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下郷太郎 慶応大学名誉教授
私が機械力学委員会の委員長を務めたのは1972年4月からの2年間でしたが、 当時の委員会活動はいま思うと極めて低調で、年に一回位は部門講演会を開くと いう程度でした。1981年4月からの2年間は環境工学委員会の委員長(3代 目の)も務めましたが、これはもっと低調で、部門講演会の講演室には講演者と 座長とスライドのアルバイト学生しかいないなどという状況を覚えています。 それが今日のような活況を呈するきっかけを作ったのは、機械力学部門だったの です。会員外の外国人の英語による研究発表を認めてもらったり、産業界と連携 して部門講演会での展示会やポスターセッションを認めてもらったりしました (今では当たり前のことも当時は絶対禁止でした)。それに各部門の境界領域の 拡大にともなって、とうとうJSMEも20部門に拡大して、各部門の活動の独自性 が認められるようになりました。1991年4月には部門協議会(私は初代の議長 でした)が発足して今日に至っています。
機械力学部門の初代委員長は高橋安人先生(故人)ですが、高橋安人先生の研究者としての柔軟な風貌からも想像できるように、機械工学の中でもっとも自由な発想が生まれ、新しい展開が期待できるのは機械力学の分野ではないでしょうか。自動制御という今日の先端を行く分野も機械力学の人達が最初に切り開きました。それは機械力学が特定のもの(hardware)を対象とした学問ではなく、方法論(software) を主体とした学問だからだと思います。実際、機械力学の研究者は機械の要素や材料の動力学を扱うだけでなく、流体の問題から電磁気の問題、その対象としても航空機、船舶、自動車、鉄道、原子力、化学プラント、ロボット、建築、土木、医療、金融等々、限りなく広い分野に適用されるダイナミックモデルを考えるわけです。
ただ一つ気になることがあります。それは私も含めて日本人の特徴というか、文化なのかもしれませんが、研究対象がどんどん新しい問題に移り変わっていくことです。研究にも流行というのがあって、この流行の伝ぱん速度は非常に速く、どんな途上国にも流行の研究をやっている人が必ずいるもんですが、欧米の研究者の中には、ねばり強く、執念深く一つの課題をどこまでも掘り下げていく人がいます。華やかなだけが能ではなく、地味に継続した研究の積分値が大きい人も、これからの日本では求められているのではないでしょうか。