LastUpdate 2011.10.12

J S M E 談 話 室

ようこそ、JSME談話室 「き・か・い」 へ



JSME談話室「き・か・い」は、気軽な話題を集めて提供するコラム欄です。
本会理事が交代で一年間を通して執筆します。

No.101 「ティータイムのすすめ」

日本機械学会第89期財務理事
後藤 彰((株)荏原製作所 理事 風水力機械カンパニー 開発統括部 副統括部長 )

後藤 彰
   スリランカの仏歯寺にて

 私の妻は中学2年の夏に、両親に連れられて欧州・エジプト一周の旅を約1ヶ月経験した。当時としては珍しかっただろう。以来、家族での海外旅行が年中行事となった。その後、両親の海外旅行の趣味はエスカレートし、毎年4〜5回の秘境ツアーを繰り返し、175カ国に加え北極、南極も旅した。義父の口癖は、「海外旅行は3度楽しい」。旅先の文化と言語の勉強、旅、そして帰国後のアルバム編集だ。義父の薫陶を受け、年中行事となった我が家の海外家族旅行でも、アルバム編集は私の大きな楽しみになっている。

 スリランカは妻の実家が大のお気に入りの国だ。義母の60年来のペンフレンドがいること、カレー料理を堪能できること、多くの宝石を産出する「光り輝く島」(スリランカ)であること、そして何と言っても紅茶がおいしいことが理由だ。私にとって初めての海外旅行となった新婚旅行の地も、妻のたっての希望でスリランカになった。税関検査場に出入りする客引き、深夜のでこぼこ道をホテルまで疾走するドアの無いタクシー、深夜にも関わらずサービス熱心なメイドとの交渉など、驚きと緊張の連続。疲れきって熟睡した朝、ドアを開けると青々とした海と空と白い砂浜が目に飛び込んできた。それからの一週間は夢のように素晴らしいひと時だった。中でも、コロンボから南へ車で約3時間の漁村ゴールにある、クロッセンバーグホテルで飲んだミルクティーが忘れられない。

 結婚30周年の3日後に東日本大震災が起きた。迷いはあったが、5月連休に予定していた「再びスリランカ 結婚30周年の旅」を決行することにした。2004年のジャワスマトラ沖の巨大地震は、インド洋を横切る津波となってスリランカの西南沿岸部を襲い、スリランカだけでも3万6千人以上の尊い命を奪った。7年を経た沿岸部の町は復旧していたが、打ち捨てられた家屋も散見され、町並みは30年前に訪れた時そのままに復興からは程遠い状況であった。ごく最近ようやく終結した、タミール人過激派との抗争が復興の足かせになったようだ。国民の70%が仏教徒の国であるスリランカは、日本とも深いつながりがある。今回の旅を通じ、行く先々で、「津波の直後に日本人が最初に...」、「この橋は日本人が...」、「この仏像は日本のお寺から...」などの感謝の言葉を聞いた。東日本大震災に際し、スリランカがいち早く義援金を拠出し、多くの高僧が読経に来日してくれたのは、両国の間の強い「絆」によるものだった。

 30年を経て再訪したクロッセンバーグホテルは、記憶の中にあるコロニアル時代の風格ある姿のままであった。高台に立つホテルは、津波の難をきわどく逃れたそうだ。30年ぶりのミルクティーは、期待を全く裏切ることなく、やはり世界一の味だった。茶葉、水、そして水牛のミルクの三拍子がそろっての感動の味だ。ところで、紅茶、緑茶、ウーロン茶など我々が親しんでいる色々なお茶は、全てカメリア・シネンシスというツバキ科の同一の植物から採られているそうだ。同じ木から作られるのに色も香りも味も全く異なるのは、生葉を酵素発酵させるなどの加工方法と産地の高度の違いによるものだ。のどかな日本の茶畑の雰囲気とはかけ離れ、標高1800メートルまでの山間の、見渡す限りの急斜面での茶摘は過酷な労働で、30万人のプラッカーと呼ばれるタミール人の女性によって行われている。

 紅茶には特別な思いがある。1988年から2年間、会社の海外留学制度により英国ケンブリッジ大学ホイットル研究所に留学した。そこで経験した、午前11時と午後4時からのティータイムを忘れることはできない。研究指導をして頂いたカンプスティー先生からは、「ティータイムは研究所で最も大切な時間、必ず参加するように」と言われていた。留学して間もない頃は、「ビクトリア時代じゃあるまいし、一日になぜ二度も研究を中断して、大切な時間を無駄にして紅茶を飲むのか」、と理解に苦しんだ。時間近くになると三々五々、教官、研究スタッフ、大学院生、客員研究員などが、巨大な黒板のあるコモンルームに集まってくる。ティーバッグが無造作に放り込まれた大きなやかんから、紅茶をカップに並々と注ぎ、時たま誰かが持ち込むスナックをつまみながら、取りとめのない雑談や、研究についての議論が交わされる。30分ほどのティータイムは自然解散で終わるが、議論が白熱すると各自の居室で議論が続くこともしばしばであった。留学を終える頃には、自分にとってもティータイムは大切な研究生活の一部となっていた。普段は個室で仕事をする研究者達にとって、毎日2回のティータイムでの交流は、独創的な研究の大切な原動力になっていたのだ。

 留学直後のある日のティータイムで、ザンゲネー先生とわずか30分間だけ言葉を交わした。先生は、ジェットエンジンの先駆者と言われるサー・ホーソン教授(1913-2011)の最後の愛弟子である。その日から約2年後、ブリュッセルで開催された国際会議で、ロンドン大学に奉職された先生と再会した。そこでの議論をきっかけに共同研究が始まった。1991年の事である。以来、20年に渡り共同研究が続いている。1998年には先生の研究成果を事業化するための合弁会社をロンドンに設立した。「逆解法」に関する共同研究は、流体機械の性能特性を顧客ニーズに応じてカスタマイズする多目的最適化技術へと発展し、わが社における基幹の設計技術となっている。さらに、これらの技術は、様々な産業分野向けの流体機械で活用されるようになっている。全ては、あのティータイムでの30分間の会話から始まった。

 ホイットル研究所の個室を、国あるいは会社や大学の組織になぞらえてみよう。自立した個性を持った技術者や研究者達は、個室を出て大きなコモンルームでのティータイムに参加し、自分が普段慣れ親しんだコミュニティーの外の世界と交流する。そして、そこで交わした言葉や議論を糧として、個室へ戻ってさらに自らの世界を深化した取り組みを継続するのだ。こうした日々を繰り返すことで、社会や組織に新しい価値が作り上げられ、未来の世界へとつながっていくのではないか。そう感じている。機械工学を学ぶ若者が高い志と強いアイデンティティーを持ちながら、外なる世界へ飛び出し、活躍されることを応援したい。そして、職場にもティータイム的な時間を設けることで、技術者・研究者の皆さんが互いに触発しあいながら新しい価値を作り出すと同時に、価値創造に関わる者同士の絆を強めて行ければ素晴らしい。

JSME談話室
J S M E 談話室 バックナンバーへ

日本機械学会
ホームページへのご意見・ご希望は wwwadmin@jsme.or.jp へお願い致します。
All Rights Reserved, Copyright (C) 1996-2011, The Japan Society of Mechanical Engineers.