特集 第100号を迎えた「機械遺産」
機械遺産前史
はじめに
今や本会の機械遺産認定事業は、本会と一般社会を結ぶ架け橋として、学会活動の大きな柱となっている。当初から委員として関わってきた筆者にとって誠に感慨深いものがあるが、この機械遺産認定事業は突然として生まれたものではない。2007年の機械遺産認定事業がスタートするに至るまでに、長い助走路があったことをこの紙面を借りて記録として残しておくこととしたい。
日本機械学会関西支部の産業記念物調査
筆者の知る限り、機械工学、機械技術に関する歴史に着目し、その歴史資料の調査を本学会で最初に行ったのは本学会関西支部の機械技術フィロソフィ懇話会の産業記念物調査実行委員会(委員長 石谷清幹)である。この1985年の産業記念物調査は、関西支部創立60周年記念事業として、関西支部の特別員会社(第4区)を対象にして、アンケート形式で調査が実施され、結果は「特別員会社(第4区)の産業記念物調査集計表」としてまとめられた。
機械工学史研究分科会の産業記念物調査
関西支部の産業記念物調査の成果に触発されて、1990年に機械工学史研究分科会(主査 三輪修三)によって、全国の学会特別員会社に対して、関西支部と同じ内容の産業記念物に関するアンケート調査が実施された。しかし集められた回答データはしばらく整理されていなかった。筆者はその頃、トヨタ財団の助成を得て、産業遺産データベース構築の研究を行っていた。その研究の過程で事例研究として、産業記念物の回答データをデータベース化し、「企業の博物館・資料館リスト」、「社史リスト」、「産業記念物リスト」として整理した。この成果は『日本機械学会特別員産業記念物調査』(1994)として発行された。この時のリスト化された企業の博物館・資料館データは73件、社史などのデータが411件、産業記念物は2,831件であった。
創立100周年記念事業委員会の機械記念物調査
1990年の産業記念物調査の後、1997年の学会創立100周年を迎えるにあたり、1994年に創立100周年記念事業委員会が設置された。その委員会下の技術文化資料の保存活動小委員会(委員長 前田清志)によって、全国の企業を始め大学・研究機関、博物館・資料館を対象にした大規模な機械記念物に関する調査が実施された。筆者はこの調査においても、集められた調査データのデータベース化の作業を行った。その成果は『機械記念物調査報告書』(1997)としてまとめられた。この時のリスト化された機械記念物データは会社関係で4,386件、博物館や大学関係のものを含めると約8,000件であった。
本会は、100周年記念事業として膨大な機械記念物データの中から工作機械関係に的を絞り、特別に歴史的価値ある工作機械として30件を選び出し、学会認定の「機械記念物」として顕彰した。
機械技術遺産データベース
1997~1998年、新エネルギー・産業技術総合開発機構〔委託 (社)研究産業協会〕から、産業技術歴史継承調査の一環として「国内産業機械技術の独創性と創造性の調査」が本会に委託され、調査研究委員会(委員長 前田清志)が組織されて、「機械技術遺産データベース」を構築することとなった。データベース化の基となったのは、前述の機械記念物データである。機械記念物から機械技術遺産へと呼称を変更したのは、「遺産」には世界遺産に代表されるように、歴史的に価値あるものという意味に加えて、「未来に継承すべき価値あるもの」という意味があったからである。
2年間にわたる調査研究の成果は、写真付きの機械技術遺産データ530件が『機械技術遺産データベース-平成10年度産業技術・歴史継承調査-』(1998)としてまとめられた。
この機械技術遺産データベースをもとにして、2007年の「機械遺産」25件の選定作業が行われた。
<正員>
石田 正治
◎名古屋芸術大学
◎専門:機械技術史、機械工作法、技術教育学
キーワード:第100号を迎えた「機械遺産」
表紙の説明:これは、推力5tonターボファンエンジンFJR710形で、右からファン、圧縮機、燃焼器のケーシング部分である。1975年に通商産業省工業技術院の大型工業技術研究開発制度によって開発された。ブラッシュアップしたエンジンは、短距離離着陸ジェット機(STOL)飛鳥に4基搭載され500mで離着陸できた。
[日本工業大学工業技術博物館]