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2020/12 Vol.123

表紙の説明:これは、推力5tonターボファンエンジンFJR710形で、右からファン、圧縮機、燃焼器のケーシング部分である。1975年に通商産業省工業技術院の大型工業技術研究開発制度によって開発された。ブラッシュアップしたエンジンは、短距離離着陸ジェット機(STOL)飛鳥に4基搭載され500mで離着陸できた。
[日本工業大学工業技術博物館]

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特集 第100号を迎えた「機械遺産」

用語“機械遺産”の誕生と第1回の「機械遺産」認定

堤 一郎(茨城大学)

はじめに

2006年8月の「機械の日・機械週間」新設に続き、翌2007年8月に本会創立110周年記念の一環として開始された「機械遺産」の認定は年々知名度が高まり、多くの会員を始め市民からも関心を持たれていることは誠に喜ばしい。そして2020年8月でこの認定は第14回を迎え、その数も104件にのぼった。

今回の本誌特集号に際し当初を振返りながら、「機械遺産」という用語の誕生と第1回の「機械遺産」認定に至る経過について、記憶を辿りながら改めて概要を記してみたい。

用語“機械遺産”の誕生

社会的にも定着した「機械遺産」という用語は、いつ頃から使われ始めたのであろうか。このことを明らかにするため、技術史分野での雑誌などに連載された記事を遡って調べてみたところ、その背景となったものを幾つか見出すことができた。これらを次に示す。

1:技術史散歩(山崎俊雄):「技術と経済」、1968-9より連載開始、1990-4 (No.278)が最終号。

2:機械記念物めぐり(山崎俊雄):「はぐるま」、1977-7頃より連載開始、1988-10 (No.127)が最終号。

3:技術史の旅(飯塚一雄):「日立」、1975-2より連載開始、1996-2 (No.216)が最終号。

執筆者はいずれも技術史や産業考古学の専門研究である。連載は20年にもわたるものがあり、これらに共通することは「現地に赴き・現物を観察し・現状を分析し・文献により詳細な内容を記述」していることである。このポリシーは現在でも、「機械遺産」候補の現地調査に継承されている、大切な基本的事項である。

ところで上記の連載記事に「機械記念物」は出てくるものの、「機械遺産」は見出せない。記念物は親しみ易いのか比較的よく使われ、例えば旧国鉄では日本の鉄道にとって歴史的に意義ある事物・資料・場所などを、1958年から鉄道記念物(1号機関車など)、1963年から準鉄道記念物(国産アプト式鉄道など)として、いずれも鉄道記念日(10月14日;現在は鉄道の日)に指定していた(1)。現JR各社にもこの制度は継承され、中でもJR西日本はこのことに熱心で、登録鉄道文化財のカテゴリーを新設し、各支社内での鉄道文化財保存を地道に進めるとともに、社内教育にも成果を活用している。

文化庁では1990年から、国内の都道府県を対象に近代化遺産総合調査を開始し、主に建築物や構造物などの実態把握と将来的な指定に向けた基礎資料群の構築を続けてきた。これとは別に同庁では、美術工芸品、仏像、絵画・彫刻などとは異なり、産業面において歴史的意義を見いだせる事物や資料を、「歴史資料」として文化財指定の対象とする施策を1997年から開始し(2)、今日に至っている。さらに周知の世界遺産も、日本では1993年に「法隆寺地域の仏教建造物等4件」がユネスコにより初登録され、これ以降「〇〇遺産」という用語がマスコミでもよく使われるようになった。

1997年6月に創立100周年を迎えた本会では、その記念事業の一環として機械技術に関する文化資料の保存活動を行うことになり、全国の企業、研究・教育機関、博物館などの協力を得て、「機械記念物」の資料蓄積(約8000件)と系統的な整理を行い、成果の一環として1997年7月に『機械記念物-工作機械編-』を発行した(3)。

同年、英国機械学会から『機械工学のアーカイブ』、米国機械学会から『ランドマーク』が発行され、これを契機に先の蓄積資料を再検討し、日本の近代化を推進した機械分野の代表的記念物を1冊に纏め、機械とその記念物の果たす社会的役割の重要性を発信し、将来的な認定を目途にした活動が提案された。この成果が、2000年12月に発行された『日本の機械遺産』である(4)。同書の編集委員会において、機械分野の記念物名称について検討し、最終的に「機械遺産」とすることに決定した。当時の編集委員長は玉川大学の前田清志教授であり、筆者も委員の1人としてその下準備を担当した。

第1回の「機械遺産」認定

本会初の「機械遺産」認定が実現するまでには2年間の準備期間が必要であり、それは概して次の経過を辿った(5)。

1:2005年5月の第83期評議員会で学会創立110周年記念事業委員会設置を承認、同年7月に同事業委員会が機械遺産小委員会を設置、同年11月に第1回小委員会が開催された。ここで、認定に向けたスケジュール、理事会で検討中の「歴史的遺産」指定基準の確認を行い、(1)選定のカテゴリー、(2)選定年代の区切り、(3)選定数、を次のように決定した。(1)は昭和30年代の本会部門委員会区分、機械工学便覧などの項目を参照、(2)は第二次世界大戦後(昭和30年頃まで)を目安、(3)はカテゴリーの網羅を前提に「30」を目途に選定、である。

2:2005年12月の第2回小委員会で、選定スケジュールを確定、監修委員会の設置、「機械遺産」認定基準(案)と現行の指定基準に、Site、Landmark、Collection、Documentsの追加を提案。この後、認定基準(案)は承認され、本会理事会での説明を経て、会員・支部・部門向けに「機械遺産」候補推薦(2006年7月末期限)を学会誌にて依頼した。「機械遺産」の名称が、学会内で承認されたことを改めて懐かしく思い出す。

3:2006年6月に本会理事会が日本機械学会「機械遺産」認定基準を承認、この認定は機械の日・機械週間(2007年8月1日~7日)で実施、その際に認定証交付・パネル展示も行うこととした。同年8月の小委員会で、本会創立100年時認定の「機械記念物-工作機械編-」掲載の29件も再認定の対象とし、さらに認定後の「機械遺産」の移設・廃棄への対応について検討した。この後、同年9月と10月の小委員会で「機械遺産」第1次候補・再調査候補を選出し現認担当委員を決定、併せて監修委員会候補者も検討、同年11月の小委員会にて監修委員会宛提出の「機械遺産」候補推薦書を審議した。

4:2007年2月および3月の監修委員会にて選定候補提案の経過説明、選定・評価基準の確認、内容説明を経て小委員会提案の「機械遺産」候補すべてを監修委員会が了承、これを受けて同年4月より認定式向けの準備を開始した。同年6月の学会創立110周年記念事業委員会への報告準備を経て、翌月の事業委員会さらに本会理事会が「機械遺産」候補25件すべてを承認し、第1回「機械遺産」認定の25件が確定した。そして同年8月の機械の日(8月7日)に、「機械遺産」認定証が交付され感謝状が授与された。

この認定は社会的に大きな反響を引き起こしマスコミ各社からの取材が相次ぎ、発行された小冊子「機械遺産」の入手希望者が本会を直接訪ねたとも聞く。当時幾つかの工学系学会で遺産認定が先行していたものの、これ程までに「機械遺産」への社会的反響が得られたのはなぜであろうか。しかも2007年8月の初回だけに留まらず、2020年8月においてもマスコミ各社が注目し報道してくれるのである。

筆者は機械が日常生活と密接に関わり、自らの人生と重複する事実を多くの人々が身近に感じたからではないかと考える。認定された「機械遺産」には、鉄道車両、航空機、内燃機関、織機、印刷機、医療機器などのほかに、日本の伝統的な高い技術文化を象徴する機巧(からくり)も含まれ、江戸時代から現代に至る連綿とした機械技術と技術文化の歴史に、多くの方々が高い関心を寄せたからではと思うのである。

日本の世界遺産はすでに13件が登録されていたものの、国民がこれに注目し始めたのは「石見銀山遺跡とその文化的景観」以降ではなかろうか。これは本会の「機械遺産」認定と同年であり、「せかいいさん」と「きかいいさん」とが文字1字の違いで、関心を寄せる人々に向けたアピール効果が相乗したとも思える。

今後に向けて

「機械遺産」の認定には1年間の短期間内に、候補の検討と選定・評価、現地調査・文献調査、推薦書の作成など、地道な努力が続く。この活動は、数人の委員で分担・実施しているのが実情であり、筆者らがそれを担当した時期もあったが、現在は後方支援役である。機械工学史・技術史分野の専門研究者が徐々に退任することで、「機械遺産」認定の継続と従来のレベル維持をどこまで保証し得るか、心を痛めている。

また、部門内の「機械遺産」関連研究会新設や、後継者育成も考える必要がある。この研究会では、新たな遺産候補の発見、現地調査と評価、文献との関連性、技術的・社会的意義の検討などを、現実に即しながらOJT方式で進めなければならない。活動から得られた成果は部門講演会で報告し、調査報告書や論文として後世に伝えていくことが大切な使命である。

社会的意義が深い本会の「機械遺産」認定はまもなく15年目を迎えるが、従来の認定制度の内容検討と、記載項目の見直しをする時期に来ていると思う。本誌にも記したが(6)、機械遺産候補のほかに準機械遺産認定を新設、文化財担当者・専門家の委員会参加、静態に加え、動態遺産への認定範囲拡大、設計書などの資料との複合化認定、既認定遺産への新規関連遺産の追加措置などを効果的に組み込むことにより、130、140、150周年に向けた「機械遺産」のレベル維持と認定の幅と深さを増すことができ、「機械遺産」でたどる機械技術史の体系化も期待できる(7)。
さらにこれまで認定された「機械遺産」の中から、重要文化財「歴史資料」が指定され、本会が国民共有の文化財候補を提示することに、極めて大きな社会的意義と使命があることを改めて実感する。

末尾ではあるが、「機械遺産」認定に対し長くご理解・ご支援を頂いた本会員と、長島昭、田口裕也、故笠木伸英、故齋藤忍諸氏を始めとする歴代会長および理事会各位、そしてこの事業を支えてくださる本会事務局の皆様にも改めて感謝申し上げます。

図 発行された機械記念物-工作機械編-と機械遺産の小冊子


参考文献
(1)堤 一郎, 近代化の旗手、鉄道(2001), 山川出版社.
(2)堤 一郎, 文化財としての鉄道車両がもつ近現代史的意義,月刊文化財, (2017), p.644, 第一法規.
(3)日本機械学会編、機械記念物-工作機械編-(1997), 日本機械学会.
(4)前田清志 編, 日本の機械遺産(2000), オーム社.
(5)日本機械学会 編, 機械遺産(2007), 日本機械学会.
(6)堤 一郎, 機械遺産が語る日本の機械技術史 第10回(最終回)今後の展望,日本機械学会誌, Vol.121, No.1201, pp.48-49.
https://www.jsme.or.jp/kaisi/1201-48/(参照日2020年9月30日)
(7)日本機械学会編、機械遺産 2007-2017 -機械遺産でたどる機械技術史-(2017), 日本機械学会.


<フェロー>
堤 一郎
◎茨城大学 教育学部技術教育教室 元特任教授/非常勤講師、
日本工業大学工業技術博物館 特別研究員
◎専門:技術教育、技術史教育、産業技術史

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