LastUpdate 2013.7.19


J S M E 談 話 室

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No.117 「UMass Amherstとクラークの足跡」

日本機械学会第91期庶務理事
但野 茂(北海道大学 教授)

但野 茂

 UMass Amherst (University of Massachusetts, Amherst)をご存知だろうか?Bostonから西に150kmほど離れた小さな町Amherstにある大学で、丁度150年前に開学したMassachusetts Agricultural Collegeが前身である。その第3代校長が、「Boys be ambitious」のWilliam Smith Clark (1826/7/31-1886/3/9) であった。同大学はMassachusetts State Collegeを経て、現在のUniversity of Massachusetts(通称UMass)である。UMassはBoston校他、州内に4つのキャンパスを持つUSAでも代表的な州立大学に成長した。

 明治政府は、維新(1868年)の翌年には北方開拓のための北海道開拓使を設立した。7年後の1876年(明治9年)、近代農業技術の導入と開拓人材育成の一環として、果ての蝦夷の地に札幌農学校を開学した。東京帝国大学の開学が1877年であったから、日本初の学位授与機関とも言われている。当時の開拓使次官であった黒田清隆は自らアメリカに赴き、ワシントンでHorace Capronを開拓史顧問に招聘することに成功した。H. Capronはこの時アメリカの農務省長官であった。現職の大臣(相当職)が近代化支援のため直接日本に来たことになる。1871年から1875まで札幌に滞在し、多方面で北海道近代化の基礎を築いた。さらに、札幌農学校の設立をお膳立てした。アメリカ政府は日本の要請に応じて専門家の派遣をMassachusetts Agricultural Collegeに打診した。驚くことに、そこの学長であるW. S. Clark自らが札幌農学校開学のために来日を希望した。日本・北海道の近代化はアメリカの国を挙げての協力の賜物であった。

 農学校初代校長は調所広丈である。幕末の薩摩藩士、明治政府開拓史の官僚・男爵であった。校長職は開拓使関連の多くの要職を兼務しているうちの一つにすぎなかった。札幌農学校の実質的な責任者は教頭職であった。開拓使長官黒田清隆の後ろ盾の下、W. S. Clarkは初代教頭として開校に全精力を注いだ。農学校の校則を「Be gentleman」の一言とし、キリスト教による全人教育の思想を取り入れ、学生たちの自律心、独立心を目覚めさせ、自由には責任の伴うことを教え、確固たる個の確立を促した。わずか8ヶ月間の札幌滞在であったが、この期間、W. S. Clarkに科学や農学に関する実学とキリスト教的良心の教えを受けた1期生から多くの人材を輩出した。1877年4月、札幌の郊外(現在の北広島市島松)で1期生と別れの際の言葉があまりにも有名である。「Boys, be ambitious」には、後に(like this old man)「この老人のように」と言葉が続く。当時W. S. Clarkは50歳であったが、まだ野心家でもあった。

 W. S. Clarkは、教え子であるMassachusetts Agricultural Collegeの卒業生を札幌に連れてきている。William Wheeler (1871卒)、David P. Penhallow (1873卒)、William Penn Brooks (1875卒)の3人である。彼らは、W. S. Clark帰国後も、協力してクラークの教育理念を札幌農学校で実践した。2代目教頭はWheelerで、Penhallowとともに3年間滞在した。Brooksの滞在は14年間にも及んだ。農学校2期生の逸材、新渡戸稲造、内村鑑三、宮部金吾、広井勇、等はW. S. Clark直接ではなくこの3人の米国教師に習ったことになる。彼らを介したClark精神は、札幌農学校によって育まれた民主主義的教育思想そのものであった。

図1:William Smith Clark Memorial の Guide Plate
図1:William Smith Clark Memorial の Guide Plate
図2:William Smith Clark Memorial の入口にて(2013年6月)
図2:William Smith Clark Memorial の入口にて(2013年6月)

 北大出身で北大に在職していることもあり、W. S. Clarkや札幌農学校に少なからず関心があった。その源流とも言えるUMass Amherstに一度訪れたいと思っていた。ちなみに北大とUMassとは開学100周年の1976年に姉妹校協定を結んでいる。2008年の11月、丁度BostonでASMEのIMECE08があり、これは絶好の機会と思った。レンタカーでAmherstに行って見た。紅葉が見事で、のどかな田園風景がまさしくニューイングランドの当時を彷彿させた。静かで広々としたキャンパスであった。何かW. S. Clarkに縁のあるものがないか探した。大学のVisitor Centerに寄った。いきなりであるが、アルバイトとおぼしき受付の男子学生に、日本の札幌から来たが、Clarkに関することを知りたい、と聞いてみた。キョトンとしているばかりで要領を得なかった。そんなやり取りをしていると、事務所の奥から年配の女性が出てきた。「そういえば、聞いたことがある」と言ってくれた。「たしか・・」、と一緒にキャンパスマップを探してくれた。地図の端にある小さなClark memorialと書かれた場所を見つけた。これは!と思い、礼を言って、そこに出かけた。まさしく札幌農学校W. S. Clarkの彼のMemorialモニュメントだった(図1、図2)。

 戦争も終わった1950-60年代、やっと北大とUMass Amherst間で交流が盛んとなった。1970-80年代は交換留学制度も充実してきた。多くの北大関係者もAmherstで学んだようである。北海道とマサチューセッツ州が1990年に道州姉妹関係を結んだこともあり、AmherstキャンパスにW. S. Clarkの業績記念物を設立してはどうかという機運が高まったらしい。W. S. Clarkの没後100年を記念して1986年、W. S. Clark MemorialがAmherstキャンパスに完成した(図1)。デザインはUMass Amherstの景観デザイン専攻大学院生22名によるコンペで、Mr. Todd A. Richardsonという学生の作品が採用されたとのことである。図2に見られる黒い外壁とそれを映すシルエットは、北海道とニューイングランド地域の景観をモチーフとしているとのことである。訪れる人も多くはないようであった。ここに立ってみると、この大学がW. S. Clarkを輩出し、遠い日本と繋がっていることが確かに実感できるものだった。

図3:Amherstキャンパスでひと際大きくそびえるエルム(2013年6月)
図3:Amherstキャンパスでひと際大きくそびえるエルム(2013年6月)
図4:エルムのGuide Plate
図4:エルムのGuide Plate
JAPANESE ELM
(Ulmus japonica)
This Japanese Elm was brought here in 1890 by
Prof. William Penn Brooks on his return from
Sapporo Agricultural College in Hokkaido where he
had been teaching for many years. This tree was
first of species to be introduced into America.
Measured in 1997
Circumference 147 in.
Height 83 ft.
Average Spread 75 ft.
Total Points 249

 この報告とお礼にVisitor Centerに戻った。先ほどの年配の婦人に、北大から来たこと、Clark精神が今でも北大のモットーとなっていること、Clark Memorialは私にとってとても感慨深かったこと、等話した。そうすると、「Hokudai?、Sapporo?、Hokkaido?、そういえば、大きな池のあるキャンパス中央付近でそのような文字を見たことがある」と教えてくれた。何のことか定かではなかったが、行って見ることにした。Amherstキャンパスは、農学校から発したこともあり、多くの木が立っている。北大のキャンパスと似ていると思いつつ、立派な木群の中でもひと際目立つ大きな一本の木が目に入った。隣の三階建ての建物をしのぐほどの高さである。北大のエルムに似ていると思った。近づいて見ると、その木だけ柵で覆ってあった(図3)。木のguide plateが図4である。

 『ニッポンエルム(学名Ulmus japonica)、この木は1890年、Prof. William Penn Brooksによって北海道の札幌農学校から持ち帰ったものである。彼は彼の地で数年教師であった。この木は、アメリカ最初の種である。1997年の計測では、周囲147in(3.73m)、高さ83ft(25.3m)、平均幅75ft(22.9m)・・』。前回の計測から15年ほど経っていた。札幌から持ち帰ったエルムが120年経って、巨大な大木となって堂々とAmherstにそびえ立っていた。

 William Penn Brooksについても触れておく。札幌農学校の教師として、タマネギ、ジャガイモ、トウモロコシといった西洋野菜を初めて日本に持ち込み、その栽培方法を指導している。さらに、キャベツ、トマト、ニンジン、なども彼によって日本に根付いた。帰国後は母校マサチューセッツ農科大学の農学教授に就任した。日本からは、アメリカにダイズやキビを持ち帰っている。William Penn Brooksはまさしく近代日本とUSAマサチューセッツの農業の架橋だった。

 その後UMass Amherstの工学部や機械工学科とは、研究交流の準備をしており、今年の2月と6月にも訪問した。

(参考資料)
1) The William Smith Clark Memorial (booklet, not for sale), University of Massachusetts, Amherst
2) UMASS Amherst 150 our proud past, our shining future 1863-2013, The magazine for alumni and friends, Special Sesquicentennial Issue, UMass Amherst Magazine, Spring, 2013
3) クラーク魂、藤田正一、星雲社、2008
4) http://ja.wikipedia.org/wiki/ウィリアム・スミス・クラーク
5) http://ja.wikipedia.org/wiki/札幌農学校
6) http://ja.wikipedia.org/wiki/開拓使
7) http://ja.wikipedia.org/wiki/ウィリアム・ブルックス
8) http://ja.wikipedia.org/wiki/ホーレス・ケプロン

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