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2019/7 Vol.122

【表紙の絵】
外来種を捕まえるロボット

髙島 史堅 くん(当時6歳)

池や湖の外来種を捕まえ、
在来種を守るロボット

バックナンバー

感性認知工学の可能性

絵画制作における「感性」の発動とその認知的分析について

小澤 基弘(埼玉大学)

私の絵画制作の軸について:「ドローイング」とは何か

私は絵画制作を専門とする大学教員である。油彩、アクリルなどを用いてかれこれ40年近く絵画を制作し続けてきた。絵画制作と一言で言っても、それが目指す射程は多様である。調度品や装飾品といういわゆる製品事物として絵画を捉えている制作者、絵画を自己の内面探求の手段、つまり哲学的行為として捉えている制作者、テクノロジーを活用して社会のヴィジュアルトレンドを生み出そうとする商業的志向の強い制作者など(この場合は既に「絵画」という概念規定は無意味となる)、一言で「絵画」としてくくるには、その形態は現代において実に多様で複雑である。

私の場合は、一貫して絵画制作を自分探しの手立てとしてきた。なぜならば、私が絵画制作を志した初発の動機は、高校生の時に罹患(りかん)した「心の病」にあったからである。その治療の一環として、医師から絵画制作を当初は強いられた。私に強いられた絵画とは、ジャンル的に言えば「ドローイング」制作であった。日本は明治以降、西洋から「美術」という概念を移入した歴史的経緯がある。明治以前には「美術」という言葉も概念も日本には存在していなかった。誰もが美術用語として知っているであろう「デッサン」という語は、フランス語(dessin)である。それは、当時「美術」という概念、そしてその表象物(油彩・彫刻など)は、主にフランス経由で日本にもたらされたからである。「デッサン」という語をあえて和訳すれば「素描」となるであろう、が、それに相当する用語は明治以前にはなかったので、そのままフランス語が使われて今日に至っているのである。

皆さんは「デッサン」と聞くとどのような素描を想起されるであろうか。おそらく「見えたままを正確に紙の上に単色で写し取る素描」を想起されるのではないだろうか。「石膏デッサン」「人物デッサン」などはそうした素描である(図1)。つまり、定義すれば「デッサン」とは「客観的素描」と言い換えられるであろう。では心の治療の一環として私に課された「ドローイング」とは何か?デッサンとは同じであろうか?

図1 デッサンの一例(小澤基弘)

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