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就社から就職へ 國枝 正春 元日本機械学会会長
今回、学会の機械力学・計測制御部門から若手研究者へのメッセージを書くようにとのご指示があった。光栄なことであるがこれまで、誇るべき成果が無かった77年の人生であって、後輩に伝えるに適当な事項はなさそうである。強いて言えば、終身雇用制の世間を振動技術という職人芸一本で、順序は違うが、産・官・学と渡り歩いた経験が、日本でもこれから始まりそうな職能制社会で生きるのに、何らかの御参考になればと思ってお引き受けした次第である。
私は、大学卒業後、国鉄技研に25年半、石川島播磨重工技研に16年、明星大学に9年勤務し、振動学の学問と技術、特に振動診断を専門にして働かせてもらった。
ちなみに、明星大学勤務中、提携校のミシシッピー州立大学に短期交換教授として出張し講義をする機会を得たが、そこでは学生が飛行機を設計・製作し、ライセンスを取って実際に飛行をするのには驚くと共に、工学教育の神髄に触れた思いを深くした事であった。
さて、最近の我国は経済の長期不況から、リストラと称する従業員の解雇が日常的に行われる状況である。ここで、これまでの日本の企業社会での慣行事項であった、従業員のいわゆる終身雇用制が崩れ、欧米では当たりまえである、従業員の職能雇用制に移行する傾向が明らかになりつつある。そこで、このような傾向を考慮しながら、ご参考になりそう事項を記して見よう。
まず、これからの技術者の基本的な心構えについて述べる。
私宅の仕事机のすぐそばに3冊の図書がある。それらは、かって読んだ順序に、
(1)エーブ・キュリー著:キュリー夫人伝(白水社 昭和14年)
(2)T. KA’RMA’N著:MATHEMATICAL METHODS IN ENGINEERING (McGRAW-HILL BOOK COMPANY 1940)
(3)チモシェンコ著、田中 勇訳:チモシェンコ自伝(東京図書株式会社 1979)
である。
まず、(1)では、学者としての“生き方”に学ぶ点が多く、また、その“生きがい”の豊かさに感動させられる。
(2)では、内容の豊富であることに感心し、技術者に必要な数学とその説明のうまさに教えられる。また、著者がハンガリー出身であることから、使っている英語が簡明で、技術英語のお手本としても参考になる。
(3)では、著者がいかなる苦境に置かれても、環境にくじけず、専門とする学問・技術に勇往邁進する姿に打たれる。
ついでながら(3)は現在絶版のようである。もち論、ロシヤ語原著の英訳書である Robert Addis 氏による英訳書“The Autobiography of S. P. Timoshenko”は工学関係の大学等の図書館には備えられているであろう。
次に、現在、社会で問題になっている終身雇用制から職能雇用制への転換傾向について触れよう。
著者は国鉄技研勤務中、新幹線の成功もあって、外国から多くの技術者や学生の訪問を受けてこれに対応した。
フランスのリオン工科大学の学生は継続的に鉄研を訪れ、一月程度の研修を行っていた。彼らの旅費と滞在費は大学から支給されるとの事であった。興味あることに、彼らの就職希望先はアメリカをはじめ、条件によっては何処へでも行くとのことであった。
このような海外技術者や学生との対応は、当時の日本人技術者のそれとは大きく異なっていて大いに参考になった。後に、前記のミシシッピー州立大学への短期交換教授の時の経験とも合わせ考えると、彼らの職業意識は既成の有名大企業への就社ではなく、自己の能力を最大に発揮できる企業への就職なのである。いわゆる、専門の料理人の“包丁一本、さらしに巻いて、呼んでくれる所なら何処へでも行く”という職能重視のパイオニア意識なのである。
彼らは社会人として働くのに必要な三つの性能をよく心得ている。それらは、専門性(Speciality) 、雇用への適応性(Employability)、商品性(Marketability)である。
以上の論旨から、最後にこれからの学生諸君ら若い方々が、企業に採用されて勤め始めるとき次のような覚悟をする事を薦める。すなわち、これからこの企業の中で、自分一人の個人会社を経営しようと。そこでは、自分一人が社長であり営業係であり、問題担当の技術者であり、小使いでもあらねばならない。
この話は、出身大学等に将来の教員として採用される幸福な場合にもほぼ当てはまる。ただし、これからの工学系統の大学、専門学校などの教職関係の方々は、まず、物作りの現場に接する機会を、可能の限り多くするように努力した上で、以下のような動きをする事を薦める。
もちろん上司の指示に従うのは当然であるが、指示された仕事は最も効率的に短時間で終了させ、それから、自己の専門として扱える仕事を発見するように努めるのである。
問題を発見したり、聞いたりしたら、直ちに自席に戻って、聞いたり、見たりした問題についての解決法を考え、要すれば自分で計算機を動かして結果を求め、対策に関する一連の報告書を作成、問題の担当者に提出するという行動を試みるのである。
この行為は越権行為であると非難される場合もあろうが、それが本当に企業等に役立つ成果を挙げられれば、企業内の自分一人の企業としての作戦は成功し、やがて自席に同種の専門問題を抱えた事業部の担当者が相談に来るようにはずである。要するに、専門家として自己の生き方をPRするのである。
この行動はやがて会社幹部に評価されるとともに、専門家としての問題の収集、分類に貴重な成果が得られるはずである。
場合によっては、海外出張しての同種の問題をこなすようになり、外国の専門家と同様な行動を採れるようになる。
結局、私の考えでは、日本の技術者の社会は職能制によらない限り世界競争に太刀打ちできないであろうと考える。また、個人の生き方は、当然、自分で決めるべき事項であって、終身雇用制にのみ頼る生き方は、“生きがい”の点で不満足なものになると思うのである。