特集 空の産業革命―「飛行ロボット」としての次世代ドローン―
インタビュー 野波 健蔵(日本ドローンコンソーシアム会長・千葉大学名誉教授)
中国製ドローンが世界を席巻している。だが産業用ドローンであれば、日本製は高信頼性から存在感を発揮できるという。日本のドローン研究の第一人者として知られる、日本ドローンコンソーシアム会長で千葉大学名誉教授の野波健蔵氏に、(株)自律制御システム研究所(ACSL)創業時の思いと、ドローン産業の将来展望、日本機械学会への期待について話を伺った。
一般社団法人日本ドローンコンソーシアム会長・
千葉大学名誉教授 野波 健蔵
最初から自律制御を目指した
−ドローンを研究テーマにした経緯を教えて下さい。
1985年から86年と88年にNASAに滞在する機会がありました。当時の私の研究テーマの一つはアクティブ振動制御で、ドローンの研究はまだ行っていなかった。スペースシャトルのメインエンジンのターボポンプは約700tの液体燃料を7〜8分間で燃焼室に送る、現存する機械では最も過酷な機械と呼ばれていました。本体もインペラも小さくて高速回転するので、ものすごい振動が起こる。その振動をなんとか止めたいという公募があり応募して採択されました。
このNASA滞在中に巡り会いがありました。NASAが有人ヘリのアシスト制御を研究していました。それを見たときに「面白い」と思いました。当時は面白いと思っただけだったのですが、88年に千葉大学に助教授として戻ってきたときに自分は制御が専門だったので、とにかく制御で役立ち、社会に貢献できる面白いことをやろうと考えました。制御技術者は一般に水面下で表舞台に出ることは少なく、地味で目立たない存在が多かった。そのときに、NASAで有人ヘリコプターの自律姿勢制御を思い出し、これは制御技術がコアだと考えました。
ただ、当時のコンピューターは大きかった。85〜86年ですからMS-DOSの時代です。小型化なんて到底できないから、当分できない。これは無理だなと思いました。
その後、ちょうど90年代の中ごろにはコンピューターがだいぶ小型化してきました。その頃、秋葉原のラジコンショップに入ったら10kgくらいのヒロボー社製シングルロータエンジンヘリが展示してありました。これを飛ばそうと思いました。NASAは有人ヘリのアシスト制御でしたが、私はラジコンヘリそのものを完全自律で飛ばそうと考えたのです。ただ、オートパイロットの重さを想定したら4〜5kgになる計算でした。これでは重くて飛ばない。そこで広島にあるヒロボー社に電話して相談したら、担当の方が「面白そうなんでお手伝いしますよ」と。これは面白いし、実現すればさまざまな分野で活用できると思いました。それがきっかけです。
−初めから自律制御を目指していたのですね。
そうです。その頃は地雷探知ロボットの研究もやっていました。カンボジアで、低空をホバリングしてゆっくり移動して、センサだけ上げたり下げたりしながら探知できないかと思案していました。だから自律飛行じゃないと難しい。単に面白いだけではなくて価値もある。社会貢献できる。自律制御の学術研究と地雷探知という社会貢献の2点ですね。理想の研究テーマになりました。文献を調べると小型ヘリの完全自律飛行はできてなかった。当時、ヤマハ発動機のヘリはあったのですが、ヘリ重量は70〜80kgです。我々のヘリは10kg程度だったので、大きさとペイロードが全く違う。当時、ヤマハのヘリを使ってさらに高度な制御をやるというのは欧米の大学チームがやっていましたが、10kg程度以下の小型ヘリの自律制御の研究は世界で激しい競争状態でした。私のチームは2001年に日本で最初に完全自律飛行に成功しましたが、すごく大きなインパクトがありました。
−小型ヘリにこだわった理由は?
大学なので論文を書かないといけないこともありましたが、地雷は大きなヘリだと風圧で爆発を誘発します。地雷探知ロボットの研究のために何度かカンボジアを訪問して、カンボジアの地雷除去センターCMAC(Cambodian Mine Action Centre)の長官から助言をもらいました。だから、ある程度小さくしなきゃいかんと。その大体の基準が10kgでした。
−機械設計を突き詰めていかれたとか。
そうです。チューンドマフラーといって、まずマフラーを推力が出るように改造しました。ガソリンエンジンですからマフラーを改造するとエンジンの性能は上がります。10kgのヘリですと、ペイロードは大体1.5kg程度しかありません。これを3kgぐらい載せても飛ぶようにするためにはどうしたらいいか、ヒロボー社の機械屋さんと一緒に頭をひねりました。プロペラのブレードのピッチ角も工夫しましたね。機体を大きく重くしないところで、いろいろ苦労しました。
我々はモデルベース制御を得意としていたので、まずは数式モデルを作ってシミュレーションし、実験結果と比較しました。最初はモデルが合っておらず、3、4年は失敗ばかりでした。もう一つはクォータニオンを用いたドローンの姿勢推定アルゴリズムの開発に力を注ぎました。ヘリやドローンは失敗すると墜落して、だいたい大破します。地上付近を飛ばすと地面効果で乱流が起こってモデルと違う現象になるので、大体10mぐらいの高さでやります。そこで失敗するとドーンと落ちる。あっという間に、数十万円くらいが吹っ飛ぶことになりました。そんなことを繰り返して、モデルの正確性と飛行性能の向上、姿勢推定精度をどんどん詰めました。
そうこうしてるうちに、加速度やジャイロ、方位センサなどがだんだん小さくなりました。そんなことも功を奏して、時間が経てば、誰かができるだろうとは思ったんですけど、やっぱり早くやらなきゃということで、そこはだいぶ急ぎましたね。
−研究の時間軸とセンサ類の小型化が重なっていたんですね。
そうです。GPSもだんだん小さくなりました。ただ、スマートフォンはまだでした。2007年にアップルがiPhoneを出しました。ドローンが進化できたのはスマホのおかげです。スマホにはさまざまなセンサが入っていて、小さく安いものがインテグレーションされている。ですから超小型の慣性計測装置(IMU)ができるのは時間の問題でした。研究分野において、iPhone登場前後からエンジン型シングルロータヘリから電動型マルチロータヘリへのパラダイムシフトが起こっていました。電動マルチコプタの制御はシングルロータと比べてはるかに易しいですし、静かで安全性の点では比較になりませんから。
スマホは急激に成長しましたが、2010年ごろから鈍化してきました。それで何か次の戦略をということで、UAVならそのまま同じ技術が使えると。そして一気にドローンの市場に転化していった。だから、スマホの世界の工場となっていた中国・深センでカメラ付き飛行体、ドローンが生まれてビッグビジネスになるのはもう必然だと思いました。
私も中国製のドローンを最新機能を知るために何機も買っています。安いからです。ただ、産業用ではそうはいかない。絶対に落ちては駄目だからです。信頼性という意味では車と同じように、やっぱり日本製、ドイツ製ですね。産業用ドローンでは日本は依然として優位です。うまく分業していけば、日本は産業用ドローンの一角には絶対入れると思います。
意外と浅かった「死の谷」 研究からビジネスへ
−ドローンの市場はどのような状況でしょうか?
ホビーが9割です。世界のドローン市場全体は低く見積もって4,000億円、高く見積もると8,000億円くらいです。日本はだいたい200〜400億円くらいだから、1/20くらい、市場としてはあるほうです。ルールのハードルが低い国のほうが当然ヒットしますよね。
−研究からビジネスに踏み出したきっかけは?
2014年に千葉大学を定年退職し、2017年まで特別教授でおりました。2011年ごろに会社を作ろうと思いましたが、ちょうど東日本大震災があったので、ちょっと控えて、2013年に(株)自律制御システム研究所(ACSL)を創業しました。実は日本でトップレベルの技術になっていましたので、この技術をどこかの企業で使って頂こうと思っていました。まず相談したのは当然共同研究先のヒロボー社です。ヒロボー社には技術移転の可能性を探るべく2007〜2008年ごろからアプローチしていました。ですが当時はまだ大きなビジネスになると誰も思ってなかったし、時期尚早でした。他の企業も同じようでした。
せっかくの国産オートパイロットの技術やドローン飛行技術が、あともう一歩で産業化できるのに、2010年以前はどの企業も消極的でした。どうしようかと悩んでいたのですが、ドローン産業は必ず大きな産業になると確信して、ドローン産業の育成と振興を目指して、2012年にミニサーベイヤーコンソーシアムという組織を設立したところ、40社ほど集まりました。今は300社の日本ドローンコンソーシアムになっていますが、そこで「何社かの会員企業に一緒にやりませんか」と声をかけたところ、今度は「ぜひやりたい」という会社がたくさん出てきた。これはこれでまた困った。それで一番丸くおさまるのは私自身がオートパイロットや飛行制御技術のコア技術の会社を立ち上げて、ものづくりや販売・サービスを得意分野の会員企業と連携するのが良いと判断しました。ユーザーとして買いたいという人たちもかなりいたので、ビジネスにもなると判断しました。いわゆるオープンイノベーションですね。
−いわゆる「死の谷」はどう乗り切りましたか?
立ち上げて5年ですが、激務の連続で感じている暇がなかったというのが正直なところですね。ただ1年目、2年目は耐久性の原因でよく接触不良など単純な不具合が生じました。お客さんは無理難題を持ってくるんです。夏の暑い時も冬の寒い時も飛ばしました。大学の研究室やグラウンドで飛ばす程度とは訳が違う。研究開発のプロトタイプから耐久性・信頼性を有する量産品としての商品化の間には大きなギャップがあることを痛切に感じました。品質保証などの試験の重要性を身をもって体験しました。
それと、お金もだんだん底をついてきました。コンソーシアムの皆さんに出資頂いてしばらく凌ぎましたが、それも底を尽きて。ドローンを買っては頂いていましたが、トラブルが多いのでリピーターにならないんです。どんな使い方か聞くと「朝から夕方までバンバン飛ばしてる」っていうんですよ。そんな耐久性は全然持ってないし(笑)。これが今振り返れば「死の谷」だったのですね。
このままでは危ないなと思っていた2016年の春に、楽天と東大エッジキャピタル(UTEC)から出資して頂けることになりました。そして開発しながら、耐久性や信頼性の向上に力を注ぎ、性能も飛躍的に向上しました。経営や営業・経理関係をやってくれる方も採用して、さらに、高度な技術者も少しずつ集めてだんだん会社の体裁を整えました。
ドローン産業を日本で作っていくためには、自動車産業のように良い意味での競争が必要です。そして、裾野を広くして一緒に成長していくような底上げが必要です。これによって山頂も高くなります。中国でもDJIが断トツに強いんですけども、中国はメーカーだけでも300社ほどあります。だから中国は強いんですね。仮にDJIがこけても平気なのです。
もう一つは人材育成です。結局、人の問題でドローンの頭脳部が作れる技術者の養成が重要です。東大にも本郷飛行機(株)(旧Phenoxlab)という若いベンチャーがあります。大変頼もしいです。裾野を広げるためにはこうしたスタートアップが必要です。20代、30代が起業して、そこにベンチャーキャピタルが入る。そういう循環ができるためには少なくとも独自の特徴や個性を有する10社〜20社ぐらいのメーカーは必要です。ドローンの研究をしている大学、国公私立大学約30弱大学の先生方にも今、日本ドローンコンソーシアムの会員になって頂き、いろんな協働をしているところです。それから今回の特集の大手企業さんです。ドローンユーザーとしての内外の巨大な市場を持っていますので、産業への普及が加速するかと思います。
「飛行ロボット」としての次世代ドローン
−今、機械学会と電子情報通信学会が連携して、5Gを使った研究テーマを検討しようとしています。5Gになるとドローンも変わりますか?
もう抜群に良いです。5年ぐらい後には、パッと空を見上げると数十機のドローンが、全部が隊列を組んで飛んでいる状態になります。全部がお互いに通信し合う。5Gになると、さまざまなデータをやりとりできます。ドローンもネットワークの一つに入ります。そういう時代になればドローンの産業化はものすごく加速します。
2020年代には、沢山のドローンが同じ空域を飛行するようになり、ドローン同士の空中衝突や、ドクターヘリのような有人機とのニアミスが大きな問題となる可能性があります。こうした事故を未然に防止するシステムとしてUTM(UAV Traffic Management System)というドローン運航管理システムがあります。現在、企業レベル、行政・研究機関レベルでさまざまな開発がなされていますが、UTMのコア技術は通信で、5Gが期待されています。5Gにより高速実時間通信が飛行体同士や地上との双方向通信を、人を介さずに自律的にできれば、「空の産業革命到来」となるでしょう。
−ホビー用途は全く考えていなかったのですか?
ホビー市場は、もう飽和に近いところまできていると思います。ホビーは1機せいぜい10万円程度ですが、産業用ドローンは300万円でも400万円でも買ってもらえます。我々としては個人の趣味ではあまり社会貢献にならない、やっぱり誰でも飛ばせるドローンで、人では危険過ぎる困難過ぎる、コストが高すぎるなどの仕事を、産業用ドローンが行うことができれば、世界を変えられると思います。
−2020年の東京オリンピックでドローンを活用することも期待されているのでは?
撮影、イベント演出、セキュリティなど、さまざまな話があります。オリンピックでは日本の科学技術の先端技術を見せる必要があります。その一つがロボティクスです。飛行ロボットであるドローンもその一つです。
私は「ドローン」という言葉はあんまり好きじゃないんです。2015年にはドローンでユーキャンの流行語大賞をもらったのですが(笑)。ですから使ってはいますけど、日本語では飛行ロボット、フライングロボット、エアリアルロボットというのが正しいと思います。UAVと言うとどちらかというと航空機の一種という感じですしね。
−なぜ「飛行ロボット」という言葉が良いのですか?
もっともっと自律化して、本当に鳥のように飛ぶと。目的地だけ入れて、あと何もしなくても飛ぶ。自律制御、自律飛行を望んでいるからです。それが究極の姿です。つまり、考えながら飛ぶ。もしUAVだったら、考えながら飛ばなくたっていいわけです。無人化されれば、そこで目的達成だと。
でも、物流で東京の上空を飛ぼうと思ったら、考えながら飛んでくれないと困ります。「今日は調子悪い。ちょっと着陸しなきゃ」っていうときには、自分で判断して公園までずっと高度を下げて、人も車もいない空き地に不時着して救助を待つといった知性がないと、とても人口の多い都市の上空を完全自律飛行はできません。これは有人航空機に近いレベルです。逆に、この程度の自律性を持てば、レベル4と呼ばれる有人地帯での飛行は許されるものと思います。
産業用UAV、産業用フライングロボットということであれば、ドローンも産業用ロボットの一角です。日本は産業用ロボットでは世界のトップランナーなので、戦略的にもドローンをその一角に組み込みたい。インダストリアルロボットの中のカテゴリーに地上ロボット、マニュファクチャリングロボット、そしてフライングロボットといったカテゴリーが非常に自然と入ります。
−あくまでもロコモーションの一つとして「飛行」があるということですか?
はい。歩くロボットとか、マニピュレーションロボットと同じということです。ISOの文言にもフライングロボットと入れてほしいと言っています。
工学に興味を持ったきっかけは「鉄腕アトム」
−工学に興味を持つようになったきっかけは?
私たち団塊の世代は大体そうですが、手塚治虫の『鉄腕アトム』なんですよね。本当にむさぼるように『鉄腕アトム』を読みました。いまでも全巻持っています。そこでロボティクス、ものづくりに憧れたんです。アトムは空を飛んでいたじゃないですか。アトムとドローンは全く違いますが、一つの具現化ですね。自分で造ってみたいと思いました。漫画の影響は、ものすごくあります。
−ライフワークとしての研究以外のご趣味は?
大した趣味はないですけど、山登りは好きです。高校時代からワンダーフォーゲルや山岳部に入っていました。あとはラジコンももちろん好きです。小さいホビー用のドローンも10機ぐらい持っています。最近はDJI Sparkが数万円ですがいろいろなことができます。DJIはライバル企業ですけど、敵ながらあっぱれです。彼らは全部トータルで造ってるんですね。創業者のフランク・ワンさんが香港科技大時代の修士の学生だったときに、必死で取り組んだシングルロータヘリの自律制御が、今のビッグビジネスになっているわけです。実は世界のドローンベンチャーの多くはプロセスが類似しています。その苦労がよく理解できるので、もう尊敬しますね。指導教官のリー教授の顔が浮かびます。以前は国際会議で研究成果を競い合う関係でしたので、その先生の顔が浮かぶと「これ買おうかな」と思ってしまいます。やっぱり誰がやってるかはすごく重要です。どういう経緯でそうなっているかということです。
日本機械学会は、もっと夢のある話題の受け皿に
−今、日本機械学会の会員数が減少傾向にあります。学会のあるべき姿や意義、利用の仕方について、お考えはありますか?
ぜひ申し上げたいことがあります。さきほど、人づくりという話をしました。まさにそれを機械学会でやってほしい。たとえば次世代ドローンです。今のドローンは小脳で飛んでいるんです。小脳は運動神経と平衡感覚を司っていて、知能はありません。プログラムを入れたらそのとおりに飛びます。ですが障害物を回避してくれない。目標値から自分で最短ルートを設計して飛ぶこともできない。調子が悪いときに安全地帯を探して不時着することもできない。できない尽くしです。それらができる「次世代ドローン」をどうやったら実現するかというのは、すごく楽しい夢のある、「鉄腕アトム」のような話です。日本機械学会がそのような受け皿になってくれると、大学の先生方がエンカレッジできます。
何が問題か、どういう課題で研究テーマがあるかということに関する情報が意外と少ないんですよね。ドローンも、大学の先生の一部は「もう完成してるんでしょう?もうやることないんでしょう?」という。全然そうじゃない。「富士山で言うとまだ3〜4合目程度ですよ」って言っているんです。今の大脳のないドローンは、鳥とは全然違うんです。鳥はGPSを持ってなくても、ちゃんと餌を取ってくる。途中で電線や樹木にぶつかって死んだりしない。やっぱり究極は鳥のように飛ばなきゃいけないんです。
そうすると、テーマはいっぱいある。人工知能や画像処理、それらを小さな機体にインテグレーションしてトータルにシステム化する技術も必要です。フライングカーみたいな、人を乗せて飛ぶという話もありますよね。こういう話を機械学会のテーマにしたらものすごく面白いと思うんですよ。いずれ産業になるからスポンサーも付くかもしれない。
そういうワクワクするテーマが今、機械学会に少ないんですよね。新産業の特集をバンバン打って、研究テーマとしてどんどん大学でやって頂くと活性化していくんじゃないでしょうか。先端がすぐ産業につながる。そういうワクワク感があると面白いと思います。
−分かりました。そういった期待に応えられるようにしたいと思います。
(2018年8月8日 於:日本機械学会)
(インタビュー・構成 森山 和道)
キーワード:インタビュー
【表紙の絵】
地球アニマル保ごしせつ
村井 暁斗 くん
(当時10 歳)
動物を地球の中に入れてすみやすいようにしている。
またしょく物も入れているので定期的に水を外から、あたえる。
野生動植物をほごする。