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No.93 「鉄道車両に関する研究に携わって」日本機械学会第88期庶務理事
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私は大学では機械力学を学び修士課程を修了し、昭和49年に旧国鉄に就職しました。当時、鉄道は就職先として今ほど人気のある業種ということではなかったのですが、私は、研究機関であって大学でも民間でもない中間的なところという選択肢の中から技術研究所がある国鉄を選びました。
研究所に配属後4年経過すると主任研究員になりますが、研究者として独り立ちしていくわけですから自身の中心の研究テーマをこの時期には据えることになります。それを何にするのか悩み、先輩に相談したりあれこれ考えているうち、国鉄本社から突然異動命令があり、浜松工場に配属となりました。工場の勤務経験の全くない者がいきなり150人の職場の長として勤務することになり面くらいました。国鉄の工場は鉄道車両の修繕をするところで、そこでの仕事は、次回に工場に入場してくるまで故障しない車両を如何に効率的に修繕し送り出すかということが主な内容です。しかし、実際には技術的な仕事以前に労働組合との話合いに時間も神経も消耗させられたものでした。
浜松工場の次には、旧運輸省へ出向したのち、松任工場(石川県)に勤務し、昭和61年技術研究所に戻りました。翌年国鉄の分割民営により技術研究所は他の研究機関等と統合・独立し(財)鉄道総合技術研究所となりました。
7年ぶりに研究者として再スタートを切ることになり、自身の研究の柱は「車体の弾性振動問題」としました。列車の高速化が進む中で車両は軽量化され車体の剛性が低下し、剛体としての振動のほか、車体がたわみ振動(曲げ振動、弾性振動)を起こして乗り心地が悪くなる場合がありました。“ぶるぶる”という感じのいわゆるびびり振動です。鉄道車両の車体は3m×2.5m程度の断面で長さが20〜25mと細長いので、この車体の曲げ振動のモデル化としては、車体を弾性支持されたはりとして扱うことが思い浮かびます。修士論文は平板の弾性振動のテーマでしたから、それに近いものなので馴染みがありラッキーでした。このはりモデルを基本として、車体に制振材を貼付した制振法について、理論解析、模型実験、実物車両による走行試験を経て実用化まで漕ぎ着けました。
この制振法の実用化はいくつかの幸運に恵まれたから実現したと言えます。まず、当時JRに実験車両がありこの制振法を試してみることができたのです。また、営業車に適用する段になり、車体の屋根に制振材を貼って万一剥がれたら安全上問題ではないかということが議論されましたが、この車両には屋根を覆うカバーがつく特殊な形式であるので、貼り付けた制振材が万一剥がれても安全性が確保されるという判断となり、営業車両への適用が認められたのです。
私は、国鉄、鉄道総研と通算28年研究所に在籍していますが、その間に車体の振動問題のほか多くの研究テーマに携わりました。新幹線窓ガラスの応力解析、リニア実験車両の車輪荷重測定法、CFRPなどによる車体の軽量化、「耳つん」(高速車両がトンネル走行する際の車内圧力変動による乗客の耳の不快現象)防止策、空力騒音低減策、乗り上がり脱線現象解析・防止策、新潟県中越地震時の車両挙動解析など。
これまでのことを振り返ると研究としての仕事をしていく上でいくつか重要であろうと思う、次のような事柄が浮かんできます。
(1)与えられたこと、その時必要とされることに何でも積極的に取り組む。
(2)一つのことに粘り強く執着する。
(3)人との関係を大切にする。
(1)は、これまでに関係した全てのことが自分自身のためになっている、役に立っているということです。これは研究テーマについてだけでではありません。7年間研究とは程遠い内容の仕事をしましたが、その経験は自分を成長させてくれたと今は考えています。
(2)は、しつこく考えているうち解決法は見つかる、そのうち前述のような幸運にもめぐまれることがあるということです。
(3)は、研究は一人だけではできないということです。列挙したいくつかの研究テーマのうち、特に後の2つ(乗り上がり脱線、地震時車両挙動解析)は車両、軌道、トライボロジーの専門家、あるいは地震動予測、構造物動的解析、車両運動解析の専門家との連携が極めて重要でした。関連する多くの分野の人との情報交換、協力の大切さを実感いたしました。