創立120周年 記念座談会 会長 岸本 喜久雄×若手の会
「夢を形へ紡ぐ~日本機械学会は何をすべきか~」
綿花などから繊維を取り出し、糸を作ること、それが「紡ぐ」。
そして、布に織る装置が「機(はた)」。
人類は5000年前に、糸を紡ぎ布を織り始めた。
「夢を形へ紡ぐ」作業は、「機」を起源とする日本機械学会が
120年前の創立時から取り組み、ずっと続けてきたもの。
では今、我々はどのように「夢を形へ紡ぐ」作業に取り組むべきなのか?
日本機械学会創立120 周年にあたり、岸本会長と若手の会が座談の会を持ち、討議した。
「若手の会」(YMM: Young Members Meeting)は、若手技術者にとっての魅力度向上策を若手自らに提案してもらうことを目的に、2015年7月に理事会直下の臨時委員会として設置された。
設立メンバー:
委員長: 北 泰樹(日立製作所)
副委員長: 阿部 覚(東芝)
委員: 秋山 陽(三菱重工業)、鴛海 恭弘(トヨタ自動車)、川元 康裕(小松製作所)、志賀 寛史(東北電力)、西村 和彦(東海旅客鉄道)、細田 寛之(新日鉄住金エンジニアリング)、山田 剛久(IHI)
北:本座談のテーマは「夢を形へ紡ぐ」ということですが、日本機械学会の価値とは何か、日本機械学会はこれからどうなっていくべきか、ということを議論していきたいと思います。
まず最初に、岸本会長の方から日本機械学会の120年の歴史が持つ意味を紹介していただきます。
岸本:120年前、1897年に「機械學會」は創立されているんですが、その時の会員数は、72名でした。そこから機械学会の歴史が始まって、今35,000人ぐらいの大きな学会になっています。その間に日本の機械工学も発展し、国全体も豊かになってきたということです。
鴛海:何を目的にして「機械學會」は創立されたんですか?
岸本:?野文二という方が初代の幹事長になります。その当時は会長と言わないで幹事長と言ったようです。?野氏は英国留学中に、英国機械学会(Institution of Mechanical Engineers)に入会しました。その機械学会は、機械工学のエンジニアの人たちの集まりで、機械工学の素晴らしさ、国への貢献というものを謳っているものでした。そして、その機械学会の会員であることは、学位を持っている以上に権威があったのです。そういうことに触発されて日本に戻ってきて、関係する人たちと「機械學會」を作ったのです。
北:それで今年120年を迎えるわけですが、100周年の時にもビジョンのようなものがあったのですか?
岸本:100周年の時に「次の100年後を見据えて、何をするべきか」をみんなで考えて、「第二世紀将来構想」というものを作りました。それによって理事会などの組織も変えたりして、今の体制になっています。
ただ、100周年の時の会員数は45,000とかで、それをもっと増やそうと考えていたんです。けれども、実はその頃から会員が少しずつ減り始めていました。現在は、会員数が35,000になっていますので、この会員減にどう対処するかを含めて、本会として新しいことを考えることが必要な時期になっていると思います。
北:会員数が減ってきている一番の原因というのは、やはり若手の減少ですか?
岸本:30代の企業の方々の会員がかなり減っている、ということだと思います。
北:そういう意味では、我々の「若手の会」にはすごく責任があるなという感じですね。頑張っていきたいと思います。
岸本:今、我々は日本機械学会と呼んでいますよね。創立当初に「機械學會」と名付けたんですけど、英文名称は The society of mechanical engineers となっているんですよ。つまり、「機械學會」を「大学の人たちの集まり」ではなく、大学を卒業して、まさに「エンジニアとして働いている人たちの集まり」として作ったということなんです。
現状では、「会社で実際に技術者として携わっている人たちの集まりとしての機械学会」という面が少し弱くなっていますが、これからはもっとこの面を強くしていくのがいいんじゃないかなと思います。
山田:確かに社内の若手の人と話をした時にも、機械学会だけではないですけど、学会というとやっぱり大学の先生の集まりっていう第一印象があるみたいです。
岸本「私は43年前の入会です。」
北:次に、皆さんの学会歴というか、いつごろ・どんな目的で入会したとか、今なぜ続けられているのかとか、これが楽しいから続けているとか、そういうことを聞かせて下さい。
岸本:古い方からいきましょうか。私の入会は1974年なんですよ。大学の4年生です。1975年に卒業しますが、指導の先生から卒業論文でやっていた研究を機械学会で発表してみなさいと。それで、論文を1975年の4月に発表しました。
北:その頃の論文は、手書きですか?
岸本:そう、手書きですよ。これ、書く時が結構大変でね、間違えるともう一回やり直しです。ということで、やはり学会で講演できるっていう理由で、日本機械学会に入りました。
阿部:昔の論文には質疑応答みたいなものが付いてましたね?
岸本:論文を投稿すると、載る前に質問状が来て、その質問に対する討論をやって、これが終わると掲載になるんですよ。査読を通った後に質問が来ますから、その討論でやり込められると困るので、どうやって回答するかを先生方も含めてみんなで一生懸命考えました。
北:大変でしたね。
岸本:それで、私が考えていることがあるのですが。今、論文が全部電子ジャーナル化して、皆さんが読めるようになりましたよね。そうすると、ある種のフォーラムみたいなのを機械学会の中に作って、皆さんが質問したり、その論文を種にみんなで議論するとか、そういう仕組みを作ると、またみんなが論文を読んで議論をする場になるんじゃないかと。対象が新しくなっても、よく探すと前に同じような問題を議論していて、それが新しく生きてくるっていうことが必ずあると思うんですね。「温故知新」って言いますけど、そういうことができる。それだけの、いろんな知的財産が日本機械学会にあるんじゃないかと思います。
北:では、西村さんはどうですか?
西村:正直に言いますと、社会人ドクターを取るために2005年に入りました。ドクターを取るのに論文を2本出さなきゃいけないっていうのがあって、入会しました。ただ、機械学会の論文を2本仕上げる過程で、やっぱりすごく勉強になったなと思います。
日本機械学会に欠けているものは何?
細田:私はまさに、若手の会のために入会しました。
岸本:ありがとうございます。
細田:私のところは、会社としては材料ですが、実は機械屋が半分以上を占めてるんですけども、今回この若手の会に入って、会社の中を調査すると、「学生の時は入っていました。でも今はもう辞めてます」っていう人ばっかりで。
北:細田さんの会社では、海外の学会に入られる方が多いんですか?
細田:そうですね。学会に入るというより、そこでの発表の場を求めているようですね。自分たちの発表に対する同業他社の反応をじかに見られるので、そういうところを活用しているんです。それに対して、日本機械学会は、よりアカデミックといいますか、研究に近いようなイメージがあります。それで、我々のようなエンジニアンリング業は、ちょっと疎遠になってしまうのかな、というところがあります。
岸本:そうですか。少し話は戻りますが、創立の頃の「機械學會」の会員資格の厳格化について、当時の学会でも議論しています。そこでは、「学識と実地経験の両方を持った人が会員になれる」ということで、「学問だけやっている人じゃ駄目だ」と言っているんです。しかし、実はそれでは厳し過ぎて、会員になれる人が多くはなかったんです。かなり厳格にメンバーシップの規定を作っていて、学会というかエンジニアリングのソサエティーを大事にしていたので、会員になること自体が、大きな誇りだったようです。しかし、今はそういう世の中ではないので、やはりメリットというものが大事です。そういう意味からすると、若い会員や技術者が日本機械学会に集まらないということは、やはり何かが欠けているんでしょうね。
鴛海:メリットがあまり感じられないのではないでしょうか?私の場合、自動車会社なので、自動車技術会に行けば、先ほど細田さんが話されたようなことがもう間近にあるわけですね。春と秋に。そこに情報を取りに行くっていうことです。しかし、日本機械学会からはそういう情報を得たりとか刺激を受けたりとか、実感としてはあまりないんです。私は先行開発をやっているんですが、シーズ探索みたいな形で考えると、機械学会は幅広いので、その可能性はあると思います。けれど、なかなか若い技術者に対してシーズ探索と言っても、「君たちにはその前にやることがまだいっぱいあるだろう」と(笑)。
岸本:まず目の前の仕事をしろと。
北:でも、実際にはシーズ探索をしないといけませんよね?
鴛海:そうですね。ある一部の人間はそういう先行開発を当然しなければなりません。ただ、それはごく一部に限られます。
北:日本機械学会の年次大会でも、幅広い分野を網羅的に広く浅くという発表になっていて、すごくコアな人たちにはちょっともの足りない。そういう傾向になっているかなと、思うんですけど、そこをうまく解決する方法ってないですかね?
岸本:そうですね。今、部門の中でいろんな分科会が作られていまして、そこではある課題に対して企業・大学の関係者が集まって、議論しながらやっています。そこの分科会活動が面白い、と集まってきて下さるんです。ですが、テーマの立て方で分野横断的なものが必要になってきた時に、部門の範疇では難しくなっているのかもしれないと思います。むしろ皆さんが日本機械学会を利用して、研究会を作って、それで先生方や国の研究機関の方たちも集めて、そこでみんなで研究するとか。そういうのをもっとやり易くすることによって集まれないかなと思いますけど、どうでしょう。
阿部:「情報なんて机の前にネット環境さえあればほとんど手に入る」っていうことになってきたと思うんです。会員にならなくても情報が簡単に手に入れられるという状況ですよね。一方で、私は流体工学部門の広報委員ですが、委員会の活動を通じて色んな先生方と話し合う機会があります。そこで知り合った先生にいろんな相談ができるんですね。学生さんの採用で「こういう人がいます」という話をもらったりとか、逆に「企業はこういう人が欲しいんで、こういう人をぜひ育てて下さい」みたいなことを話したりとか、そういうきっかけになります。こういうことは重要だと思いますね。さっきの研究会とか勉強会とか、そういうものも部門の中で立ち上がってくるとは思うんですけど、やはり横断的なテーマは、ちょっとやりにくいかもしれません。
「若手の会」の可能性
北:課題もいろいろ出てきましたが、そういう点をうまく取り入れて、これから「若手の会」も活動していかないといけないと思います。岸本先生は「若手の会」にどのようなことを期待されているのでしょうか?
岸本:期待というか、お願いっていうのかな。日本機械学会というこの120年続いてる組織をうまく使っていくのがいいのではと思います。この組織を自分たちで新しく今の時代に作ろうとしたら、とても35,000人が集まる組織はできないですよね。これだけ歴史が続いて、いろんな分野の人がいるんです。ですから、うまく使えば使いようがあって、メリットが出てくるんです。「是非、みなさんで生かしてみて下さい」ということですね。そのために、「こんなほうがいい」、「あんなほうがいい」という議論は、どんどんやっていただきたい。それから、考えていただきたいのは30年後のことですね。皆さんは企業でエンジニアとして活躍されているわけですが、30年後、皆さんが定年退職する頃に、今の企業は一体どうなっているのかなと。皆さんの職業も変わっちゃうかもしれないですね。「これから車がどうなる?」「電気がどうなる?」そういった中で機械のエンジニアって、やっぱりこれからも新しいものを作っていきたいですよね。ずっと会社の人間であるとともに、皆さん、一人ひとり個人だから、エンジニアとしてこれからどうやって活躍していくかっていうのを考えていただきたい。自分の会社の中だけじゃなく、日本機械学会の場を利用して、自分の利益になるようにしていったらどうかなと思います。それが、私の期待ですね。
北:では次に、「若手の会」として活動してきて、どんなことをお考えか、モチベーションは何かとか、その辺を聞かせて下さい。
細田:まず「若手の会」に入らないと出会わなかったような企業の方がいっぱいいらっしゃいます。そこが一番の良いところですね。同年代でこういう異業種でコミュニケーションを取れる場がなかなかないんです。同業の人たちだけでは発想できないことを聞けたりとか、ヒントをもらえたりっていうのが、私のモチベーションです。
西村:私が「若手の会」のメンバーになって良かったなと思うのは、先ほど岸本先生からもありましたように、ソサエティーです。自分に日本機械学会が何かを与えてくれるのではなくて、自分が学会に貢献しなきゃいけないとか、そういうのを考えるチャンスになったかなと思います。
阿部:昨年、我々の企業所属の若手にアンケートを取って、どういうテーマを聴いてみたいかを聞いたのですが、やはり若い人なりの聴きたいテーマがあるようです。なので、「若手の会」を通じて、積極的に基調講演や勉強会を企画するのが良いと思います。「若手の会」を通せば、部門から出てくるよりかは若手の意見が上がりやすいのかなと思います。そのためにはメンバーを増やした方がいいですね。
山田:アンケートの時に出たのが、ジャストアイデアのくだらない話かもしれないですけど、日本機械学会のサークルみたいなものを作って、そこでフットサルとかやっては、という意見です。アフターファイブとか土日に。そんな意見もありました。
北:入りやすいということですね。私にとって大きかったのは、今回の「若手の会」のイベントです。年次大会のイベントを少しやってみて、規模はそれほど大きくはなかったですけど、非常に楽しかったですし、これをどんどん広げていけばなんかすごく面白いことができるなという気持ちになったんですよ。
岸本:今回、年次大会で皆さんにイベントを企画し実施していただきました。その苦労話は、この座談会と同じ1月号の特集の中で“「若手の会」年次大会奮戦記”として紹介されています。来年度も若手の会は新しいメンバーも入れながら続けていきたいと思っています。今回の経験を踏まえて、皆さんのご意見を聞きたいのですが、何を活動の中心に置いて進めていったらいいでしょうか?
北:年次大会がすごくバーッと盛り上がって、若手の会が盛り上がって、それによって例えば会員数がガッと上がるかっていうと、そこにはまだ直結しないでしょうね。
岸本:皆さんのような年代の方々が、会社のことも少し忘れながら集まっていただいて、率直にいろいろなご意見を言っていただき、さらに企画までしていただくっていうのはすごいことだと思っています。ものすごいエネルギーだと思うんですよね。なので、参加者がたくさん集まらなかったとか、そういうことをあまり考えずに、この企画を続けていくというのが私はいいんじゃないかなと思っているんです。「すぐに成果出せ」なんて言うと、つらくなっちゃうし。やってる人たちがまずは楽しいと感じること、そしてその楽しさを少しずつ広げていくのがいいのでは、と思います。そこから何か研究会みたいなものを作って、こんなことを日本機械学会の中でやったらどうか、っていうのも提案が出てくれば嬉しいですね。そして、自分たちでできない企画を、もっと大学の先生方に提案してもいいと思います。
北:そうですね。何か他にありますか?
細田:ちょっと年次大会は敷居が高い気が。
北:高い?
細田:今、すでに会員になっている若手の人を活性化させるのであれば、年次大会に来たついでに我々のイベントにも参加して下さいとかもあると思います。けれども、新たに会員ではない人たちを呼び込むには、いきなり年次大会というのは敷居が高いかなって。金額面も含めてですね。
北:講演会を後でネット配信するという試みを新しく始めたんですよね。それがどういう反響になるかまだわかりませんが、そういうところも進めていくのも大事だと思います。
西村:北さん、年次大会で委員長やって、一番の苦労話って聞かせてくれませんか?
北:私、正直なところ、あまり苦労したって感じじゃないんですよね。自分なりに頑張ったなというところはあるんですけど、結構楽しんでやったところが多くて。ちょっとヒヤッとしたのは、参加人数がなかなか集まらなかったところですね。
岸本:全体的な宣伝も足りなかったかもしれないですね。理事会としての反省点です。
子どもの頃の夢
北:今回のテーマは「夢を形へ紡ぐ」ですが、子どもの頃の夢って実現していますか?
鴛海:僕は今トヨタ自動車にいるんですけど、小さいころ父親がトヨタの車が好きだったんですね。車を買い替えることが、父親のほぼ唯一の趣味みたいな感じだったので、3年から5年に一度、車を買い替えていたんですね。それで、小学生ぐらいの時には車の雑誌が必ず家にあったんですよ。そういう雑誌を見ていたので、車がずっと好きで、車メーカーをぼんやりなんですけど志望するようになりました。
岸本:やっぱり小さい頃にそういう経験っていうのはあるんですよね。野球選手になりたかった人はいませんか?
細田:私はそうでした。野球を真剣にやっていましたが、大学に入るタイミングになって、進路を考えるようになった時に、結構短絡的にロボットなんかは面白そうだなと思って機械に進みました。で、大学に入ってみると、意外と材料の組成とかが楽しそうだなって思うようになりました。
北:私は子どもの頃、家にある家電製品の多くが日立製品でした。やっぱり父親の影響ですね。身近にあったので、すごく愛着を持っていました。大人になったら日立に入ってなんかやるのかなと、なんとなく思っていました。ただ、だんだん大きくなってくると、建築家やパイロットもいいなとか。いろいろ迷いながら大学に進学して、研究をやるようになると楽しくなってきて、どっぷりはまっちゃったんですよ。
阿部:私は高専に入学してから、大学を卒業するまで機械工学を学んできたので、それなりの思いを持って機械を学んできたんですけど、ただ、夢が機械かっていうとちょっと違うんです。夢はもう少し暖かいところで穏やかに暮らすことですね(笑)。
日本機械学会への期待
岸本:最後に機械学会をどうしたいのか、皆さんの考えを聞かせて下さい。
鴛海:僕は産官学をうまくつなげるのが日本機械学会かなと思っていて。特に産業界の中でも、中小企業みたいなところ。どちらかというとエンジニアリングというよりは「勘」や「コツ」みたいな経験でやってきた方々がどこかで壁にぶつかっている時に、学会とか大学とかが少し手を差し伸べることで、「ものづくり」がうまくいくみたいなのがあるんじゃないかと思います。中小企業ともう少し連携できるような形にして、産官学の連携を強化できるような、ハブ的な存在になってほしいなっていうのがあります。
北:私は、幅広くある分野をうまくまとめて、それをサービスというかビジネスの方に展開していくプロセスに、学会の役割があると思っています。そこのイノベーションを生み出すまでのところを日本機械学会で手助けできるような仕組みですね。例えばコンテストとか。
山田:私は、官との繋がりをもっと持つべきかなと思います。日本のビジョンを分かってそうで分かってない。
阿部:産学連携ではないですけども、やっぱり企業の人と大学の先生の接点となるような場というのは1つ大きな、学会の貴重な存在理由かなと思います。
細田:今回年次大会に参加した中で、参加したいなと思ったのが、「学生交流会」です。企業の若手のエンジニアが、学生向けにパネラーみたいな形で説明するものです。対象は学生さんって書いてあったので、入らなかったですけど。あれをもっとみんなに広げるような。私は、異業種の企業がどういうことをやって、どういう取り組みをしてるのかを知る機会を日本機械学会に求めているところがあるので、「学生交流会」のようなイベントはすごい楽しそうで、ぜひ聞きたいなと。
阿部:企業に入って仕事すると、『機械工学便覧』とか『ハンドブック』とかがすごく役立つんですね。そういうものを若い人向けに充実させたいですね。
岸本:私が便覧の改訂作業に参加した時には、前の版があったんですけど、それをできるだけ根本から見直して新しい枠組みに変える作業をしましたが、すごく勉強になりました。その作業はすごく勉強になりました。このような取り組みを皆さんでされるというのも、すごくいいと思います。
北:本日の座談会では、過去から現在、そしてこれから先の話をしました。現在から未来は、勝手に繋がっていくわけではなく、我々一人ひとりが課題に取り組み、繋げていかないといけないと実感しています。このためには、先人たちが残した知識や最先端の技術、社会の抱える課題、さらには技術者の描いている夢や思いを気軽に共有・発信できる場をつくり、さまざまな分野の方たちと連携できる仕組み作りが必要ということが分かりました。“夢を形へ紡ぐ”ために、今日話した内容をこれからの若手の会で活かしていきたいと思います。本日はみなさん、どうもありがとうございました。
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【表紙の絵】
「ハッピーハッピーマシーン」
中村 遼くん(当時5 歳)
作者のコメント:
人の心を傷つける人や、けんかばかりする人をハッピーハッピーマシーンが吸い
とってくれて、心のきれいな人に産まれかわらせてくれるよ。
みんなが幸せになってほしいな。