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半世紀を振り返って 白木 万博 元 三菱重工 取締役 高砂研究所長 元 関西大学 工学部 教授

 ライト兄弟が、12馬力のガソリンエンジンを載せた複葉機で、世界で初めて260メータの飛行に成功したのが1903年12月のこと。丁度百年目を迎える。僅か百年の間に航空機は高速化、大型化を目指して急速に発達し、大型ジェット旅客機、超音速機、宇宙往還機等が開発され、その進展の速さに驚きを隠しえない。
 筆者は1955年に大学を卒業し、社会人として巣立ってから、企業42年、大学9年(3年重複)、併せて48年の勤めを終えたところである。今更ながら年月の経つ速さに驚きを隠しえないが、自分が経験してきた半世紀を少し振り返ってみよう。

 第2次世界大戦によって壊滅的打撃を受けた我が国産業の復興と発展は、世界が驚く速さで進展していった。産業力を表す一つの指標として、事業用発電機器の容量で比較してみるとよく分かる。終戦直後、戦禍を免れた火力発電施設は、単機容量が僅か30~40Mwクラスで、家庭用の電灯はおろか、事業用電力として賄うにも極限状態にあり、電力不足は窮迫状況にあった。そのため、1953年頃から米欧先進国の技術導入が図られた。

 1955年に、当時としては大容量の66Mwの蒸気タービン発電機が導入され、引き続き1957年には75Mwの新鋭機が導入された。さらに驚くべき現象として、世界経済の発展と産業技術の進展が呼応して戦後の「神武景気」を作りだしていった。1960年には156Mw、1962年に175Mw、1965年に250Mw、1971年に350Mw、1973年に600Mw、1974年に826Mw、1979年には1175Mwと目を見張る形で単機発電容量が急増していった。この変遷は、横軸に年代を、縦軸に単機発電容量をとって、グラフにプロットすれば、まさにステップ関数の状態にあることが分かる。

 これと相まって、周辺機器のポンプ、ファン、コンプレッサなども大型化、高速化が図られていった。回転機器の大型化は、元の図面を比例的にスケールアップすればよいように思われ勝ちである。大型化すれば確かにロータなどの剛性も大きくなる。しかし動剛性は逆に低下することになる。したがって、小型機器ではロータの危険速度が常用回転数より高いところに在ったが、大型の回転機器ではロータの危険速度は、常用回転数より低い領域に存在することになる。しかも一つの危険速度だけでなく、10~20ヶの複雑な振動モードの危険速度が存在することにもなる。このように、急激に産業機器の大型化、高速化が図られると、これまでの機器では問題が無かったが、スケールアップしたことによって、技術的に相当高度な検証がなされないと、トラブルを引き起こす事となる。当時、ことごとくと言っても過言でない程に振動トラブルを多発した原因もこの辺にあったと推察される。

 まさに経済力の進展に技術力が追い越され、十分な研究や検証がなされないまま、機器のスケールアップが図られ、その結果としてトラブルを発生するに至ったものと言える。

 いま考えれば、当時の社会環境の元では、起こるべくして起こったトラブルであったとも言えよう。当時、企業の研究所で振動技術の研究を担当をしていた筆者の元には、毎日のようにトラブルを解明すべく、課題が投げかけられた。この種のトラブルは待ったなしで対応せざるを得ず、ある時は総合病院での急患に対する高度な臨床手術を、ある時は町医者の経験による治療を行うに似ているとも言える。
 振動トラブル・カルテを作り、その都度カルテに記入し整理していくと、またたく間に百数十例のトラブル対策事例集となり、これを分析すると貴重なトラブル防止指針ともなった。(日本機械学会誌 75-639 507/524 1972 を参照)

 近年、つまらぬ技術トラブルがあちこちで発生している。原子力発電所もんじゅの温度計さや管の破損、茨城県東海村JOCでの臨界事故、JR西日本のトンネルのコンクリート脱落、H-2ロケットの打ち上げ失敗等々、どれを見ても次元の低いトラブルばかりである。この種のトラブルが今後益々多発するのではなかろうか。

 20世紀後半は、まさに世紀の技術革新の一つであるコンピュータ社会へと変遷した。
 本来、コンピュータは人類にとって大きな武器であり、生産性向上にも大いに貢献し、世界間情報網の充実により、世界は一つに向けての大きな役割を果たし始めた。しかし、一つ裏を返せば人間が使うべきコンピュータに、人が逆に使われはじめ、そのため考えもしなかった技術的不適合事象の多発に繋がってきているともいえる。

 産業界、中でも製造業にあっては、何処とも新製品・新技術の開発に向けて、日夜努力が払われている。従前の開発過程では、設計計算書に対しても、強度計算式や手法の妥当性のチェック、結果の物理的意味の判断等々、担当者が上司に詳細報告し、片や経験力豊富な課長、部長等のポイントを得たアドバイスを受けながら改良・改善がなされるのが普通で、責任のある検証が行われてきた。コンピュータ社会の出現によって、従来ならとっても人間の腕力では解析・計算することのできなかったような複雑な強度計算や性能解析が、いとも簡単に出来るようになった。ところが、コンピュータは誤ったデータを入力したり、不適切なモデルで計算してもモットモらしい答えを出してくることがよくある。若い設計担当者がコンピュータを使って計算してきた結果を上司に報告しても、ただブラックボックスとして使ったコンピュータからのアウトプットに過ぎず、正しいか否かの物理的検証のやりようが無い。あとは、上司の経験と技術勘に頼らざるを得ない。以前は主要部分と枝葉部分に区分けして、主要部分については重点的に解析・検討されてきたが、コンピュータを用いた設計では根幹部も枝葉部も同列に扱われ勝ちである。

 戦後の壊滅した我が国の技術を、世界のトップに伍するレベルまで進展させた、物理的センスの良い経験豊富な技術者達も、ぼつぼつ定年で居なくなりつつある。コンピュータを使うことだけにたけた新人類達が、生産性向上の名のもとに狩り出され、製品開発を急ぐところに一つの大きな落とし穴があるように思えてならない。とくに、新製品の開発にあたっては、あくまで基本に忠実に、そしてコンピュータに使われず、武器として使いこなすことを期待する。世の中に無い新製品を開発する場合、トラブルを恐れていては開発できない。十分に事前検証がなされたにも拘わらず、未経験のトラブルに遭遇した場合は胸を張ることもできるが、検討不足によるトラブルは何としても避けなければならない。

 21世紀のコンピュータ社会における技術者の育成と設計検証のあり方と共に、忘れられ勝ちの技術伝承の方策についても、一考の余地がありそうだ。

 最後に機械技術者をめざす若者達の先輩として、「技術者としての心構え10ヶ条」を下記に纏めた。参考にして頂ければ幸いである。

【技術者としての心構え 10ヶ条】
(1) エンジニアである前に”カンジニア”としての技術勘を養え。そのためには絶えず物事の物理的意味を考えよ。
(2) 難しい解析をする事が本質ではない。簡単なモデルで要点を突いた詰め方をし、本質を理解せよ。
(3) 新しい事に絶えず好奇心を持ち、勤勉努力せよ。
(4) トラブルを恐れていては新しい物は開発できない。しかし、事前の十分な検討を怠ってはならない。
(5) 過去に経験したようなトラブルを再度起こすようでは、技術者として失格である。
(6) すべて自分でよく考え、責任を持って対応すべきだが、専門家の力を借りることも大切。そして、それを自分なりに噛み砕き、理解し、自分の身に着けよ。
(7) とくに現場の経験豊富な方々の意見を拝聴し、参考とせよ。
(8) 自分の専門技術に卓越すべきだが、煙突形にならぬよう、専門外の知識も身に着け、裾野の広い富士山形の技術者になれ。
(9) 技術伝承が空洞化しないよう、後継者の育成にも努力せよ。
(10) 妥協と協調は異なる。仕事を進める上で協調は大切だが、技術の妥協は禁物である。

以上