特集 プロフェッショナルとしての技術者 -子供たちが夢見る職業か?-
SSHでの技術者教育
工学へのハードル
-森下会長が指摘する高校の課題
日本機械学会の森下信会長はJABEEによるインタビューの中で、大学進学に向けた高等学校の課題に触れて、①偏差値重視の進路指導、②「工学」への理解の低さ、の2点を指摘されている(1)。
確かに高校に「技術者教育」という概念は存在しないが、「スーパーサイエンスハイスクール」ではどうなのであろうか。ここでは、横浜市立横浜サイエンスフロンティア高等学校を取り上げてみる。
理系のエリート校
-横浜市が誇るSSH中核校の概要
文部科学省は、将来の国際的な科学技術関係人材を育成するため、先進的な理数教育を実施する高等学校などを「スーパーサイエンスハイスクール(SSH)」として指定し、2002年度より支援している。指定校は2019年度の新規指定32校を加えて、現在212校である。全国の高等学校および中等教育学校数は5,000校弱であるので、およそ4.3%にあたる理系人材育成のエリート校という位置づけになる。
横浜市立横浜サイエンスフロンティア高等学校(略称YSFH)は、「先端科学技術の知識・智恵を活用して、世界で幅広く活躍する人間の育成」を目標に掲げ2009年4月に開校した全国でも珍しい理数科の高等学校である。開校2年目の2010年度にSSHの指定を受け、2019年度は再指定(第2期)の最終年を迎えている(指定は1期5年)。SSH指定校の中でも中核校として認知されており、国内外からの視察が絶えない。また、2014年度~2018年度には文部科学省より「スーパーグローバルハイスクール(SGH)」の指定も受けたほか、横浜市教育委員会指定の「進学指導重点校」でもあり、「グローバル人材育成の進学校」としても注目されている(2017年には附属中学校を併設)。
教科「サイエンスリテラシー」
-課題探究の分野と工学との関係
SSH指定校は「体験的学習、課題研究の推進」や「科学技術、理科・数学に重点を置いたカリキュラムの開発と実施」といった取り組みを高大連携や企業連携により高度に実施することが期待されている。YSFHではオリジナルの教科「サイエンスリテラシー(SL)」が中心であり、それを支えるスーパーアドバイザー(科学者5名)および科学技術顧問(3研究機関7名、12大学25名、企業23社)を横浜市教育委員会が委嘱している(森下会長も顧問を務めている)。
SLは教科として認められた課題探究型の学習であり、理数科目(数学・物理・化学・生物・地学・情報)とは別の、2年間にわたる必修科目である。扱う分野は高校教育の枠を超えており、開校当初は「第2期科学技術基本計画」の重点推進4分野を中心とし、教育課程の見直しや教員の異動、SGHの指定などを経て、現在は①生命科学、②ナノテク材料科学・化学、③物性科学、④情報通信・数理、⑤天文・地球科学、⑥グローバルスタディーズ(社会科学による研究)の6分野が対象である(2)。
1年次SLⅠでは6分野の実習を通して課題発見力や研究の基礎となる知識や技術を身に付け、2年次SLⅡでは6分野24コースのいずれかに所属し(表1)、個人で設定したテーマについて一年間の研究のうえ、発表とまとめを行う。10月下旬のマレーシア研修では、全員が研究の成果を英語で発表する。
表1 2019年度 SLⅡ 分野・研究テーマ一覧
ちなみに物性科学分野と情報通信・数理分野にはそれぞれ「工学」につながるコースがあり、履修生徒の5割は工学部進学を目指している。またYSFHでは科学と技術、さらに文と理に境界を意識させない方針を貫いているので、理学や社会科学の研究を進めるコースでも工学志望者が2割から3割はいる(3)。つまり高校時代に興味・関心を絞って「工学」という目標に向かって集中する者もいる一方、幅広い体験を経たうえで多様な選択肢から「工学」を選ぶ者も少なくないのである。
生徒の進路動向
-進路指導方針と工学部進学の状況
YSFHの進路指導部は「夢のある進路希望」「知的感動を伴う学習活動」「自分の力で進路実現」を三本柱に、教科学習、SL、海外研修、部活動など豊富な機会を通じて生徒が自己の資質・能力を高め、興味・関心を広げて意欲的・自発的に進路実現することを優先し、偏差値重視ではない指導を進めている。
入学者選抜の結果として生徒の男女比はおおよそ3:1である。この比率は開校以来ほぼ変化がない。大学学部別進学者をみると、毎年工学部進学者が最も多く、最近は4割を前後している(図1)。ただ、男女では傾向が異なっており、1~8期のトータルを見ると男子の45.1%が工学部に進学しているのに対し、女子は14.2%に過ぎない。工学志望のリケジョ養成はYSFHにおいても課題である(4)。
図1 大学進学分野(期別)
部活動は運動部が13部、文化部が15部あるが、科学技術系の部活動は、自然科学、数学・物理、天文、理科調査研究、航空宇宙工学、情報工学、ロボット研究の実に7部を数える。SL同様に所属する部活動と進路の方向が一致しない者もいるが、生徒の興味・関心の幅広さは将来の可能性を広げている。
企業の姿勢、技術者の姿
-高校における技術者教育の可能性
YSFHは科学技術顧問を中心に多くの企業の支援を受けているが、「工学」「技術者教育」という点でいま大きな力になっているのは(株)京三製作所である。横浜市鶴見区に本社を置く信号システムのトップメーカーである京三製作所は、YSFHの物理・工学分野の活性化を願い、2017年度に創立100周年記念事業の一環として、亜音速風洞実験装置、流体解析シミュレーションソフトおよび3Dプリンター2台という高額な寄贈を行った。また上席フェローの島添敏之氏は支援の方針をまとめる一方、SLでの講義や見学受け入れなどを率先して行い、将来の技術者への期待を生徒に熱く伝えている。
寄贈された亜音速風洞実験装置などの活用によりSLの物性科学分野は強化され、工学研究への道が広がった。また2018年度からは京三製作所とYSFH共催の「3Dプリンターコンテスト」が開催されている。生徒にとって先端技術および技術者との出会いは、技術を意識、理解して自身の将来を考えるうえでの大きなチャンスである。
SSHでは科学技術関連人材の育成と言いながら、明らかに「科学」が先行している。「技術」に目を向けさせるためには何よりも工学の面白さを伝えることが重要であり、工学部出身の教員が極めて少ない中、大学研究者はもちろん、企業、そして技術者が学校現場で果たす役割は大きい。ここにこそ高校における技術者教育の可能性がある。
参考文献
(1)一般社団法人 日本技術者教育認定機構インタビュー 森下信「人材育成の場である大学が、手間をかけてでもすべきこと。」(2017年12月)
https://jabee.org/archives/portfolio-item/jabee_interview_vol03(参照日2019年10月7日)
(2)横浜市立横浜サイエンスフロンティア高等学校、菅聖子、ほんものの思考力を育てる教室-YSFHのサイエンスリテラシー、ウェッジ(2014年)
SLの開校5年目までの取り組みがまとめられている。
(3) 和田昭允、サイエンス思考 「知識」を「理解」に変える実践的方法論、ウェッジ(2015年)
「サイエンスは文・理に関係のない、ものの考え方の基本であり、その上で科学と技術のハイブリッドを目指す」というYSFHの方針は、スーパーアドバイザーである和田昭允氏のこの著書に明らかである。
(4) SLと進路に関わる生徒の状況について、YSFHの甲田祐子サイエンス教育推進員(元校長代理)及び佐野大進路指導部主任(主幹教諭)から2019年10月に資料の提供等の協力を得ている。
栗原 峰夫
◎上智大学 特任教授
◎専門:教育社会学、国語教育学
キーワード:プロフェッショナルとしての技術者特集
表紙写真 北原一宏
撮影地協力 日本工業大学 工業技術博物館
表紙の機械は、本田技研工業が1959年に4輪車用エンジンの歯車を製造するために同社の鈴鹿製作所に設備導入した6ステーションを有するロータリ形のホブ盤で、米国のリーズ・ブラッドナー社製である。この工作機械は、日本の自動車産業の発展に大きな役割を果たした機械と言える。