LastUpdate 2014.12.12
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No.131 「Road Safetyと機械技術の役割」日本機械学会第92期財務理事
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機械の定義は、近年のメカトロニクスや情報通信技術の発展に伴って若干変わりつつあるようだが、古典的には「外部からのエネルギーを人類に有用な仕事に変換するもの」と捉えられる。この「有用な仕事」を生み出す過程では、通常、何らかの運動を伴なう。このため、機械はそれ自体に「安全の確保」という問題を内在していると言えよう。
機械としての自動車の歴史をそのような観点から見てみると、世界初の自動車とされているキュニョーの砲車は、1769年にフランスの軍事技術者N. J. Cugnotが陸軍砲兵隊のために作製した三輪の蒸気自動車である。これは大半の重量が前側の一輪に掛かるために操縦が難しく、初めて走行した直後に近傍の煉瓦壁に衝突したという記録が残されている。その後、ガソリンを用いた内燃機関の発明と採用を経て、新たな移動手段として市民権を得た自動車は、人類に長年の夢であった「自らの身体能力を超えた高速で走る能力」をもたらした。その結果、効率の良い移動や物流が世界各地の経済発展の起爆剤となるなど、人類社会に多大な貢献を果たしてきた。
その一方、十分な道路・交通インフラや一般大衆に対する交通マナーの啓蒙が行なわれていない段階においては、道路上の交通事故による多くの死傷者の発生という事態を生み出したことも事実である。例えば、日本における年間の道路交通事故による死者数は、戦後の急速なモータリゼーションを背景として、昭和45年に16,765人のピークに到るまで急激なペースで増加を続けた。その後、今日に至るまで、種々の交通環境の整備や、交通安全の啓蒙教育活動、交通法規の取り締まり強化、そして自動車の安全性能の向上など、社会、人、クルマに対する総合的な対策によって減少を続け、平成25年には4,373人とピーク時のおよそ4分の1にまで減少している。いまや日本は、スウェーデンや英国、オランダと肩を並べる世界で最も道路交通安全のレベルが高い国になったと言えよう。
これに反して、現状を世界全体で見た場合には、より深刻な問題が浮かび上がる。WHO世界保健機関の報告書によれば、世界の道路上では2010年に年間およそ124万人が死亡しており、2000万〜5000万人が道路交通事故の結果として、死亡には到らない傷害を負っている。道路交通事故による外傷は、全世界の人々の死亡原因として8番目に多く、15歳〜29歳の若年層においては死因の第1位である。現在の動向が続けば、道路交通事故による死亡は緊急の対策が行なわれない限り、2030年までに全世界の死因の第5位になる、と予測されている。
このような現状に鑑み、国連は2010年に“Decade of Action for Road Safety 2011-2020”(道路交通安全2011-2020に関する十年行動計画)と呼ばれる決議を総会において採択した。この十年間におよぶ全世界的な活動の目標は、道路交通事故による死者数の増加傾向を安定化し、低減することであり、この期間に約500万人の命を救うことである。この決議は、道路交通安全のマネジメント、道路インフラ、車両安全性能、道路利用者、事故後の医療体制、の改善を5つの柱として加盟国に対策を求める包括的なものであるが、中でも死者数低減の鍵を握る5つのリスク要因として、大幅な制限速度超過、飲酒運転、自動二輪のヘルメット非着用、シートベルト非着用、幼児拘束装置の不使用、を掲げ、これらの排除が重要であると結論付けている。
国連やWHOが主導するこの全世界の道路交通事故による死者数の低減には、各国政府の立法機関や運輸、医療、警察、教育に関わる行政当局、さらには地方自治体や民間の交通安全関係諸機関が実施する社会、人、クルマに対する横断的な取り組みが必要となる。その意味では、人間が自ら創り出した機械に由来し、致死性の高い感染症に相当する規模で人類社会が今なお直面しているこの課題に対して、機械としての自動車や利用者とのインターフェースに関する技術的な改善は、ジグソーパズルに描かれた全体像のひとつのピースに過ぎない。
しかしながら、近い将来、実現されるであろう「自動運転による衝突事故の回避」に加え、先に挙げた主要なリスク要因の排除等に対して、機械技術が、経済性や社会受容性を合わせ持つ実行可能な対応策を生み出し、提言することができれば、このひとつのピースは、複雑に入り組んだパズル全体に影響を及ぼして相乗効果を創出し、この全世界的な活動の成否に非常に大きな貢献を果たすことになるだろう。
全世界の道路交通事故による死傷者の低減に対しては、これまでにない根源的・抜本的な解決策とそれに基づく「ゼロを目指した取り組み」が強く求められるところである。機械工学・機械技術と関連する分野の研究者・技術者が、その実現のために期待される役割は限りなく大きい。