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2018/6 Vol.121

【表紙の絵】
「くもをすいこんでたべものにかえるきかい」
井岡 武志 くん(当時6歳)
うえのえんとつからくもをすいこんで、きかいのなかでたべものや、おさら、スプーンにかえるきかいです。
できたたべものはベルトコンベアーではこばれて、おきゃくさんのどうぶつたちが、たのしみにならんでまってます。

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機械遺産のDNA

親歯車ホブ盤開発にかけた先人たちの思い

図1 親歯車ホブ盤HRS-500

日本造船業発展のために

造船事故が生んだ世界一の工作機械開発への決心

事の始まりは、1913年に起きた国産第1号のタービン船・安洋丸の処女航海中の事故である。南米沖で蒸気タービンの高速回転をスクリューの回転速度まで落す際に、減速機内の歯車の歯が欠損して立ち往生した。減速歯車の精度が悪く、歯のピッチが不揃いなために、一つの歯に荷重が集中して歯が折れたことが原因だと当時の機械学会で報告され、その一報を聞いた藤島亀太郎技師(東芝機械元社長)が、日本造船業界発展のためにも「世界一の減速歯車加工用工作機械を作ってやろう」と決心したのである。

海に囲まれた日本にとって、海運事業の発展は必要不可欠であり、輸入工作機械に頼らず国産の工作機械で造船世界一に貢献することを目指したのである。昭和に入り日本は徐々に戦時体制を強化していき、工作機械は最重要戦略品として国家保護による国内生産品に切替った。芝浦製作所の大型工作機械製造部門が分離独立し、東芝機械の前身となる芝浦工作機械(株)が設立された。藤島亀太郎が同社の取締役工場長に就任し、長年の夢であった「国産大型ホブ盤の製作」に着手できる立場となり、研究を開始したのである。

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