター 情報通信プラットフォーム研究所 IoTエッジラボラトリー 室長
◎専門:システムLSI技術
キーワード:機械工学、機械技術のこれからのあり方