歴史資料館 ~我が国の近代化と学会~
第6回(最終回) 近代化の光と影 -「開国」から機械学会創立の頃-
これまで本稿では、近代化に関連して、機械学会が創立された頃の歴史的事柄と、眞野文二・山尾庸三・ダイアーなどの著名な人物の貢献を主に取り上げてきた。19 世紀、西欧列強からの植民地化の脅威に立ち向かうアジア諸国の中で、日本は唯一、近代化・工業化を短期間に成し遂げ、植民地にならなかったばかりか西欧列強に並ぶ国になっていった(光)。これを担ったのは、著名な人物だけでなく、幕末から続く多くの技術者・技能者や、また繊維産業等に従事した女工たちの努力があったからである。しかし、急速な資本主義経済の発展により、都市と零細農村・貧富の格差・足尾銅山開発などに伴う鉱害などのひずみが発生した。そして、強兵策で軍需工業にてこ入れした結果、アジアへの軍国主義的展開へと進むことになる(影)。そうした中、幕末から明治初頭にかけて、日本に滞在した二人の欧米人が書き残した日本の近代化・文明化への率直な懸念の声を紹介する。
キーワード:歴史資料館
【表紙の絵】
「オゾンホール修復飛行船O3-ZES21」
久保 竜希 くん(当時10 歳)
O3-ZES21( オーゼス21:O Zone Eco Ship 21 century)この機械は飛行船にオゾン発生装置を取り付けて、上空で飛行しながらオゾンを製造し、オゾンホールをふさぎます。燃料はいりません。晴れの日は屋根のソーラーパネルで、曇りや雨の日はプロペラと、オゾン発生装置のファンが回ることで電気を作れます。出発前に地上でCO2 を取り込んで、上空でO3 に変えて、放出します。O3-ZES21 の作ったオゾンのおかげでオゾンホールがなくなり、紫外線がさえぎられて、南極の生き物が大喜びしています。