LastUpdate 2015.2.9


J S M E 談 話 室

ようこそ、JSME談話室 「き・か・い」 へ


JSME談話室「き・か・い」は、気軽な話題を集めて提供するコラム欄です。
本会理事が交代で一年間を通して執筆します。

No.133 「独断と屁理屈による自動車の安全考」

日本機械学会第92期副会長
北條 春夫(東京工業大学 教授)

北條春夫

 昨今の若者の多くは自動車に興味を持たないようである.15年以上前に,モータショウに行ったとき,エンジンルームの中を見たくてボンネットを開けようとしたら怒られた.それ以来,私は行かないことにした.どうせ中を覗いても化粧カバーしか見えないご時勢である.そして今日,自動車が,自分が動かす車から,自動的に動く車に変わろうとして,その話題で盛り上がりつつある.とはいえ,世の中は,まだまだ多くのエンジンつき自動車が圧倒的に多いと見通されている.

 私は幸いに,自分で車を動かす時代に生まれ育ち,今でもこれが好きだ.気の張らないコラムの執筆ということなので,学術的には当てずっぽうな世界かもしれないが,自動車を運転しながら屁理屈をこね回すことを喜びとしている一ドライバーの,安全に関する考察の一部を記すこととした.

 もう40有余年の免許暦の中で自分なりに考えた車の安全.馬鹿にするのも勝手だが,何か真実が埋もれていると思うのだけど...

車は大きいほうが良い

 省エネルギーのために,軽自動車をはじめ小さい車が売れているらしい.最近の車は衝突安全も良く考えられているから,壁に衝突する分には,車室内を守ってくれる.でもこれは単独事故の場合である.車同士での衝突では,同じ大きさの車同士なら壁にぶつかるのと一緒だから,同じに考えればよいけれど,速度差をもった正面衝突ではどうだろう.車の損害は同じかもしれないが,跳ね返りによる加速度は小さい車のほうが大きいから,人へのダメージもこれに比例しそうである.もっと極端な場合を考えてみよう.10トン積みトラック,総重量はおおむね20トン,小型乗用車はおおむね1トンから2トン.ぶつかれば飛ばされるから,どう見ても勝ち目はない.衝突時の安全を考えるなら,相手と同じ重量の車に乗るのがよさそうである.大きすぎると今度は結構な運動エネルギーが瞬間で消滅するからほどほどの限界があるのであろうが,時として空からも降ってくる.やはり,大きい車に乗るべし,と思う.

 でも省エネが……,と考える向きには以下のアイディアはいかがかだろう? 昨今の技術の進化により走行抵抗も十分低い.空力抵抗は前面投影面積で決まるから,そこそこに小さく維持できる.そして,ハイブリッド.理想を考えれば,制動時には,走行中の運動エネルギーは,すべてを電気エネルギーなどに変換して貯められそうだ.貯まりすぎるに違いない.それなら,騎馬隊や,馬車のように,道へ落としてゆけばよい.誰かが拾ってくれれば,社会貢献にもなる.

車はMT(マニュアルトランスミッション)のほうが良い

 車は,走り,曲がり,止まるものである.いつ止まる必要があるか? 危ないときに止まれることである.これはスキーなどでも一緒である.一方で,アクセルペダルを間違って踏む事故も絶えないようだ.慌てふためいたそのときには,ブレーキが踏めるわけがない.別の手段があれば事故の被害を抑えることもできよう.さて,止まるもしくは,加速しないようにコントロールする手段にはどんなものがあるか?

 エンジンキーを切るのもひとつであるが,これは除いておき,AT(オートマティック)なら,ブレーキを踏む,サイドブレーキを引く,セレクタをP(パーキング)に入れるなどが考えられる.踏み間違いの瞬間にブレーキは無理,サイドを引いても車はぐいぐい進む.セレクタなんてめったに動かさないものを操作する余裕のある人なら事故も起きないだろう.

 一方,MTでは,セレクタに代わりシフトレバーと,クラッチペダルがついている.車を運転していると,どちらもよく使うから,いざというときに使えるのではないだろうか.発進から加速にかけて,左手はほとんどシフトレバーを握っているから,ギヤをニュートラルにしたり,同様に左足でクラッチを切って,推進力を切ることができる.これだけでも,損害は減るはずだ.安全のためにはいくつものフェイルセーフをかませるのが一般的であるならば,車もそのほうが良いに決まっている.2ペダルはいまひとつ不安だ.

健康に貢献するMT

 一例として横断歩道のある信号機つき交差点を右左折するときの動きを想像してみよう.Loで発進,曲がるころにクラッチを踏み,シフトレバーを1段上げ,そしてクラッチをつなぐ.この間,車は惰力走行しかしないから,それ以上加速して暴走することはない.そのうえ,これは肩の力を抜いていられる一瞬である.左右を見て安全の再確認をしたり,結構ストレスがない.運転は,緊張があるからJoyを感じる一面もあるが,緊張しっぱなしでは,つかれきってしまう.

 もうひとつの重要な見解を示す.MTでは,両手,両足を駆使して車を前進させる.これによって,人間にとっても左右のバランスよく刺激を与えてくれるから,脳みそをはじめ健康にも良いはずである.そういえば,ヨーロッパの人たちは,見るからにおばあさんでも平気でMTを運転している.必要とはいえ,日ごろから左右がバランスした鍛錬が,老人になってもAT不要の社会を作っているのでは? というわけで,50歳を超えてからまたMT車に乗り始めた.

車がドライバーに発信する安全安心の配慮

 とある車を運転している.その車はAT系であるが,面白いことが起きる.赤信号で停車するときに,セレクタをD(ドライブ)に入れたままサイドブレーキを引いて,ブレーキから足を離すと,クリープ(AT特有のじりじりと前進する挙動)が強くなり,エンジンがうなって前へ進もうとする.そこでブレーキを踏まざるを得ない.踏むと収まる.これは二重安全の考え方に基づくものと理解した.サイドブレーキは,車輪を絶対的に固定するものではない.引き方が悪いと知らず知らずのうちに動いてしまうこともある.クリープが強くなれば,ドライバーは,ブレーキを踏むなり,セレクタをPに入れるなりせざるを得ない.この車は安全対応の指示を,ドライバーに発信している. ほかの車はどうなっているか? 私は知らないし,私の車は某輸入車である.本来の趣旨は知らないが,私は,以上のように考えて,車づくりの思想を再認識させられた.

 さらに,この車は,何か異常が起こると,蚊の鳴くようなチャイムがたった一回だけチンと鳴る.走行中にガソリンやオイルが減ったとき,タイヤの空気圧がおかしいとき,外気温が零度に近づいたときなど,どれもまったく同じ音である.車を降りる際にヘッドライトの消し忘れや,方向指示器の消し忘れがあっても同様.ほんの一瞬の音なのに,この「チン」がたまらない.家電で聞きなれている「ピー」なり「ブー」とは違って,「あれっ!」と思わせ,気になってしょうがない.何が起きたのか考えさせ,思い当たる場所を探り当てる.メータパネルを覗き込むとちゃんとメッセージが出ていることもある.有難いお節介(と信じている)が気に入っている.

といろいろ考えながら,目的地についてしまう.日々,自らのマナーに反省もしながら,安全はいかにして実現できるかを考えている.安全であるための論理に唯一解はない.理不尽でない屁理屈で考えるのも脳みそをやわらかくしてくれる.車に乗らなければ良いに決まっている.これは唯一真理であると思う.

JSME談話室
J S M E 談話室 バックナンバーへ

日本機械学会