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後進の方々へのお願い 長松昭男 法政大学 工学部 機械工学科

この世に生を受けて早や61年、人生の黄昏を迎え、来し方を振り返れば、日夜多忙に追われ、何も成さず時は移り、空しく朽ち行く我身に、後悔の毎日である。このような思いを後進の方々にさせてはならないと考え、機械力学の研究者としての日頃の思いを述べてみる。老人の繰言として気軽にお読みください。

1.21世紀の機械工学

20世紀は物理の時代であった。宇宙から量子までの物質と現象を支配する理(ことわり)が明らかにされ、それに利用技術が付加されて、壮大華麗な機械文明が実現した。機械工学はその中核として、順風万歩の上り坂の連続であった。

21世紀は生命の時代であろう、と言われている。これには、次の2通りの意味があると思う。

第一に、今私たちは生命の危機、人類の存亡の岐路に立たされている。発達した脳を使って地球上での生存競争に勝ち、大自然と他の生命体を征服し終えた人類という生物は、戦いの対象を見失った結果、留まることを知らない闘争本能と底知れぬ残虐性を同胞に向け、互いに殺し合う戦争の歴史を作ってきた。それをも終えた人類は、今一丸となり、快楽への欲望のままに地球を汚し、ついに自分自身に牙を向け始めた。その結果、CO2増大、大気汚染、オゾンホール、資源枯渇、食料不足、ごみ増大など、人類の存続に対する難問が続出している。人類は今、得意の脳を使って本能と欲望を制御し、地球のがん細胞から自然と共栄できる正常細胞へと自身を変身させる以外に、集団自殺による滅亡を避ける道はない。

機械技術は、有史以来常に、生存競争の武器として発達し続けてきた。生存競争が必要とされ肯定されていた20世紀までは、機械技術の目覚ましい発展は、‘進歩は善なり’と、賞賛を持って受け入れられていた。そして私共の時代には、機械の研究者や技術者には期せずしていつも日が当たり、何も考えずただひたすらに、品質の良い製品を安く速く大量に作る技術を開発していさえすれば、飯が食えた。今このことが人類を滅ぼし地球を破壊しようとしている。機械技術が正義の剣から悪魔の牙に変身しようとしているのだ。これまでの幸せな時代を能天気に研究三昧で過ごしてきた私が言うのは心苦しいが、後進の方々にまずお願いしたいのは、機械工学の上に突如降って沸いたこの難問に対する解決策を探していただきたいのである。

この決着は、おそらく21世紀前半にはつくと思う。そして人類は、これに対する解を見つけ、危機を乗り切るのではないかと楽観している。その後に、第二の意味での生命の時代が到来するのではなかろうか。今ようやく人類の肉体を形成する全DNAが解明された。すぐにこれに技術が付随し利用が始まる。そして今世紀後半には、人類のもう一つの神秘である脳の巨大システムがすべて解明され、これに技術が付随し、命の製造が始まるであろう。現在の情報革命とそのツールであるコンピュータは、この技術の萌芽と位置付けられる。

過去の物理の時代を支配した機械工学は、いまのままでは、来たる生命の時代には、殿堂博物館入りする可能性がある。そこで後進の方々にお願いしたいのは、物理から生命への時代の推移を先取りした、機械工学の変革に挑戦していただきたいのである。

2.日本の機械産業の危機

20世紀後半の、西洋の模倣に頼ったあまりにも短期間の安易な成功に酔い油断した日本企業は、グローバル化による世界規模の生存競争に敗れ、自動車業界の一部 に端を発し[1]、次々と欧米の巨大企業に飲み込まれつつある。今まさに、わが国産業は存亡の危機に直面しており、このままでは日本経済は、バブル崩壊をきっかけに奈落の底に一直線、となりかねない。今直ちに、わが国の産学官が一体となって、これを阻止し再浮上の軌道に乗るために動く必要があり、事は急を要する。私たち研究者も、これを座視することは許されないと思う。

最近のグローバル情報化により、物造りに関する時空間の概念が激変しつつある。まず空間的には、自室のコンピュータを用いて隣の部屋と台湾とアメリカとで対話しながら設計を進める、というようなことが当たり前になり、これを実現するための世界規模の組織横断型管理体制が不可欠になっている。一方時間的には、企業活動におけるコンピュータの役割が援用から主役に移りつつあり、コンピュータの時間尺度を前提とした開発・製造の期間短縮への熾烈な競争が始まっている。そしてこれに勝つために、企業形態が、直列順送り型から、企画・設計・試作・生産・販売を同時に開始する、という従来は不可能とされていた並行協調型に移行し始めている。上記の緊急課題に対する解決策の一つは、日本企業がこれらの動きを先取りし、日本企業の武器である人の優秀さと巧みな物造り技術をITと融合させた、わが国独自の次世代CAE[2][3]を実現することにあると思う。

若い皆さんは、国境なぞ古い、とおっしゃるかも知れない。しかし、日本経済が沈没すれば終りである。後進の方々にお願いしたいことは、学問研究の殻に閉じこもることなく、この緊急課題解決への企業の自助努力に積極的に協力していただきたいのである。

3.これからの機械力学

私たちの専門である機械力学に話を移そう。

ニュートン以来200余年、機械力学は華麗な学問体系に発展し、機械工学の中核を支え、機械文明の理論的基盤になっている。これを逆に見れば、機械力学の根幹となる力学の法則や定理は出尽くし、それらに基づく理論体系はすでに完成し終わり、応用の時代に入っているとも考えられる。機械力学には更なる基本的発展は未来永ごうにないのか?

現在、急発展しつつある情報化手段に機械工学全体が振り回され、これに比べて動きの鈍い基礎学問との間に不均衡が生じているように見受けられる。機械力学も例外ではなく、機械力学そのものではなく情報工学の導入が学問の最先端になっているように見受けられる。例えば、市販のFFTや実験モード解析システムでは、理論の優秀さや解析精度はどうでもよく、ただ画面表示の美しさやアニメーションのリアルさだけが商品価値として評価されている。

一方、企業現場のニーズはますます高度化複雑化し、従来の工学やツールでは対処困難な問題が続出している。そのため、企業が大学を本気で相手にしなくなり、設計開発が学問研究と乖離し、現場では専ら勘と経験と統計的手法に頼っている。これらの現状を打破するためには、今機械力学に何らかの飛躍が必要ではなかろうか。

飛躍は常識を破る疑問と発想から生まれる。これを力学に適用すれば、次のようなことが考えられる。一見互いに無関係な機械・電気・熱・流体などの専門分野の法則や定理を統一して筋通しできないか?動力学の根源は運動の法則、だけでいいか?2階微分運動方程式は機械力学の最適な数学的表現か?線形理論は完成し終わっているか?非線形を基本とする力学体系はないか?形状・構造に頼らず機能を直接表現できるモデル化手法はないか?このような気違いじみた疑問が、もしかしたら今必要なのかも知れない。

筆者の専門である振動工学でも、モード解析ですべての動現象を表現できるか?複素モードを力学的に説明できないか?減衰を導く一般理論はないか?働きの異なる質量、こわさ、減衰を同時に同定していいか?過渡自由振動で同定した打撃試験の結果を定常強制振動に使っていいか?など、今まで当り前だと思っていたことを疑ってかかるのも手かもしれない。

次に、飛躍は切迫したニーズから生まれる。悲しいことに、コンピュータも情報技術も原子力もロケットも有限要素法も、すべて戦争の産物である。殺さなければ殺される、の極限状態が飛躍を生み文明を改革し技術を進歩させるのは、人間の業(ごう)であり進化の宿命でろうか。

企業は戦場である。工学の筋通しがされていない企業現場で素晴らしい製品が出来るのは、食うか食われるかで悶え苦しみながら生み出した宝石が、汗と脂で練り上げた泥の中に数多く埋もれているからである。残念ながら、大学には切迫したニーズはなく、筆者のような学者が机に座って思いつく工学には、とかく綺麗な偽物が多い。しかし企業では、絶え間ない白兵戦に日々追われ、宝石を見つけ磨く余裕がない。我々学者が、ステータスの誇り(埃?)と既成学問の鎧を脱ぎ捨て、虚心坦懐に企業に入って教えを受け、泥だらけになりながら宝石を掘り出して磨くことが大切であろう。

次に、飛躍はモデル化から生まれる。宇宙や素粒子の世界に見られるように、一般に物理学は、以下の手順で循環的に発展していく。まず独創的な新しい仮説(モデル)が立てられ、それに基づいた理論体系が構成され、それが実験的に検証され応用される中で矛盾が生じ、それを解決する飛躍が、次の新しい仮説によって実現する。機械力学も同様であり[4]、まず新しい力学モデル(仮説)が現れ、それを理論化して支配方程式が作られ、同定によりモデルに魂が入ると共に仮説の正当性が検証され、その実用が進むと問題が生じ、その解決に向けてさらに新しいモデルが試みられ、次の飛躍が生まれる。

機械力学の研究は現在時流に乗り、機械学会論文集などに見られるように、量的には増加の一途をたどっている。このこと自体は喜ばしいが、多くは研究対象が細分化され過ぎ、魅力のあるものが少なくなっていると感じるのは、過去を美化する年寄りの愚痴であろうか?これを引き起こした張本人の一人が筆者自身であることを承知の上で、後進の方々にお願いしたいのは、過去の学問体系に捕われない若い柔軟な発想で、筆者が成しえなかった機械力学の飛躍に挑戦していただきたいのである。

文献

[1]長松昭男:日本の自動車産業の行方、自動車技術会誌、Vol.54, No.11(2000), p.2-3.
[2]長松昭男・角田鎮男・平松繁喜:自動車開発支援のためのモデル化手法(製品モデル構築への一考察)、自動車技術会2000年春季学術講演会前刷集、 No.30-00, p.1-4.
[3]角田鎮男・長松昭男:同上(業務モデル構築への一考察)、同上、p.5-8.
[4]長松昭男:機械力学における新しいモデル化手法、日本機械学会誌、 Vol.104, No.986(2001), p.41-45.