機械遺産が語る日本の機械技術史
第10回(最終回) 今後の展望
はじめに
本誌2018年3月号(Vol.121、No.1192)から連載される「機械遺産が語る日本の機械技術史」も10回目となり、今回が最終回である。いずれの内容も日本の近代化過程を主軸に、各所に機械遺産を取り込みながら平織物のように見事に構成されている。今回はこれまでの連載を背景としながら、機械遺産の認定に関する課題や今後に向けた展望を述べてみたい。
日本近代化の足跡と機械遺産
2007年発行の小冊子「機械遺産」には25件の機械遺産が掲載され、認定の目的が次のように記されている。
「歴史に残る機械技術関連遺産を大切に保存し、文化的遺産として次世代に伝えることを目的に、主として機械技術に関わる歴史的遺産「機械遺産」(Mechanical Engineering Heritage)について日本機械学会が認定する。」
ここで大切なことは「文化的遺産」の記述で、そこに機械遺産が位置付けられることである。機械遺産の時代区分からすれば、江戸時代末期(阿片戦争/黒船来航ショック)を起点とする日本近代化の歩みが、技術者の創造活動を通して多種多様な機械に具体化され、それらが産業面で生産活動を担い、その結果として得られた文化といえよう。1868年以降、明治政府は日本の経済基盤を従来からの農業を産業基盤としつつ、新たに鉱工業を主体とする近代化を急速に進めた。このため海外から多数の技術者を招き、彼らの指導下で日本人を養成し、生産活動を通して国内技術力を蓄積し高める努力を続けた。これは幕末期に欧米諸国と締結した不平等条約の解消も、視野に入れてのことである。外貨の獲得は生糸生産によるものが多く、若い工女の指先が稼ぎ出したのである。
連載第2回(Vol.121、No.1193)では機械遺産の分類と時代区分を概説したが、そこでは技術導入から技術面での自立(国産化の実現とその推進)に至る過程として、Ⅰ 手工業主体の時代(〜1853年)、Ⅱ 蒸気動力の時代(〜1900年)、Ⅲ 電化・内燃化の時代(〜1945年)、Ⅳ 高度経済成長の時代(〜1970年)、Ⅴ 電子制御化の時代(1971年〜)の五つを示した。本稿ではこれとは別の視点から機械の国産化過程を改めて記載したい。それは、
第1期:新しい技術をシステムとして直接導入し、専門的技術・技能を持つお雇い外国人がそれを扱う段階
第2期:彼らの指導下で日本人技術研修生が機械部品の一部を自製し、簡単な機械の改造工事も行う段階
第3期:研修と実務の知識・経験を基に機械の主要構成部品は輸入品に頼りつつも他の部品は自製し、それらを組み立てて完成させる段階
第4期:材料、部品の他に工作機械も設計・製造し、日本人の手で機械を製造できる段階
第5期:全ての機械を国内で製造し、海外にも輸出しつつ技術指導も行う段階
第6期:必要な在来技術を集約し、経済性、多機能・高機能化に加えて環境対策なども考慮した高度な機械製造を推進する段階
の六つである。機械は多種多様に渡りこれらの時期があてはまらない事例が多いかも知れないが、技術を習得し修得する過程、それを製造面に段階的に適用する過程、その成果を国内のみならず諸外国と共有する過程でもある。
これらを背景に、認定された機械遺産一覧表において、遺産を相互に関連付けながら改めて眺めることで、日本の機械技術史を再認識することができるのではないだろうか。
機械遺産認定に関する課題と今後
2018年度で94件にもなった機械遺産の認定と今後について、いくつかの事項を記しておきたい。
(1)機械遺産候補の存続について、その永続性が危惧される。機械遺産候補として推薦に値する価値が認められ、所有者が後世への保存・継承措置を施したものは残るものの、それ以外は解体される危険度が高い。さらに年を追って候補数が減少していく。
(2)機械遺産の推薦は原則として本会会員によるが、推薦に該当する遺産候補の機械技術史的意義を知り、理解している技術者の数が年とともに減少する。
(3)機械遺産候補の選定カテゴリーは、1960年代の本会部門委員会の区分と機械工学便覧などに記載された項目を参考としている。さらに選定年代は、第二次世界大戦後(1965年頃まで)を一つの目安としてきた。機械遺産の認定が10年を経過した時点においてこれらを再度見直し、候補母体の範囲拡大をはかる必要がある。
(4)機械遺産選定やその機械技術史的意義に通じた研究者が少なくなり、将来的な後継者育成をどのように進めるかが課題である。
(5)機械遺産委員会や監修委員会に文化財行政担当者、文化財調査研究者などを加え、より広く社会に開いた機械遺産認定を進める時期にきている。
(6)静態保存が主体の機械遺産に留まらず、動態保存される遺産も認定の対象とし、あわせて動態保存に必要な維持管理、運転・保守・補修技能などについても、無形の遺産として認定されるように考慮していただきたい。
これまで推薦された機械遺産候補の他に、新たな遺産の候補を見出す努力も必要である。日本の近代化を牽引した主要産業の一つに鉱山業があり、電気・機械工業はそこから発していることも事実である。これは16世紀にドイツで刊行されたゲォルグ・アグリコラによる『デ・レ・メタリカ』の挿絵(図1)からも伺うことができる。同書には地下坑道内に新鮮な空気を送り込み、排気も担う筋力利用の鞴駆動機械(送風機)や地上に鉱石を搬出する大掛かりな水車駆動式の索巻揚げ機械などが描かれている。国内の主要な鉱山でも同類の機械が設置されたが、いずれも当初から電化され、駆動用には電動機が使われていた。これらの機械群を現在でも大切に保存・展示している施設がある。
図1 「デ・レ・メタリカ」の挿絵
鉱山業には他に石炭と石油の採掘業も含まれるが、前者は鉱山とほぼ同類の機械群を設置し使用するのに対し、後者では油井から地上に原油を汲上げる機械(ポンプ)が主役である。油田内の一箇所にパワーステーションが置かれ、ここからワイヤロープによる遠隔操作で複数の油井のポンプを駆動する方式(ポンピングパワー)が採用されている。文化庁は2018年にこれらを記念物(史跡)指定し、前者には福岡県田川市・飯塚市・直方市の「筑豊炭田遺跡群」が、後者には新潟県新潟市の「新津油田金津鉱場跡」がある(2)。とりわけ新津油田では明治期に千葉県の上総掘り技術を導入し採油事業を軌道に載せた史実があり、日本の伝統的な技術を巧みに応用したことは注目に値する。こうした伝統的な技術と機械にも改めて光をあて、調査する必要があるのではないだろうか。
さらに、1970年代の経済の高度成長期にこの国の生産体制を支えた自動化機械類(機械部品や電子部品の自動整列・組み合わせ機械、電子基盤への部品類挿入機械など)はまだ残っているのであろうか。この時期は技術革新が短期間で急速に進んだため、同時期の機械遺産を見出すことは難しいのではとの懸念に駆られる。
一方、長年に渡り機械技術を担ってきた諸先輩からの情報提供・収集も、新たな機械遺産を見出すための強力な支援母体となる。このためには本会各支部に新設されたシニア会の了承と協力をいただき、地域の機械遺産発掘や候補推薦のための無理のない体制づくりを提案したい。
おわりに
今後迎える本会創立130、140周年では、機械遺産の時系列的一覧表(機械遺産でたどる日本の機械技術史・工学史年表)に、Site・Landmark・Collection・Documentsの全てに渡り認定機械遺産が出揃い、これにより「日本の機械技術史・工学史」を通観でき、広く社会や教育面に還元できる成果として結実し、義務教育で使われる技術・家庭科(技術分野)の教科書にも、「機械遺産」が掲載されることを心より願うものである。
末尾ではあるが、本連載の企画にあたり執筆を快諾された、天野武弘(愛知大学)、松野建一(日本工業大学)、松岡茂樹((株)総合車両製作所)、池森 寛(西日本工業大学)、小野寺英輝(岩手大学)、岩見健太郎(東京農工大学)、三輪修三(青山学院大学名誉教授、故人)の諸氏に対し、ここに深謝申し上げる。また、この連載を提案され賛同と承認をいただいた、有信睦弘元会長、岸本喜久雄元会長と大島まり前会長にも改めて感謝申し上げる。
機械遺産は社会的にも高い評価を得た本会の財産であり、会員の手で長く大切に育てていくことを期待する。
参考文献:
(1)Carl Eckoldt,KraftmaschineⅠ,Deutsches Museum,(1996)
(2)文化庁文化財部:新指定の文化財,月刊文化財,No.660(2018-9),pp.7-8,12-14.
<フェロー>
堤 一郎
◎茨城大学 教育学部技術教育教室 特任教授
◎専門:技術教育、技術史教育
キーワード:機械遺産が語る日本の機械技術史
よごれ0(ゼロ)ロボッ子
村越 心 さん(当時9 歳)
この‘よごれ0(ゼロ)ロボッ子’は、体が掃除機のようになっています。手は掃除のアイテムが出てくるようになっています。口はゴミを吸い込めるようになっています。そして、吸い込まれたゴミは大きなおなかに入り、それが‘よごれ0(ゼロ)ロボッ子’のごはんとなります。目はセンサーが付いていて部屋のよごれがあるとすぐに気づけるようになっています。足はモップで水などをふけます。モップは自由に動きます。頭にはアンテナが付いていて、電気に近づくと体全体が気づき、動くようになっています。これが‘よごれ0(ゼロ)ロボッ子’の仕組みです。