機械遺産のDNA
社会を変えたセイコーの機械遺産認定モデルの意義
図1 時代を画した三つの国産腕時計
(左から、ローレル、初代グランドセイコー、セイコークオーツアストロン35SQ)
(機械遺産第66号)
三つの機械遺産認定モデル
1913年 国産初の腕時計ローレル
1881年に服部時計店を創業した服部金太郎は、やがて製造のノウハウを得て、1892年に精工舎を設立し、時計の製造に乗り出した。掛時計・置時計から製造をスタートし、1910年頃には懐中時計の量産化が軌道に乗るようになった。さらに小型の腕時計「ローレル」(図1左)を日本で始めて発売したのが1913年であった。この当時、スイスで腕時計の量産が始まった時期であり、12型(φ26.65mm)まで小さくすることは、かなり意欲的な挑戦であった。「将来腕時計の時代が必ず到来する」という金太郎の先見の明によるリーダーシップで、世界的にもかなり早い段階での商品化であった。
1960年 初代グランドセイコー
その後セイコーは、1960年に「実用時計の世界最高峰」を目指して開発し、初代「グランドセイコー」(図1中)を発売する。1956年に開発した自社設計の腕時計マーベルが、外国製も参加した日本での精度コンクールで、無敵の状態だったことに自信を深めた。関税の自由化による外国製の高級時計の輸入販売が増えるタイミングを見計らって、世界の高級時計に充分対抗できうる世界最高レベルの「精度」「見やすさ」「美しさ」を持つ実用時計の商品化に打って出たのである。
これが機械式腕時計において、セイコーの技術が世界最高レベルに肩を並べた瞬間となった。
世界初のクオーツ腕時計アストロン(1969年)
一方で、その9年後の1969年に、セイコーは世界初のクオーツ腕時計「セイコークオーツアストロン35SQ」(図1右)を発売する。この時計は、従来の機械式時計と比べて、精度が100倍以上良くなり、人々が正確な1秒単位で生活できるようになったことを意味し、これ以降、人々の生活・社会・文化が大きく変わるきっかけとなった。
キーワード:機械遺産のDNA
【表紙の絵】
地球アニマル保ごしせつ
村井 暁斗 くん
(当時10 歳)
動物を地球の中に入れてすみやすいようにしている。
またしょく物も入れているので定期的に水を外から、あたえる。
野生動植物をほごする。