70歳の挑戦!
シニアボランティア ウランバートルへ
そして迎えた61歳の定年退職、続いて科学技術と経済の会で「製造業の経営者の皆さん」にお役に立てばと、「メンテナンス研究会」や「エネルギー環境教育・研究会」を立ち上げて、8年が過ぎていった。これまでの技術者生活への感謝の気持ちが募っていた頃、もうちょっとご奉公できないかと考えていた矢先に、JICAのシニア海外ボランテイアの募集を知った。そこでは69歳が募集の限界であった。これまでにエネルギー教育に関わり、若い人の教育もいいなあ!と思っていたこともあり、衝動応募をしてしまった。妻はむしろ、「亭主元気で留守がいい。」とばかり、モンゴル行きを後押ししてくれたことと、幸い、その後の過酷な訓練とモンゴル語の特訓に耐え、この地に赴任した。職場は、ウランバートル(UB)市の西方10kmにある、「ウランバートル第4火力発電所」で、ボイラー8基、タービン発電機6基の総発電出力580MW、モンゴル全電力の70%、UB市の暖房用温水の65%を担っている、この國最大の熱併給火力発電所である。「発電所の経営と管理を改善するには?」という視点から、発電所幹部に助言をしている。(注*1,2)
発電所では、毎日予想のつかないことが、次々に求められる。80MW蒸気タービンの出力を、100MWに増やす改造を、中国のメーカーと共に済ませたが、最終給水温度がボイラーの設計温度を超えている。どうしよう、とか、4月末にUB市西方で大地震が起こるという噂がある。エネルギー省から、大地震の防災計画を造るよう、きつい達示が来た。モンゴル人は経験がないから、経験ある日本人の助けを借りて、大至急作成してくれ!・・・・など。これらのSOSには、熱システムの理論と現場での経験、さらに、資機材が満足にない現実に立って、満足度60%でもよい方法を編み出すことが求められる。力学とエネルギー分野の設備に通じ、工学上の(一応の)バランスを広く身につけていると思われる機械技術者だからこそ、何とかこなせることと思う。いわば、機械技術者として、T字型の知識と経験をバランス良く身につけることが大切であると思う。これが機械技術者としての男冥利に尽きることではなかろうか。
モンゴルでの生活
末尾に、T字型を遙かにはみ出した、まれに見る経験を披露しよう。テーマに「モンゴル通信」としながら、この地のことをあんまりかけなかったことのお詫びに! また、大自然の中でサバイバル・ライフを送ることも、機械技術者には求められることを念頭に ! 厳冬の2月始め、世にも不思議な体験をした。UBから離れること、西の草原(夏には)へ走って80kmほど、「アルタンポラク」とか言う何もない山懐で、牧民と一緒にゲル生活を3日間ほど、実習した。冬枯れの山合いに、ひっそりとたたずむ、6個ほどのゲル(Гэр)、真っ白な綿帽子のゲルは、見た目にもロマンチックであった。日が暮れる頃、傍らの丘に登って眺めていると、てっぺんの明かり取りからつきだした煙突から、夕餉の白い煙が立ち上っている。すてきな光景である。パラボラ・アンテナと、太陽光パネルまである。
直径が、8mほどのゲルの内部は、ちっぽけな仏壇を中心に、黒白テレビ、衛星放送受信機、蓄電池、写真を貼った掲示板、夜具の収納庫、食器戸棚、水瓶、ちっちゃな洗面台、これらがきれいな原色の模様で覆われていて、おっと、それよりおおきいのが、2等寝台車ほどのベッド2つ。炊事の時、ジャガイモの皮むきや、まな板も、この上で使い、普段は客が来るとソファー代わりになる。中央にはゲル全体を支える支柱を真ん中に、小さなちゃぶ台と、牛や馬の糞が燃料の大きめのかまど(ストーブ)、燃料の貯蔵篭、といった具合に、思ったより広く感じる。この中に、夜は、客人3人と、若夫婦、5歳の坊や、計6人がベッドとカーペットを敷いた床に、ごろ寝するが、それほど窮屈ではない。
燃料の、牛の糞などは、そこいらに無限に散らばっていて、カロリーは相当なモノである。この国のエネルギー資源は、無限である。くだんのかまどに放り込むと、ゴーゴーと音を立てて燃える。マイナス何十度の寒気に、こちんこちん。蹴とばすと遠くへ飛んでゆく。つまり、カラカラに乾いていて、すぐ火がつく状態ゆえ、臭いの心配などない、全くの無臭である。
それより、一番戸惑ったのが、トイレがどこにも見あたらないことである。噂には聞いていたが、それとて、体内に保ったまま、3日間の辛抱など、出来るはずはない。あまりにも生々しい記述になったので、添付した「JICAへの公式報告書」(注**)に譲って、お伝えしたい。
(注*)・1「日本とモンゴルの架け橋に」電気新聞(2008年10月9日掲載)
2「モンゴルの発電所事情」電気新聞(2009年10月13,14,15日掲載)
(注**)・現地生活報告