LastUpdate 2014.11.17
|
ようこそ、JSME談話室 「き・か・い」 へ |
No.130 「逆問題解析へ研究主軸を転換したとき」日本機械学会第92期会長
|
30歳台の半ばに入った時に,研究の主軸を破壊力学から逆問題解析に転換しました.若い学生・研究者の参考までに,この頃のエピソードをご紹介したいと思います.
JSME談話室「研究を始めたころの展開と戸惑い・失敗」(1)で書きましたように,大学院生として高温破壊力学に関する研究を始めました.その後,研究は非線形破壊力学へと広がって行きました.構造物の健全性評価のためには,き裂の力学的挙動を調べる破壊力学だけでは不十分で,き裂の位置や寸法を知ることも重要です.このため,き裂や欠陥の非破壊評価にも関心が向いていきました.
そのような30代前半のあるとき,境界要素法と電気ポテンシャル法を組み合わせれば,き裂を直接的に検出する非破壊評価ができるのではないかと思いつきました.電気ポテンシャル法では,き裂を有する物体に電流を流し,その物体表面の電気ポテンシャル分布の変化を計測します.この計測面は,電流が流れない自由表面で流束が0になっていますので,電気ポテンシャルを計測すると,境界値が二重に与えられることになります.この境界値を,境界値の相互関係を与える境界要素方程式に入れると,未知の境界値が全てバサッと求められ,流束が0となる面としてき裂が境界値から同定できるのではないかと考えたのです.さらに,この手法を,結果から原因を推定する逆問題解析と位置づけました.
境界要素法については,その基本は知っていましたが,これが逆問題解析にすでに適用され広まっているかどうかは,よくわかりませんでした.そこで,日本機械学会の境界要素法講習会を聴講しました.その結果,逆問題解析への応用はまだされていないとの感触を得ました.
当時,高温破壊力学と非線形破壊力学ではそれなりの実績をもっていましたので,得体のしれない逆問題解析の分野に足を踏み入れることには躊躇いがありました.特に,3次元き裂のJ積分に関しては,局所的Jベクトル,局所的Jスカラー,全体的Jベクトル,全体的Jスカラーを提案し,それらの間の相互関係を論じ,それを用いて,3次元き裂の前縁に沿ったJ積分の分布を推定する方法を提案していました.すでに研究成果も得られていました.
そのような状況の1983年,研究室に阪上隆英氏(現 神戸大学教授)が大学院生として入ってこられました.実績があり収穫期に入った3次元き裂のJ積分の研究と,き裂同定の逆問題解析のどちらを選択するか希望を聞きました.彼は躊躇なく後者を選びました.このことにより,3次元き裂のJ積分から距離をおき,境界要素法を用いた逆問題解析に着手することにしました.修正J積分の命名の失敗(2)もあり,この方法の名前には,気を付けました.目立つことを重視し,電気ポテンシャルCT法と名付けました.
電気ポテンシャルCT法によるき裂同定については,解の一意性などの理論的検討とともに,実験的検討が進みました.電気ポテンシャルCT法に関する最初の論文(2)は,日本機械学会論文賞を受賞しています.
電気ポテンシャルCT法を立案するにあたり,話がうますぎる,どこかに落とし穴があるのではないかと思っていました.研究を進めていくと,自由度を多くした詳細な解析では解が発散するということがわかりました.逆問題解析の特性のひとつである,いわゆる不適切性(あるいは不安定性)が姿を表したのでした.やはり落とし穴はあったのです.
き裂同定以外にも逆解析を行い,研究の幅が広がっていきました.1987年に,日本機械学会のJSME International JournalのSeries Aに逆問題解析に関する総説を書かないかという依頼が来ました.当時のエディタは,東京大学 岡村弘之先生と恩師の大阪大学 大路清嗣先生でした.総説を書くにあたり,単なる研究のまとめでは面白くないと思い,逆問題を俯瞰し,それまでやられていない逆問題の分類をやってみました.場の順問題解析では,境界と領域,支配方程式,境界条件や初期条件,負荷,材料特性が入力で,これらのどれかがわかっていないと計算できません.これらの入力の一部がわからないときにそれを推定するものすべてが逆問題であると考えて,場の逆問題は,境界/領域逆問題,支配方程式逆問題,境界値/初期値逆問題,負荷逆問題,材料特性逆問題に分類できるとしました(3).この分類は,色々なところで使われています.
これまでの逆問題の研究例をこの分類に当てはめていくと,支配方程式を推定する支配方程式逆問題には検討例がありませんでした.そこで,支配方程式逆問題も手がけてみることにしました.
このころ,計算力学とCAEシリーズの中で,逆問題をテーマに本を書かないかという誘いがあり,これは良い機会と安請け合いしました.しかし,逆問題の裾野は広く,関連資料はいくら読んでも尽きません.その上,新しい研究が次々と生まれてくるので,キリがありません.出版社の担当の方が来られて,原稿の進捗状況を聞かれますが,いい加減な返事しかできませんでした.原稿は一枚も書いていなかったからです.このような状況の1991年の春,担当の方が来られ,「このようなものができました」と置いて行かれたのが,「近刊 逆問題」のチラシでした.これを見て,原稿を書こうと腹がすわりました.境界要素法の世界的権威で,大阪大学の先輩であった田中正隆先生(当時 信州大学教授.故人)の「本を書くことは,恥をかくことだよ」という言葉も,背中を押してくれました.この本の骨組みには,前述の逆問題の分類が大いに役立ちました.書くべき資料はそれなりに集まっていたので,5月の連休に書き始め,脱稿したのは,9月はじめでした.この本は,翌年春に刊行されました(4).「近刊」というのは,なんとか偽りにはなりませんでした.
翌1993年に,第1回工学における逆問題国際会議がアメリカのフロリダ州で開催されることを知りました.ただ,昔滞在したBrown大学のメンバーが破壊力学に関する国際会議を同じ週に開く予定で,発表申し込みをすでに済ませていました.迷いましたが,昔の馴染みの破壊力学国際会議を不義理ながらキャンセルして,逆問題国際会議のほうに出席しました.破壊力学関係の国際会議とは異なり,日本からの参加者は一人だけで,知り合いはいませんでした.この会議では色々な出会いがあり,刺激をうけ新しい研究の芽が育ちました.この後,逆問題の国際会議が色々と生まれましたが,この逆問題国際会議シリーズには,皆勤を続けています.
思い返せば,逆問題について最初からよく理解していたら,逆問題の研究を始めることはできませんでした.面白そうだという興味と,無知と鈍感さゆえに突き進むことができました.突き進むと,自然に道が開ける幸運にも出会うことができたのだと思います.
文献
(1)久保,「研究を始めたころの展開と戸惑い・失敗」,JSME談話室No.86, http://www.jsme.or.jp/column/201005.htm
(2)大路,久保,阪上,機論(A),51(1985), 1818.
(3)S. Kubo, JSME Int. J., Ser.I, 31(1988), 157.
(4)久保,逆問題,培風館,(1992).