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工学の研究と教育について 三輪修三 正員,名誉員,青山学院大学名誉教授

 17世紀フランスの偉大な警句家,ラ・ロフシュコーによれば,「年寄りは,悪い手本を示すことができなくなった腹いせに,良い教訓を垂れたがる」(『箴言集』,岩波文庫による)のだそうだ.私はこれまでとくに悪い手本を示したつもりはないが,自戒するに越したことはない.読者諸賢は彼の警句を承知の上でなお,この拙文から何かを汲み取っていただければ幸いである.

◆ 機械力学・計測制御工学と私
 今から半世紀も前,私の大学時代を思い出してみると,機械工学の中で機械力学はけっして主流の学問ではなかった.だいいち,機械力学ということばすらあまり一般的ではなく,機構学や諸学の蔭に隠れたささやかな存在だった.計測や制御などはまだ学問としてまとまった体系にはなっておらず,大学のカリキュラムには存在しなかった.当時,もてはやされた先端的な種類の機械を開発し設計するには,材料力学,流体工学,熱工学,機械工作法が何にも増して重要なものであり,これらが機械工学の花形分野だった.大方の機械にとって振動など本来あってはならないもの,退治すべき悪者である.こうして振動の研究や技術は出来上がった機械の後始末にかかわる「掃除屋」の営みとされ,熱・流体工学などの花形分野からみると,機械振動を扱う機械力学は彼らに奉仕すべき召使いに等しいものであった.

 それが何の因果か,私は卒業研究ではあぶれ組に入り,希望しない「冷や飯」の機械振動に関わることとなった.卒業のときはたいへんな就職難にぶつかり,小企業にすぎない民間の試験機メーカーにやっと就職して,はじめは材料試験機,のちには振動計測器と振動試験機,なかでも回転機械の釣合試験機の研究と開発に携わった.のち,実機の設計を担当して,きびしい現場の風にも当たった.

 そのうちに1960年代の高度成長期がやってきて,新幹線鉄道や日本初の高速道路の建設が始まった.高速での連続運転に耐える鉄道車両や自動車の開発に各メーカーは血眼になり,はたまた航空産業の再開で自前の航空エンジンの開発もあって,機械振動の防止が火急のこととなった.機械振動の学問と技術はにわかに脚光を浴び,これを機に,機械力学は機械工学の柱の一つとしてもてはやされる部門へとのしあがったのである.私のいた会社は規模こそ小さいが,幸いに振動の技術では世間からは一目置かれる存在だった.そこで機械振動に人びとの眼が熱く寄せられてきたこのとき,私は全国を行脚して主だった機械メーカーに振動対策の必要性と具体策を説いて回り,伝道師のような役割を果たした.こののち,ある大企業の依頼を受けて私は全自動釣合試験・修正システムの開発に関係し,日本では当時まだ黎明期にあった計測・制御の学問と技術に深く関わることとなった.やがて私は会社から大学に移ったが,その後も機械力学と計測・制御工学の研究と教育で永年めしを食わせていただくこととなったのである.はじめは気の進まない,流行らないことをやったばかりに,のちに社会の風向きが変わったときには希少価値の故に陽の当たる場に引き出され(自力でしたのではないから,何も誇るところはないが),おかげでそれなりの先駆的なしごとをすることができた.このことを今ではとても感謝している.ことわざにいう「人間万事.塞翁が馬」のミニ版といったところか.

 そういえば,研究について学問の大先輩から教えられたことがある,「いま流行っていることをするな」というのである.学問や技術,あるいは芸術の世界でも,流行っていないものを流行らせるのが一流,流行っているものに手を染めるのが二流なのだそうだ.

◆ 工学の研究と教育における歴史のすすめ
 工学とは,「人間と社会に有用な人工物をつくるのに必要な学問と知識の体系」をいう.だから工学研究では新規性と有用性が同等の価値をもつ.このような学問と知識は教育の場で学生に伝授され,次代の工学・技術を担う人材が育てられる.工学の研究と教育に何が必要で,どのように行うべきかについては人びとのあいだで広く論じられており,いまさら言を追加することもあるまい.そこで,他の人があまり言わないような一つのことをここで述べておくことにする.

 それは工学の研究と教育における歴史の重要性である.私は大学での教員生活の最後のころ,本来の機械力学・計測制御工学のテーマと並んで,機械力学を中心とした工学史(工学という学問の誕生・発達・変遷の歴史)の研究と,学界における工学史研究・教育の普及活動に力を注いできた.これには大きなわけがある.そのことをお話しして,機械力学に限らず,工学分野で最先端の研究と教育に携わる方々に歴史のすすめをしたい.

 昔,私がドイツのベルリン工科大学に居候をしていたとき,同大学のサボ-教授の名著「力学原理の歴史」に出会った.工業力学・機械力学・材料力学・流体力学(熱力学はない)の主要な概念や原理・法則等を,その着想の発端から論争,発展を経て定着まで,原著にさかのぼって解説・論評した大著で,非常に刺激的・啓発的な書物である.サボー教授は同僚も一目をおく力学の大家であって,「工学の研究と教育には歴史が不可欠」という考えの持ち主である.彼には多くの専門書や教科書があるが,どの書物も最初の章で当該学問の歴史を概説している.振り返れば19世紀の後半,学問としての機械工学の基礎を築いたランキンやルーロー,それに20世紀はじめのストドラなど,偉大な工学者の著書には冒頭にかならず詳細な歴史の記述があった.自分の専門分野の歴史に詳しいことは専門者であることの資格の一つであり,専門書にはまず当該分野の歴史を概観して学問の由来と自分の労作の位置づけをはっきりさせるのが当然のことだったのである.工学の専門書から歴史の章が消えたのは1920年代以降のことで,ティモシェンコあたりの書物には歴史記述が見られない(そのかわり,彼はのちに「材料力学の歴史」というりっぱな本を出している).このころには産業社会が定着したことに伴って工学の研究・教育体系も変質し,もはや自分のしていることの由来や意味を問い直すこともなく,わき目もふらずにひたすら目的だけを追求するもの(=軍隊的な性格)となった.つまり,工学の研究と教育は,当面に必要なノウ・ハウだけを追求し伝授するものと化したのである.

 前にも述べたように,私は長いあいだ,回転機械の振動をベースに,機械力学ならびに計測・制御工学の研究と教育に携わってきた.慣性モーメントの概念とその使い方,ダランベールの原理,梁の曲げ振動の式や多自由度系の振動モード,こういった既成の力学概念や原理・公式等は当たり前のこととして学生に教えてきたのだが,サボ-教授の書物に接して,自分はいったいどれだけ本当のことを知っていたのだろうかと愕然としたのだった.出来上がった結果だけを,お経を教えるように,学生にむりやり信じ込ませてきたのではないか,と深刻な反省を促されたのである.学生には創造力が大切だといいながら,実際には逆に創造力を摘み取る教育をしてきたのだった.教科書というものは,広く認められた正解から逆に辿って説明の論理が組み立てられ,記述される.教科書は経典(軍隊でいう教典)なのだ.学会の研究論文や公開された技術資料等でも,中味は行為のプロセスの中でおこった失敗や苦労ばなし(これが真に必要なノウ・ハウ,ノウ・ホワイなのだ)は抜きで,しごとの上澄み,すなわち成功したきれいごとの羅列なのだ.しかも,論文は自分の周りだけの同業的閉鎖社会,そして現時点というせまい井戸の中で創造性とか有用性とかを論じているのではないか.

 科学でも工学・技術でも,その本質は所与の知識(これを経という)の中にあるのではなく,その知識が作られ変化していく過程(これが史)の中にこそ存在する.知識を創り出す知識と能力.これが真に求められるものだ.このような知識と能力は経によっては与えられず,史を学ぶことによって得られる.史を無視すると科学も工学・技術も生きた存在ではなくなり,創造力はしぼんで知識すら育たなくなってしまう.経よりも史を.史によって経が生きるのである.

 こういうと,つねに最先端を追い求める工学・技術の世界では歴史は道楽にすぎない,そんな暇があったら最新の論文の一つでも読むべきだ.こんな声が聞こえてきそうだが,それは間違っている.歴史を勉強することは生生流転の姿を時間軸で見ることで自分が立っている位置をはっきりさせるだけでなく,将来への展望をも与えて,専門家としての彼の見識を高める.自分の歴史を研究も教育もしない工学のことを「野蛮な学問だね」と批評した人がいる.史を踏まえない学問・知識は盲目で,底が浅い.ホンダ技研の創立者,故・本田宗一郎氏はいつも,設計や開発に当たる若い技術者に向かって「歴史を勉強せよ」と言っておられたそうである.歴史とは年代記でも単なる過去の回顧でもない.ある状況に置かれて決断と実行を迫られた人々の試行錯誤と苦闘の足跡なのだ.改めて言おう,「経よりも史を」と.これはどの分野にもあてはまることだが,とくに第一線の工学・技術の研究と教育に携わる後輩諸氏にこのことを強く訴えておきたい.

【参考】
(1) 三輪修三,機械力学の歴史とその周辺(上,下).日本機械学会誌 91-836/838 (1988.7/9), 670/980
(2) 三輪修三,機械振動学の歴史.日本舶用機関学会誌 25-9 (1990.9), 567
(3) 三輪修三,機械力学のあけぼの.日本機械学会論文集C編 57-541 (1991.9), 3063
(4) 三輪修三,機械工学史.丸善 (2000)