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No.102 「無次元数とわたし」日本機械学会第89期編修理事
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1 初めての出会い
わたしが初めて無次元数に出会ったのは,大学2年生の時であったと思う.その無次元数はレイノルズ数であった.最初の印象は,かならずしも,よいものとはいえなかった.まず,その定義が,代表寸法,代表速度という,つかみどころのない変数を用いて定義されたことにあった.その代表寸法や代表速度をどのようにとるかは,流れの系によって異なり,さらには,目的に応じて,同じ流れの系でもその定義を変えてもよいというものであった.定義自身が極めてあいまい,また,その数値も少しくらい違っていても気にしないというような感じで,このようなもので,複雑な流れの現象を記述できるはずはないと思ったものである.さらに追い打ちをかけたのは,流れの系が違う場合,無次元数の値を比較するのはあまり意味がないものであるということであった.円柱周りの流れの乱流遷移レイノルズ数は2000程度であるが,平板境界層では,106のオーダーであるという.なんとも理解に苦しむものであった.
2 深まる不信感
4年生になって,卒業研究を行うことになった.卒業研究では,非ニュートン流体の伝熱問題に関する研究を行なった.非ニュートン流体という,3年生までの授業ではほとんど触れる機会のなかった流体についての研究ということで,大いに興味をそそられたことを覚えている.卒業研究を始めてほどなく,非ニュートン流体のレイノルズ数が表れてきた.非ニュートン流体はいくつかの種類に分類され,それぞれについて,せん断応力と流れのひずみ速度をあらわす関係式が構築されており,それぞれの非ニュートン特性が示されている.そして,それぞれの非ニュートン流体のレイノルズ数が定義される.もしそれぞれのレイノルズ数で求められた数値が,異なった非ニュートン流体間で比較することができ,共通の特徴を整理することができるとすれば,それは素晴らしいことであると思ったが,どうもそうでもないらしい.それぞれの非ニュートン流体のレイノルズ数は,それぞれの流体のなかだけで比較検討ができるようであった.
3 新たな出会い
無次元数に対して,ある種の不信感を抱いていたわたしにとって,無次元数を見直す機会が訪れる.それは,4年生で,移動速度論を勉強した時に訪れた.移動速度論は,運動量輸送,熱輸送,物質輸送を統一的に取り扱おうというもので,Birdらの有名な著書「Transport Phenomena」の構成,すなわち運動量輸送,熱輸送,物質輸送を同じ視点から並列に述べてゆく構成,には感動させられた.この時に出会った無次元数が,プラントル数,シュミット数,ルイス数である.この3つの無次元数の特徴は,物性値のみによって定義されることである.プラントル数は動粘性係数と温度伝導率の比,シュミット数は動粘性係数と分子拡散係数の比,ルイス数は温度伝導率と分子拡散係数の比として定義される.物質が決まれば決まる無次元数であり,あいまいさがない.そのうえ,これらの無次元数を用いると,異なった現象である運動量輸送,熱輸送,物質輸送を互いに比較することができる.たとえば,これらの無次元数の値を見ることにより,それぞれの境界層の境界層厚さがどのような関係にあるかを知ることができる.また,その変化が,1を境に起こることも理解しやすいものであった.無次元数は,一般にふたつの要素(レイノルズ数の場合には慣性力と粘性力など)の関係を示すといわれているが,もしそうであれば,現象は無次元数が1を境に変化するべきである.しかしながら,レイノルズ数に関しては,その値が2000であるとか,106であるとか,1とはかけ離れた値が示されてきた.それに引き換え,プラントル数,シュミット数,ルイス数は1を基準に議論することができた.この3つの無次元数との出会いは,わたしの無次元数に対する理解を少し変えるものであった.
4 再発見の時
ある種の不信感すら抱いていたレイノルズ数について,再発見する機会が訪れる.それは,大学院修士課程に進学し,流体力学に関する理解が少し深まり,流体運動の基礎方程式の無次元化を行い,その結果として,レイノルズ数が定義されたときである.ここで,代表寸法,代表速度などのいわゆる代表値がどのように定義されるかを理解することができ,また,レイノルズ数が1の場合も,流れを考えるうえで実は極めて重要であることも理解することができた.このときを境に,レイノルズ数に関する不信感はすこし薄れたように思った.
5 強い衝撃
わたしは,大学院進学後,燃焼に関する研究を行うようになる.その研究の中で,ルイス数の重要さを再認識させられることになった.ルイス数は,さきにも述べたように.温度伝導率と分子拡散係数の比として定義されるが,このことが,火炎の局所的な特性に重要な役割を演じることが,具体的な実験結果とともに明らかにされてくるようになる.わたしは,大学に入る以前から,中学の時か高校の時かは定かではないが,円錐状の火炎,いわゆるブンゼン火炎,の先端部について不思議に思っていたことがあった.お気づきの方もおられると思われるが,火炎の先端部は,先端部が開いている場合と閉じている場合がある(Law,C.K.著 Combustion Physics, Cambridge University Press, 2006, p.435参照).この現象もルイス数の効果として説明できるということを知ったとき,わたしは,ほんとうに強い衝撃を受けた.それは,ルイス数という無次元数が,わたしの昔からの素朴な疑問に答えてくれたからである.ここで,わたしは,無次元数の本当のすごさに気づかされた思いがした.
6 究極の出会い
わたしにとって,無次元数との究極の出会いは,ダムケラー数,厳密には第1ダムケラー数,との出会いであろう.ダムケラー数は,ご存じでない方も多いかもしれないが,燃焼を勉強してきたわたしにとっては,まさに究極の出会いであった.第1ダムケラー数は,流体力学的な特性時間と化学反応の特性時間の比として定義される.自然現象は,一般的には物理的な現象と化学的な現象に大別される.そのようななかで,第1ダムケラー数は,物理的な現象と化学的な現象を比較する無次元数なのである.実際の現象に対して適切に第1ダムケラー数を求めることが容易でない場合も多く,現在,広く用いられている無次元数というわけではないが,エネルギー問題や環境問題などにみられる,流体の運動,熱輸送,物質輸送などの物理現象と物質そのものが変化する化学現象が互いに深く関係しながら生じる現象の解析にはますます重要さを増す無次元数であると考えている.
7 最後に
今振り返ると,無次元数は,一見おおざっぱにみえるが,われわれの観察,理解の本質を表しているようにも思える.ある無次元数を理解したと思ったときは,その現象の本質を理解したと思ったときのようであったとも思う.紆余曲折を経て現在に至った,わたしの無次元数に関する現在の率直な気持ちである.