令と和の産学連携
地方都市活性化に向けた「官」の役割とは-地域産業の復活を果たしたいわき市-
化学工業などの基礎素材型産業や、製缶業や溶接業などの金属加工業が盛んな福島県いわき市。もともとは石炭産業で栄えた街だったが、炭鉱閉山以降は産業構造を転換させながら、多くの苦難を乗り越え、発展してきた。近年では、産業集積による優位性を生かし、バッテリーや風力発電などの産業振興にも力を入れる。地方都市活性化の秘訣とは。公益社団法人 いわき産学官ネットワーク協会(以下、ICSN)の事務局次長 荒木学氏に聞いた。
(聞き手 周藤 瞳美)
(公社)いわき産学官ネットワーク協会
事務局次長 荒木 学 氏
石炭産業から製造業へ——いわき発展の歴史
——いわき市の産業構造の変遷について教えて下さい。
いわき市は、1856年の石炭発見から1976年の炭鉱閉山まで、120年にもわたる石炭産業の歴史を持っています。また、石炭産業の繁栄に伴い、商業やサービス業、金融業も19世紀後半あたりから盛んになります。戦後復興期の石炭生産の重点化や朝鮮戦争特需などもあり、浮き沈みがありながらも石炭産業は長らくいわき市の中心産業となっていましたが、石炭から石油へのエネルギー転換が起こった1960年代の「エネルギー革命」により、石炭産業は右肩下がりになっていきました。
一方で、1930年代頃からは小名浜港周辺を拠点として重化学産業の誘致が行われてきました。日本水素工業(日本化成→三菱ケミカル)や昭和人絹(現・クレハ)の設立はその代表事例です。そして、いわき市が新産業都市の指定を受けて国などが工業団地を整備したことにより、化学・非鉄金属・セメントといった基礎資材型産業が展開していきました。また、1970年代のオイルショック以降には、電気機器などの加工組立型産業が内陸部の好間工業団地を中心に発展していきます。このようにしていわき市は、石炭産業から製造業へと軸足を移してきました。
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表紙の説明:1931 年に米国のブラットフォード社で製造されたベルト掛け段車式普通旋盤の主軸台の換え歯 車装置部分である。当時は、段車の 付いた主軸端に小歯車を装着し、1、2段減速し、その都度、換え歯車表 を見て歯車を掛け替えて、送り速度 やねじのピッチを換え作業した。
表紙写真 北原一宏
撮影地協力 日本工業大学 工業技術博物館