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2020/8 Vol.123

表紙の説明:これは、1925年頃に米国のヘンディー社で製造されたベルト掛け段車式普通旋盤の主軸台の換え歯車装置部分である。右下には3段の送り速度群変換装置を装備し、さらに奥には12段のノルトン式送り速度変換装置を装備する。2つのレバー操作で簡単に36段変速できる。
[日本工業大学工業技術博物館]

表紙写真 北原 一宏

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統計で読む“経済・産業の動き”

第8回 日本経済の歩み(3)-プラザ合意以降アベノミクスまで-

―景気の動きをつかみ、景気の山谷を決める―

戦後の日本経済において、大きな節目の一つといわれるのが1985年9月のプラザ合意である。円が短期間に240円から120円に急騰した。円の価値が2倍になったわけである。2008年9月にはリーマン・ショックが発生した。これも短期間のうちに輸出や鉱工業生産が大きく減少した。

プラザ合意

戦後の日本経済の大きな節目のプラザ合意をみることにしよう。アメリカではレーガノミックス(レーガン大統領の一連の経済政策で、柱は大減税と財政支出の大幅増)により金融が逼迫し、金利の上昇からアメリカに資金が引き寄せられドル高となった。財政赤字と経常収支赤字の「双子の赤字」のもと、ドル高を「アメリカの強さの象徴」と言っていたものの、国際競争力低下による貿易収支の大幅な赤字に音を上げ、米国はG5(先進五カ国蔵相会議)でドル安誘導を狙った。

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