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No.106 「ヒトとロボットは機能的相互補完」日本機械学会第90期編修理事
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プロローグ
「機械部メカニズム課に配属を命ず」,これが社会人になったときに頂いた辞令です.事前の面接では確か基礎部に入って,風車の研究をすることになっていたはずなのですが.....大学院で流体機械を専攻してきた者にとって,ロボット分野への転身命令は晴天の霹靂.入所後の打ち合わせ会で,“エンコーダ”という言葉がしきりに飛び交っていましたが,恥ずかしながら,これが角度を測るセンサだとわかったのはそれから1カ月くらい経ってからでした.この入所時の辞令こそが私のロボットの研究を始めるに至ったきっかけ.学生の皆さんには研究を始めるに至った動機付けが一番大切なんだと偉そうな事を言っていますが,実は自分自身の動機付けが,一番いい加減だった訳です(笑).
さて根本的に研究分野を変えるからには,少し時間をかけて自分が没頭できる研究テーマをじっくり考えてみることにしました.大学院のときに始めた麻雀,ヒトの指による器用な牌さばきを思い描いているとき...ふっと,そうだ!器用な作業が実現できるロボット指を作ってやろう.指先の触感センサ,安定かつ微細な制御をどうやって実現したらいいのか等々思いを巡らしているうちに次第に興味もわいて...
ヒトの感覚受容器に感動
ヒトの指先には速度や加速度,さらに圧力やすべりに反応する4種類の感覚受容器が備わっています.その中でも特筆すべきは,250Hzの周期的刺激に対して,ヒトの指先はなんと0.1マイクロメートルもの弁別分解能を有する点です.この衝撃的な論文は1960年代に発表されていました.これって本当なんだろうか?この結果に疑問を持ち,簡単な実験装置を試作して追試してみることにしました.そうすると,なんと被験者に多少の差こそあれ,被験者全員が0.1〜0.5マイクロメートルという驚異的な弁別分解能を有していることが確認できました.この論文のデータは正しかった訳です.ロボット指に組み込まれている人工的な触覚センサは,このようなダイナミック特性は有していません.空間分解能(カメラの画素数に対応)という切り口で見てもヒトの感覚受容器が有する分解能とは比べものにならないくらい低いレベルにあります.このように感覚器レベルでヒトの指に対して大きなハンディキャップを背負っているロボット指ではたしてどんな器用な作業が実現できるのだろうか.ここが最大の関心事でした.
仮想触覚センサの実現
1989年から1年間,ポスドクとしてドイツダルムシュタット工科大学の宇宙用ロボットハンドの開発プロジェクトに参加しました.それまでに2台の多指ロボットハンドを試作していたこともあり,ロボットの設計には多少なりとも自信がありました.渡独後,4か月で新しい関節トルクセンサを込みんだ1関節ロボットが完成し,このロボットを使って力制御の実験を繰り返しているときに面白い非線形不安定現象が観察され,この安定解析に没頭していたところ,本来の目的である3本指ロボットハンドの開発に専念するよう軌道修正をかけられました.ここは雇われの身の辛いところ.安定解析は早々に切り上げ,3本指ロボットハンドの開発にシフト.そして帰国一か月前に,ロボット指に触覚センサを付けなくても,ロボット内部に柔らかい部分を制御的に作り出した状態でロボット指の関節に能動動作を付加することで,ロボット指と環境との接触点がわかる“仮想触覚センシング”という概念を思いつきました.このアイデアはロボットに元々備わっている簡易なセンサだけで仮想的に分布型触覚センサが作り出せるという利点から,ロボット指の触覚機能向上に大いに貢献することができました.
それでも器用性をロボットに期待すべきではない
ペンを五本の指で自由自在に操るマジシャン,宙に何本ものビンを連続的に投げ上げながら同時にキャッチングするジャグリング道化師.これを超えるロボットがはたして作れるだろうか.わたしには“Yes”と自信をもって答える勇気がありません.器用性はロボットが最も苦手とする機能だと思います.ヒトの筋肉よりも速く動作するモータも開発されています.ロボットはヒトよりも位置決め精度はいいはずです.それにも関わらずヒトと同等の器用性を有するロボットは未だに開発されていません.そこにはまだ大きなギャップがあるように見えます.なぜだろう?
器用性はヒトが進化の中で獲得してきたものであって,五感,脳,皮膚・筋・骨格系が総合的に絡み合っています.その上,ヒトは失敗する度に学習して次の機会に反映する学習能力をもっています.これをいろいろな面でヒトより劣った五感センサや柔軟性のない構造物によって構成されたロボットにヒトと同等の器用性を期待するのにそもそも無理があるというのが筆者の主張です.
ヒトの能力を超えたロボット
ヒトの目の認識速度は高々一秒間に15文字が読める程度で30文字が読めるヒトはまずいません.一方で,分解能は犠牲にされてはいるものの一秒間に一万枚認識できる高速視覚センサが近年開発されています.このような高速視覚センサと高速人工筋肉を応用すると,ヒトの能力をはるかに超えたロボットの開発は可能です.2003年100G(Gは重力加速度)という世界最高加速度を実現するロボットを開発して4m/秒で落下するボールのキャッチングに成功したときには思わずガッツポーズが飛び出しました.でも,このようなロボットは一世を風靡はしたが長続きはしませんでした.ブレークスルーはあるけれど,ヒトの役にたたないからです.これに対して21世紀に満を持して市場に送り出された手術用ロボット・ダヴィンチ.当初の予想をはるかに超え,1台2億5千万円もするロボットが全世界ですでに2000台も売れています.このロボットには五感センサはありません.医師はディスプレイを介して,術部の映像を見ながら,操作ツールを使って遠隔からロボットを操作しています.つまり頭脳の部分はすべてヒトが提供しています.一方,ダヴィンチのハンドはヒトのような多指構造になってはいません.単なるグリッパ構造(2本指把持構造)になっているだけ.つまりヒトの指先で作られる繊細な動きは完全に排除されています.多彩な動きは指部で作り出されているのではなく,手首関節部の自由度とスケールダウンされたハンドによって作り出されている訳です.このロボットを使用することによって,これまでのヒトによる腹腔鏡手術ではできない手技が可能になったわけです.前立腺がん摘出手術がその好例でしょう.前立腺がん摘出手術は神経線維束を意識しながら鉗子が入いりにくい部位での切除手術が要求されます.ダヴィンチのハンドは長さ約5mm程度と小さくかつ多彩な手首自由度のお蔭で,鉗子が入らない部位へのアプローチが可能です.統計的データによると米国では前立腺がん摘出手術の70%以上はダヴィンチで行われているとの報告もあります.ダヴィンチはヒトが得意とする機能とロボットが得意とする機能を相補的に使ってヒトの能力を拡張することの重要性をメッセージとしてわたしたちに投げかけているようにも見えます.
ヒトに役立つロボットは長持ちする
エンターテインメントとしてのロボットはそのうち必ず消えてしまうでしょう.理由は簡単.ヒトは必ず飽きるからです.ヒトと同じ機能を有するロボットは介護や高齢者に対して便利に使われる可能性があります.ただし,それは成功率が十分な場合に限られます.新しく開発されたロボットが新聞紙上を賑わすことが多いですが,成功率が明示されていることはまずありません.10回試行して1回でも成功すれば形式上成功したという記事になってしまいます.わたしにはここがいつも気になります.成功率99.9%の家庭用ロボットができたとしましょう.見方を変えると1000回に1回茶碗を割ると考えてもよいでしょう.4人家族で1回に5器/人とすると,一日の個数は述べ60器,99.9%の家庭用ロボットは一月に2回も茶碗を割ってしまうことになるのです.どう考えても主婦はこのようなロボットには手を出しません.理由はヒトより劣るロボットに大金を払うくらいなら車の購入に回した方がましだからです.ヒトとの共存を強く意識したロボットの開発,そこにはもう一つ重要なキーワード“機能的相互補完”,これを忘れてはいけない.