特集 プロフェッショナルとしての技術者 -子供たちが夢見る職業か?-
大学・大学院における技術者教育(機械系の事例)
はじめに
新たな価値創造に貢献するための技術者教育
生産年齢人口の減少や労働生産性の低さといった深刻な課題を抱える我が国では、科学技術をもって社会に貢献できる有為な人材が不可欠である。そのため、技術者の育成に携わる大学および大学院には、新たな価値創造の原動力を生み出すような教育研究が求められている。こうした変革の潮流は、中央教育審議会による学士課程教育の質的転換答申(1)と無関係ではない。すなわち、技術者教育においても、主体的学修の促進、実質的な学修時間の増加、学修成果の可視化などへ取り組む必要があり、それらをいかに活用して優秀な人材を輩出するかが問われている。
このような技術者教育を実現する上で鍵となるのは、学ぶ側に求められる主体的な学修活動である。あらゆる機会を利用して学生を能動的な学修へと導き、それによって個々人の能力やスキルを引き出していく教育が目指すべき方向となろう。
機械系における技術者教育の体系
学士課程、大学院修士課程での教育プログラム
以上の背景を踏まえて考えると、機械工学を専攻した若者が、これから持続可能な社会を担っていくために獲得するべき能力は、「専門知識を活用した機械システムの創出によって未知の時代を切り拓いていく能力」と整理できるのではないだろうか。この能力を具体的に記述するためには、まず機械工学の専門知識が示す範囲を明確にしておく必要がある。例えば、日本学術会議がとりまとめた「大学教育の分野別質保証のための教育課程編成上の参照基準 機械工学分野」(2)に従うと、機械工学の専門教育は、力学を基盤学術とする認識科学、ならびに個々の要素を統合して調和のとれた機能を引き出すための設計科学の両面から捉えることができる。前者は、いわゆる4力学(材料力学、機械力学、流体力学、熱力学)として扱われる原理的知識体系を指し、後者は具体的な「もの」を創造する方法論としての設計、生産、加工、制御などを指している。このことからも明らかなように、一般に機械系の学士課程教育においては、教養教育とバランスを取りながら4力学を中心に主要な設計科学を配置することで、専門教育の枠組みがデザインされている。なお、教養教育と称したが、そこには自然科学、情報技術、語学などとともに、社会との接続を意識した倫理観や大局的視点に関する教育も含まれる。
この枠組みにおいて涵養される能力は、主として、学力の三要素が指摘するところの「基礎的な知識・技能」に相当するものである。もちろん、技術者には、知識・技能を活用して未知の時代を切り拓いていくための「思考力・判断力・表現力等の能力」が必要であり、それらの修得に関しては、最終学年で実施される卒業研究が質・量の面で重要な役割を果たしている。また最近では、PBL(ここではProject-Based Learningの意味で用いる)をカリキュラムに組み込む大学が増えており、卒業研究へ進む前に、思考力・判断力・表現力を学修する機会が設定されている場合も少なくない。さらにPBLは、学生が自ら課題を設定し、他者と協働しながらプロジェクトを遂行することに重点が置かれているため、「主体性・多様性・協働性」の学修にも適している。言うまでもなく、対人関係の基礎となる協働の力は、社会活動を進める上で不可欠な要素であるが、学士課程の限られた時間内でこれを身に付けることは容易でない。この問題を解消するためにも、周到に設計されたPBLの導入は重要である。
機械系技術者教育を学士課程におけるカリキュラム構成の立場から体系づければ、おおよそ上に示したような構造がとられていると考えられる。ただし、ここで重要なことは、体系的に設計されたカリキュラムを学修教育目標と関連付け、実効的な教育プログラムとして運用することにある。工学分野では、学修教育目標の設定から達成まで含めた質保証が日本技術者教育認定機構(JABEE)によって行われており、JABEE認定プログラムとして学士課程教育を設計することも選択肢の一つである。
平成30年度学校基本調査によれば、工学分野の大学院進学率は36.8%であり(3)、大学院修士課程修了者の多くが企業へ就職している状況を考えると、技術者教育の観点から大学院教育の充実を図っていく必要がある。特に修士課程教育においては、修士論文の作成を目的とした研究指導に多くの時間があてられているため、その教育効果を技術者教育と関連付けておくことは大切である。すなわち、論文研究への取り組みは、専門知識の深い理解に留まらず、問題解決力やコミュニケーション力などの向上に重要な役割を果たしており、研究活動を通じた学部学生への指導や対外的な交渉は、協働性やチームワーク力といった対人能力の涵養につながるものである。このことは、修士課程での研究活動が高度な技術系人材の育成手段として位置づけられることを意味している。さらに、修士課程教育における学修成果の評価手法が構築されていることも重要である。指導教員個人の評価や研究成果のみの評価に限定されがちであった状況を見直し、適切な評価基準・評価尺度に基づく達成度評価(ルーブリックなど)を導入していくことが求められている。
技術者教育におけるアクティブ・ラーニング
反転授業による主体的学修への取り組み
前章で示した4力学と設計科学から成るカリキュラム構成は、従来のそれと大きく変わるものではないが、社会的要請の変化や学修環境の発展に伴い、技術者教育の方法にはさまざまな工夫が見られるようになった。PBLもその一つと言えるが、機械系の教育では、伝統的に設計製図、実験、卒業研究などの体験を通した学びが重視され、最近関心の高まっているアクティブ・ラーニングも積極的に取り入れられる傾向がある。そこで本章では、アクティブ・ラーニングの一例として反転授業(Flipped classroom)への取り組みを紹介する。
反転授業は、従来教室で行われていた基礎知識に関する講義を予習ビデオなどで事前学習させ、知識の定着や活用を教室でのアクティブ・ラーニングによって達成させる教授方法である(図1)。特に、理工系科目は伝達するべき知識量が多く、教室での演習やディスカッションに十分な時間を割くことが難しいため、反転授業の導入効果は高いと考えられている。ただし、事前学習が前提となるため、予習を促すように授業をデザインする必要がある。
図1 反転授業の構成
図2は、筆者が行っている反転授業について、2016年度と2018年度の予習時間を比較したものである。60名程度のクラスサイズであるが、対面授業との関連や予習の比重などに配慮して事前課題の改善を進めた結果、予習時間を大幅に延ばすことができた。また、対面授業では学生自身で考える時間や議論する時間が増え、課題に対して主体的に取り組む姿勢が見られるようになった。これも反転授業導入効果の一つである。ここで紹介した事例は、講義科目を対象とした反転授業であるが、実験や実習などの体験型科目においても、実験方法や機器の操作方法などを予習課題として与えることで、本質的な学修活動に十分な時間をあてることが可能になる。このように、授業改善に向けた工夫の余地はまだ残されており、技術者教育プログラムの中にPBLや反転授業といったアクティブ・ラーニングを適宜配置していくことが、これから益々重要になると思われる。
図2 反転授業導入による予習時間の推移
これからの技術者教育に求められる課題
AI社会に対応できる技術系人材の育成を目指して
2018年11月に文部科学省から「2040年に向けた高等教育のグランドデザイン(答申)」が公表され、2019年6月には政府の統合イノベーション戦略推進会議において「AI戦略2019」が決定された。いずれもSociety5.0の到来を見据えた人材育成に重点が置かれており、AI社会を支える能力や、SDGsに掲げられた諸課題を解決できる能力を育成することが大学に期待されている。こうした要請に応えるためには、従来の技術者教育に分野横断的な教育を取り入れ、そのうえでAIの利活用に不可欠な知識とスキルを修得させる仕組みが必要になるのではないだろうか。そのためには、これまでの枠組みにとらわれることなく、技術者教育を再構築することも一つの考え方である。これからは、学位プログラムを中心とした教育体制への転換など、学科や学部の組織を超えた技術者教育についても十分に議論し、AI社会を担う学生が主体的に関与できるような技術者教育を構築していくことが重要である。
参考文献
(1)中央教育審議会, 新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて -生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ-(答申),平成24年8月28日.
(2) 日本学術会議, 大学教育の分野別質保証のための教育課程編成上の参照基準 機械工学分野, 2013年8月19日.
(3) 平成30年度学校基本調査(確定値)の公表について, 文部科学省,平成30年12月25日 http://www.mext.go.jp/component/b_menu/other/__icsFiles/afieldfile/2018/12/25/1407449_1.pdf(参照日2019年10月15日)
<正員>
角田 和巳
◎芝浦工業大学 工学部 機械工学科 教授
◎専門:流体力学、エネルギー変換工学
キーワード:プロフェッショナルとしての技術者特集
表紙写真 北原一宏
撮影地協力 日本工業大学 工業技術博物館
表紙の機械は、本田技研工業が1959年に4輪車用エンジンの歯車を製造するために同社の鈴鹿製作所に設備導入した6ステーションを有するロータリ形のホブ盤で、米国のリーズ・ブラッドナー社製である。この工作機械は、日本の自動車産業の発展に大きな役割を果たした機械と言える。