座談会
「計算力学技術者資格事業の歩み: 技能担保と教育効果の狙い」
日本機械学会が主催する、計算力学技術者(CAE技術者)認定事業が
今年で15周年を迎える。今や合格者は延べ1万人を超えようとしており、
デファクトスタンダードとして、計算力学ソフトウェアを扱う技術者の技能管理に大きく寄与している。
今回、認定事業立ち上げに携わった関係者が集まり、これまでの経緯、成果や問題点、
さらに今後の展望について語ってもらった。
事業立ち上げの経緯と背景
長嶋:計算力学技術者認定事業が始まって、今年で15年目になります。まず、事業立ち上げの経緯について、お話しいただけますでしょうか。
吉村:2000年に本会の計算力学部門で、企業会員や学生会員のメリットについて議論し、認定資格が有用ではないか? という話になりました。ちょうどこの頃、日本技術者教育認定機構(JABEE)も設立されて、技術者教育やその認定が国内でも広まり、日本機械学会も『JABEE認定』に積極的に取り組み始めていたところです。さらに、機械状態監視資格認証事業もわずかですが先行して準備が進められているという状況で、本会で認定・認証事業が積極的に進められていた時期でもありました。
吉田:私共はCAEを扱う企業として、2000年ぐらいに実験計画法と非線形CAEを使い非線形問題が最適化できるということがわかってきて、その次にはやはりCAEを使う人の能力をうまく管理しないといけないと考えた時期でした。
吉村:認定資格制度を企画する上で、一番の課題になったのは、どういう知識体系を構築して資格認定すべきか、ということです。当時、ちょうど「計算力学ハンドブック」が本会から発行されたところでしたので、それをベースにすることになりました。
吉田:当時、すでにCAEはかなり普及していましたが、使い勝手が良くなって、中身を知らなくても使えるような環境で、CAE技術者の裾野が拡大し始めていたところでした。
吉村:そういった、いわゆるブラックボックス化に対する不安もあり、関係者は資格認定事業の必要性を共通して認識し始めていたと思います。準備を経て、2003年4月に固体2級のパイロットスタディを行いました。そして、2003年12月に固体2級の資格認定を開始しました。
店橋:その後、2005年に熱流体分野の試験を開始しました。2年遅れですね。
安田:振動分野は2012年に開始しました。固体分野が始まってから9年遅れです。立ち上げが遅くなった理由として、振動分野で数値解析や計算力学を専門に研究している人が少ないことがあると思います。また、企業の人に聞くと、まずは固体の資格取得から始めて、そこで留まってしまう人が多いようです。それについては、固体分野と振動分野では解析対象の見方が違うという意味で振動分野の必要性を強調する努力を一生懸命してきました。
長嶋:固体分野と熱流体分野でしばらくの間やって、振動分野もできて完成したということですね。
吉田:その後、国際展開の取り組みとして、2014年に本会と英国のNAFEMSという組織で国際相互認証を取り交わしました。本会の「上級アナリスト」とNAFEMSの「PSE (Professional Simulation Engineer) 」が同等の資格であるというものです。
長嶋:そして、現在まで2017年度の試験を終えて、合格者は延べ9,000名といったところですね。
資格認定事業の成果
吉村:これまでの成果について、皆さんどのようにお考えでしょうか?
長嶋:固体分野については、以前は応用数学や材料力学を履修した上で、有限要素法や数値解析に移り、そして構造解析や応力解析を始めるのが標準的な流れでした。しかし、最近は固体系でも材料力学を必ずしも学んでいるわけではありません。ソフトウェアの利便性が向上し、機械分野の教育を受けていない理系だけでなく文系出身の人たちも仕事で使うようになってきているようです。そういう人たちに対して、有限要素法を使って構造解析するための最低限の知識や学ぶ機会を与えたという意味で、一つの成果になったと思っています。
安田:振動分野もやはり、ソフトウェアを使えば現象を理解せずに答えが出るという状況になっていますが、試験や対策講習会がきっかけになって「基礎の重要性」を理解する方が多くなりました。これは試験の大きな成果の一つと思います。
店橋:熱流体分野については、実は立ち上げの経緯が複雑でした。固体には有限要素法という絶対的な解析方法がありますが、熱流体分野では決まった手法が確立されていない時代だったので、何かの方法を中心に数値解析を行うことが難しかったのです。そういう背景もあり、計算力学部門だけでなく熱工学部門、流体工学部門のとにかく多くの先生方に協力していただき、解析手法のすみ分けが進められました。いろんな手法があった中で、知識を体系化しないといけなかったという大変さがありました。
吉村:私も固体側から見ていて、熱流体分野はよくまとまったなとすごく驚きました。当時の熱流体分野の方々は、「現象」と「手法」が一体化していて、自分の解きたい現象を自分の手法で解いている状況でしたよね。
店橋:こういう認定試験をやることによって、いわゆる専門家も横を見るようになったのが成果の一つだと思います。「ここまでわかっていないとソフトは使えませんね」という基準ができたことは、むしろ認定試験を「する側」の進歩だったように思います。
吉村:研究者の人たちが、ある種の知識の共通項を抽出してこういうものを作ることは、必要だとは思ってもそのブリッジングをするのは大変じゃないかと思っていました。内部の人たちの間でかなり侃々諤々(かんかんがくがく)な議論があったのではないでしょうか?
店橋:研究者があまり関わっていない汎用ソフトが普及し始めていたという事情が大きかったと思います。研究者の間で、ある意味「汎用ソフトに対する危機感」が生まれて、アカデミアとしてきちんとクオリティーコントロールに携わらないといけないと感じたんだと思います。
吉田:また、企業側はインハウスのソフトウェアを使うという文化が経費節減等で段々維持できなくなって、汎用ソフトを買って来るという時代に入りかけたところだったのも背景の一つだと思いますね。
吉村:そのために大同団結ができたということですね。
計算力学教育の必要性
吉村:当時は、計算力学部門の講演会でも計算力学教育をどうするかというパネルディスカッションをやったりしていました。要は「四力」で教えなければいけないことがたくさんあるのに、計算力学でもまた教えなければいけないことがたくさんあって、大学で教え切ることはできないという話です。「計算力学教育」をどうやるか。ある部分は大学でどう教育するか、別の部分では企業の技術者は何を学べばいいのか。そこで、当初は教育という側面に重点を置きました。
店橋:計算力学部門でワークショップをやりましたね。吉田さんにソフトを使った北海油田の計算の間違い事例を報告していただいたのが印象に残っています。
吉田:北海油田の掘削設備は巨大なコンクリート製土台の上に設置されます。このコンクリート土台の応力解析に定番の汎用ソフトウェアを使ったのですが、要素分割の検証ミスがあり、応力を低く評価してしまい、誰もこのミスに気付きませんでした。掘削設備設置作業の際、土台は水圧で破壊しビジネスの機会損失を含め約7億ドルの損失が出ましたという内容を報告しました。
吉村:そういった事例を知って、計算力学教育の必要性を喚起したいと思われた方が増えたと思います。
店橋:アンケートを取ると、受験者の中で、機械学会の会員は半分以下で、さらに機械工学を専門的に学んだ方も半分以下です。
吉田:企業でCAEの請負解析を担当する人の中には、機械系卒でない方はかなりいて、ソフトは使えるようにはなるのですが、機械工学の知識を勉強するのに時間がかかってしまいます。当社では、そういった機械系卒ではない方にも、この資格試験を利用してもらっています。当然後付けで一生懸命勉強はするのですが、体系的な教育を受けることが重要です。計算力学の基本知識を向上するという点では、非常に役立っていると思います。
吉村:特にこの分野は、少しずつ変化し続けていきますよね。同じ会社、同じ部門でも設計する対象は変わっていくし、新しい機能も増えていくし、ソフトもどんどん新しくなる。ある程度、原理がわかっていないと、変化に対応できないと思います。5年・10年というスパンで必ず別の方向に動いていく分野なので、この認定事業が継続教育としても求められていると思います。
資格の普及‐デファクトスタンダードへ
長嶋:これまで資格認定者が延べ9,000人。今や1万人近くになりつつありますが、立ち上げ当時、例えば溶接協会の溶接技能者資格のようなライセンス化は目指さなかったのでしょうか?
吉村:CAE技術者であれば、きちんとこの資格を持っていなければいけないようにしたいという議論はしました。しかし、国家資格化について経済産業省にヒアリングを行ったところ、むしろ国家資格を民間に移転する流れだという回答でした。
長嶋:立ち上げ当初はCAE技術者の中で資格保有者の割合が少なかったわけですが、最近の受験者を見ているとどんどん大衆化して、裾野が広がって来ています。
吉村:スタートしたときは腕に自信を持っている人が受けに来て、こちらもタジタジだったところもありましたが、だんだん大衆化してきましたね。やはりこの業務をやるのであればこの資格がないといけないという方向になっているのだと思います。デファクトスタンダードを目指す方向ですね。
吉田:資格を持っている人が増えてくると、資格を持ってないことに対するプレッシャーが高まるんだと思います。
安田:その業務をやるのであればこの資格がないといけないという方向になってくるのでしょうね。
吉田:実際に当社では、2級や1級の資格保有者が結構な割合でいますね。きちんと資格を取得することの必要性が理解されるようになっていると思います。
安田:もう少し実績を積んで、1万人が2万人になれば、ずいぶん変わるでしょうね。
吉村:例えば、振動関係の仕事をしている人でも資格保有者が社内で必ず何人かいるような状況が生まれてくると、持っていないことがむしろおかしい状態になってくる。固体分野は結構そういう状況になりつつあると思います。
店橋:熱流体分野は2回ブームがあって、最初のブームはいわゆるベンダーや大企業のCAE関連子会社が設立された時期です。そこで働いている人たちがたくさん受験して、それこそ「社内で資格を持っていないと恥ずかしい」と明確に言って受験されていました。その次は大企業のCAE関連の部署にいる人たちの上司が取って部下に薦めるという時期。2016年に熱流体分野の受験者数が急増したんですよ。今はこの時期が終わったぐらいだと分析しています。
安田:そういう意味では、振動分野は試験開始が遅くなった分だけ遅れがありますが、これからこの分野の資格保有者の活躍がめざましくなり、まもなくブームを迎えられますかね。
吉村:期待したいですね!
設計現場の実情と課題
長嶋:順調に受験者・資格保有者が増えていますが、課題もあると思います。例えば、標準問題集を設計の実務に詳しい方に見てもらうと「こんな細かいことも試験に出るのですか…」という意見をもらうことがあります。2000年以降、CADとCAEがかなりつながってきて、さらに3次元CADも普及してきました。デザインして境界条件を与えれば、ある程度設計ができ、非線形も含めてかなり容易に解析できるようになり、「細かいことを知らなくてもいい」という設計者がいるのが実情だと思います。
吉田:企業の実態として、例えば、当社でもCAE教育を以前からやっていますが、ここ数年は集合教育ではなく、「事業場にカスタマイズした教育をやってください」という依頼が結構あります。現場では、「理論を知らずにCAEの結果を鵜呑みにして設計をすると非常にまずい」という認識がかなり浸透してきていると思います。
吉村:この認定事業を始める前に、この認定事業のアイデアを米国の研究者に伺ったことがあります。そうすると、「米国ではそういうものは必要ない」と言われてしまいました。「CAEをやるのは大学で専門教育を受けた人だけだから」と。一方で、日本では大学の専門分野は関係なく職業に就くことが多くありますよね。そういう点から、どこかで足りない知識を補う仕組みがないといけないなと思いました。
店橋:実際に熱流体分野も固体分野と同様に数学から入って、流体力学、熱力学、伝熱学、…と、CAEとはほど遠い理論があるわけです。それを勉強してもらうわけですけど、実際の現場への効果はどうなんでしょうか…。
吉田:現状は、ソフトで計算して結果は出たけれども、本当に合っているのかどうかチェックする術がない場合が多いですよね。ある程度、数学、物理を理解して「これはあり得ない」ということがわかるかどうかが非常に重要だと思います。
吉村:あと、いわゆる設計者からは「解析がきちんとできたからといって、ものづくりができるわけではない」という指摘もあります。実際、本資格認定では、設計まで踏み込んでいません。「設計に使うような正しい解析がきちんとできますか?」ということが基準なので、そのギャップは確かにあるとは思います。
安田:ただ、計算をないがしろにして設計して、もし計算間違いをしていたら大事故が起こり得ます。正しい計算ができることを前提に設計するためには、理論も解析技術も重要でしょう。
店橋:上級アナリストの受験者を見ても、設計支援の立場の方が多いです。設計側の人たちは、2級や1級を受けるでしょうか?
吉田:あまり、当社では聞かないですね。やはりこの資格試験を受けるのは設計者を支援する立場の人が多いと思います。2007年のNAFEMSの世界大会の基調講演で米国の航空機メーカの方が、「設計者はもっとCAEを使うようになるし、解析者はもっと設計計算をするだろう。」と言っていました。近年、「モデルベース開発」という概念が普及し始めましたね。連続体を等価な機械力学的なモデルにして、制御系も電子回路モデルも合わせて組み合わせて、車両全体をモデル化してシミュレーションするという技術が研究されています。ハイエンドの研究開発を行っている日本の自動車会社では、開発の基礎部分を支えるCAE技術者の認定試験を非常に大事だと思っているのではないでしょうか。
V&Vを織り込み済みだった先見性
長嶋:認定事業を始めた頃は、まだV&V(Verification & Validation:検証と妥当性確認)という言葉はそんなに普及していなかったですよね?
店橋:少なくとも私は知らなかったです。
吉村:この認定事業が始まった頃に、シミュレーションをやるのなら必ずV&Vが必要という話になり、計算工学会では規格を策定しているところでした。今、認定事業は、V&Vを教育に生かすという役割も果たしていると感じています。
吉田:米国機械学会で出しているV&Vのマニュアルの中で「要員の経験と力量がV&Vの成果に大きく影響する」と書いてあります。ISO9001品質マネジメントシステムのV&Vには解析の記録をどうやって残すかというドキュメンテーションや要員の力量に関する要求事項があります。要員の教育の重要性はますます認識されるようになりましたね。
店橋:V&Vの概念が普及し始めた頃に、熱流体分野の先生に、この認定試験の標準問題集の内容を見てもらったところ、「もともとV&Vの要素が入っているから、作り直す必要性はない」とお墨付きをいただいたことがありました。吉村先生自身に、最初からそういう概念があったから入っているんですね。
吉村:そうですね。単に数値的な精度だけではなくて、適切に解きたい問題が解けているかをどのように判断するか、といったところから入っています。そのため、後からV&Vの規格が出てきても、それを入れるときにはすっと入りました。
長嶋:企画段階で先見性があったということですね。
今後の展開
長嶋:2014年から国際展開として、NAFEMSと相互認証を交わしていますが、今後はどのような方向で進むのでしょうか?
吉田:これまで、本会の「上級アナリスト」で、NAFEMSの「Professional Simulation Engineer(PSE)」の認証を受けたのは32名です。NAFEMSはPSEの数を公にしていないのですが、関係者からの話を元にすると、PSEの中でも相互認証を経由して認証を受けた人はある程度の割合にあるようです。このような制度があるので、もっと上級アナリストに挑戦してもらいたいです。
吉村:今は、国際相互認証として制度化していますが、当初は本会の認定事業を国際化するという選択肢もありました。タイの機械学会と調整したこともありましたが、翻訳や現地での実施がハードルとなり、相互認証という制度に切り替えた経緯があります。
長嶋:日本国内でも他分野、例えば、土木分野でも計算力学を使っている方は多くいらっしゃると思います。他学会とのコラボレーションも考えていくべきなのかなと思いますが、いかがでしょうか?
吉村:実は、これまでも検討してきたのですが、なかなか難しいのが実情です。土木分野では土のような機械系ではあまり扱わない材料のことが結構あり、対象や範囲が異なるようです。しかし、デファクトスタンダードだという意味で、機械学会が中核になって、いろんな分野・学協会と柔軟にコラボレーションしていくという方向性は間違っていないと思います。
長嶋:工学分野の資格は、本会で実施している機械状態監視診断技術者のほかは、技術士(機械部門)や機械設計技術士など、あまり多くありません。教育効果の話が出ましたが、技能管理だけでなく、技術者を社会的に認めるという役割としても、資格認定は組織を超えて必要だと思います。
店橋:実際に合格者からは「CAE技術者として質が認められたと感じ、解析を武器に良いものをつくろうと思う」というポジティブな声があがっていて、技術者としての「自信」に繋がっているようですからね。
吉村:今のものづくりは、機能が高度化・複雑化していますし、また社会問題にもなっている人材不足という点もあります。そういった状況で、設計支援現場でますますCAE技術者が求められると思いますので、この資格認定事業も位置づけが高まっていくことを期待したいです。
長嶋:計算力学技術者資格認定事業委員会としても、継続的に安定した運営を心がけていき、CAE技術者の技能担保、計算力学教育にさらに貢献したいと思います。本日は有難うございました。
(2018年4月9日 於:日本機械学会)
<フェロー>
吉村 忍
◎東京大学 大学院工学系研究科 システム創成学専攻 教授
◎専門:計算力学
◎計算力学技術者資格認定事業委員会 2003 ~ 2008 年度委員長
<フェロー>
店橋 護
◎東京工業大学 工学院 教授
◎専門:熱流体力学、乱流、乱流燃焼
<フェロー>
吉田 有一郎
◎東芝インフォメーションシステムズ(株) エンジニアリングシステム・ソリューションオフィス
プロフェッションエグゼクティブ-CAE スペシャリスト
◎ CAE 技術者の育成業務に従事
<名誉員>
安田 仁彦
◎名古屋大学 名誉教授
◎専門:機械力学、設計工学
<フェロー>
長嶋 利夫
◎上智大学 理工学部 教授
◎専門:計算力学・構造力学
◎計算力学技術者資格認定事業委員会 2009 ~ 2017 年度委員長
キーワード:巻頭企画
【表紙の絵】
みんな健康マシン
袴田 怜知 くん(当時8歳)
この機械の名前は「エンストターミル」。どんな病気やケガでも必ず治します。スーパーコンピューター50台分の性能があり、原因不明の病気でも情報を入力すると、正確に原因と治療法を診断してくれます。レーザー、薬剤、その他様々な物質を放出して、病気やケガを完治させます。
みんなが絶対に健康になれるマシンです。