LastUpdate 2013.5.1


J S M E 談 話 室

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本会理事が交代で一年間を通して執筆します。

No.115 「温かい経験」

日本機械学会第91期編修理事
坂 真澄(東北大学 教授)

坂 真澄

 コラム執筆の機会に震災のときに筆者が味わった人々の温かさについて記しておこうと思う。

 新幹線が福島駅に到着して間もなくガタガタときた。筆者はその日、職員1名、修士2年の院生1名と一緒に所用で宇都宮の会社に行き、二人を会社に残し、自らは仙台の職場に早く戻るつもりでMAXやまびこに乗ったのであった。MAXやまびこは福島駅で、山形行きのつばさ号を引き離すのだが、その作業が今日は手間取っているなと思ったら、そうではなかった。自分は新幹線の座席の肘置きを強く握り締めている状態で、ホームの売店の品物が散らばり、架線が大きく激しく揺れるのを見ながら、大変なことが起きていると思った。

 しばらくして駅舎は危険なため西口の広場に出て下さいとのアナウンスがあり、既に薄暗くなっていたように思う駅の中を、剥がれて落ちそうな看板に気を付けながら外に出た。外に出てはみたものの新幹線が落ちてくるのではないかと思うほどの揺れで、広場の中でも駅舎からできるだけ離れた位置に立っていた。仙台との通信が極めて困難で、職場に電話を試みたがうまく通じなかった。仮に通じていたとしても、職場の仲間はより悲惨な状況にあり、電話どころではなかったことは後になってわかったことである。そのうちに雪が降ってきて、寒さに耐えていたころ、こんなときだからこそ皆自分の判断で行動して下さいということになり途方にくれてしまった。

 仕方なく泊まる所を探さないといけないと思い歩き始めた。しばらく歩いているうちにホテルの前に来たので入口のドアを開けてみた。そうしたら既に多くの人がロビーで身を寄せ合っていた。その多くは床に座っていた。自分もそこに座ることを決心し、それが幸いであった。食べ物を買いたくても外の店はシャッターを閉めていた状況であったが、ホテルの計らいでサンドイッチ、おにぎりが配られ、夜にはカップヌードルに温かい飲み物まで施された。引っ切りなしに余震が起こり、ホテルの建物がメシッメシッと音をたてるたびに人々がワァーと悲鳴をあげていた。だれかが仙台空港で2階まで水が来たといっているとしゃべっているのを聞いて、空港の近くに身内がいる筆者としては心配であった。携帯のメールを発信してから何時間後かに返事がきて家族の無事を知った。原発のことは耳に入ってくることはなかった。その夜、いつの間にか床の上で寝ていた。

 朝起きて食べ物と温かい飲み物がまた振る舞われた。その後、タクシーもほとんど動いていない状況であり、幸運にも偶然つかまえたタクシーに乗り合いで帰る人は若干いたが、筆者はなかなかそれもできず、歩いて仙台に帰ろうかとも一瞬思った。しかしそれも決心できず、今日もここに泊めていただけるかなと思っていたところ、レンタカーを借りた人がいて、仙台に行く人がいたら一緒に乗っていきませんかとの声が聞こえ、手を挙げて乗せていただいた。ありがたかった。途中、仙台空港の近くを走る国道を通ってきたのだが、ほとんどすんなりと仙台にこれたことは今思えば不思議なほどである。なお筆者は普段、自動車の運転免許証を自分の車の中に入れておくのだが、レンタカーは目的地の営業所に返せばよく、こういうときに実に便利であり、それを利用するには免許証を身に着けておいた方がいいと実感した。これはいい勉強になった。

 仙台に着いて早速、職場に行った。そうしたら研究室のドアの外側に、この部屋から避難した者と手書きした名前のリストが貼ってあり、全員無事であることがすぐにわかりほっとした。研究室のドアを開けたところ中は凄まじい状況であった。

 宇都宮に残った二人のうち院生は宇都宮の会社の宿舎に1週間程滞在させていただいた。同社も被害を受けている中で、お世話になれたことはありがたかった。同君はその後そこから関西にある自らの就職先に無事に移動した。その年、卒業式、大学院の修了式はなかったが、当時の4年生が今春、修士課程の修了式を経験して巣立っていけたことはよかったと思っている。

 これ以外にも温かい経験をたくさんした。だれもが厳しい状況下にあった中で施された皆様のご親切は、温かさの極みであった。

 大震災で犠牲になられた方々のご冥福をお祈りし、早期復興を祈るばかりである。

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