日本機械学会サイト

目次に戻る

2017/11 Vol.120

【表紙の絵】
「おばけたいじロボット」
白石 煌惺 ちゃん(当時7歳)
自分のお部屋で寝ようとすると、暗闇の中からおばけに見えてしまう服やクローゼットが出て来るのをビームでやっつけてくれるロボットが欲しいです。

バックナンバー

機械遺産のDNA

日本の工作機械産業の幕開け 国産第一号 英式9 フィート旋盤

綾部 弘司〔(株)池貝〕

図1 英式9 フィート旋盤(左・右)

右は国立科学博物館に所蔵(機械遺産No.53)

 

1. 国産第一号旋盤の完成

日本の工作機械産業の第一歩

明治22 年(1889 年)、田中製造所(現東芝の前身)で随一の旋盤工として頭角を現した池貝庄太郎(旧池貝鉄工創業者)は、若干20 歳の若さながら弟 喜四郎と仕上げ工、旋盤の車回しの4 名で池貝工場を創業した。

19坪の小さな工場の設備は、資金を工面して購入した輸入品の英式旋盤2 台のみで、当初は田中製造所の下請け部品加工や水道用スルース・バルブなどの製作を主としていた。

この頃、西欧諸国ではすでに産業革命が成し遂げられ、諸産業は工場制機械工業へと移行していた。

明治維新以後、近代産業の育成に努め、西欧の最新機械を輸入してモデル工場をつくるなどして諸産業の発展を奨励した結果、日本でもようやく産業革命が成し遂げられつつあったが、その発展に寄与した機械はほぼすべてが欧米からの輸入品であり、「マザーマシン」である工作機械などは日本で1 台もつくられていなかった。工作機械を自製すること自体が革新的なことだったのである。

池貝工場を創業したこの年、高価な輸入工作機械をこれ以上増やせる資金的余裕もなく、庄太郎は工作機械の自製を決意した。そして同年末、国産初となる英式9 フィート旋盤2 台を完成させたのである。

(英式旋盤:一般的に、往復台と心押台の案内面形状に平型を採用している旋盤)

当時の旋盤製作は独自に設計・製図した図面をもとにおこなうものではなく、鋳物工や木型工が外国製旋盤の現物を見ながら型を取って行っており、本旋盤も同様の方法で製作された。

通常、汎用旋盤の床長は6 フィートか8 フィート(1 ft =304.8037 mm)であったが、限られた工場の広さの中で機械の利用範囲、能力を最大限に確保するため、9 フィート(約2700 mm)とした。

また、主軸台や心押台などの主軸回転部には、耐摩耗性のある鋳鉄製滑り軸受を採用。さらに大径ワーク加工時の振りを確保するため、主軸台側ベッドの一部を「切り落とし」とよばれる凹型にし、摺動面を脱着式とすることで多様な加工物に対応するなど、外国製品をただ模倣するのではなく、旋盤の扱いを熟知していた庄太郎ならではともいえる数多くのアイデアが加えられていた。

当時は材料品質が十分とはいえず、思い通りの性能はなかなか得られなかったようであるが、初期の池貝鉄工所の生産力強化に貢献し、その後も民間の工場で昭和初期まで約40 年間の長きにわたって活躍した。

何よりこの旋盤こそが、誰もやらなかったことにも果敢に挑戦する池貝のチャレンジングスピリットの原点になったのである。

 

図2 英式9 フィート旋盤「切り落とし」部

会員ログイン

続きを読むには会員ログインが必要です。機械学会会員の方はこちらからログインしてください。

入会のご案内

パスワードをお忘れの方はこちら

キーワード: