LastUpdate 2010.1.15

J S M E 談 話 室

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JSME談話室「き・か・い」は、気軽な話題を集めて提供するコラム欄です。
本会理事が交代で一年間を通して執筆します。

No.82 「雑感3題:機械工学の教育・研究に携わって」

日本機械学会第87期編修理事
古川明徳(九州大学 教授)


1. 工学的センスは経験と日ごろの意識から*1

 21世紀における文明社会の持続には,地球環境・エネルギー等々の問題が山積するなか,工学が果たす役割はますます重要になっている.文明の発展は,科学技術における伝統的な分野の深化と分化をもたらし,機械エンジニアの視野を狭いものにしつつある.一方で,近代文明を支える機械システムは,単純な一分野の技術に収まることなく,異分野との複合・融合技術から構成されることも多くなってきた.我が国が世界に冠たる技術立国として栄え,付加価値の高い工業製品を創出するには,「伝統的分野技術のますますの深化・分化」と「異分野技術との積極的な融合」は,これからの機械エンジニアが意識しておくべきであろう.日本機械学会では,例えば,その深化として「マイクロ・ナノエンジニアリング」が,そして分化・融合化として「バイオエンジナリング」や「環境工学」が活動展開されている.
 機械システムの大型化と複雑化に伴って,機械エンジニアに強く求められるものは「工学センス」である.それは,「機械工学は本来,総合工学的視点に立つもの」であるからである.昨今の報道から感じるのは,機械エンジニアが本来持つべき視点の喪失が,種々の工業的事故を惹起してはいないかということである.事象解明と機器開発における個々の深化と周辺との融合は大いに進展させるべきである.それゆえ個々の高度化した技術とシステムを結び付ける「繋ぎの工学」も機械エンジニアの守備範囲であると,心して欲しいものである.
 複雑かつ高度化した機械システムの設計・開発を考えてみよう.個々の機械要素には,設計・開発段階から数値流体力学等において発展してきた解析技術を取り入れて綿密な検討が行われている.しかし,個々にはすばらしい性能を持つ要素が開発されたとしても,それらを融合させてシステムとして捉えるとき,まだまだ大規模解析を行うまでの経済的かつ時間的に,さらに精度的に許し得る技術開発段階にはない.そのとき,システムをよりシンプルに,そして的確に捉えた単純モデルの構築が必要になる.そのためには,それにタッチする機械エンジニアの日頃からの「工学的センス」の習得・取得が不可欠となる.
 では,「工学的センス」とは何であろうか.設計や試作段階において「ここを抑えておかないとこれは危ない」,「数値解析でもっともらしい結果が得られたが何か納得いかない」,「こんな仕組みで実行しようとしているがこれのほうが巧くいくはずだ」等々,物事に直面して直感的に感じることである.「センスの良さ」は決して天才からは生じることはなく,それは経験に裏打ちされたものである.日頃から「工学的センス」の取得に高い意識を持って,多くの経験から学ぼう.機械工学を学ぶ学生諸君,大学や高専での授業から学んだだけで,工学的センス」の取得は十分か? 若き機械エンジニア諸君,任された仕事をこなすだけで工学的センス」の取得は大丈夫か? 日本機械学会に入会して積極的に学会活動に参加しよう.そして人的交流や情報交換を通して,工学的センス」の取得の第一歩を始めよう. (*1:一部はターボ機械協会編,教科書「ターボ機械」に掲載した「コラム」から再掲)

2. 今,工学教育・技術教育に求められているもの

 最近,ときどき「工学」とは何か,そして「理学」とは何が違うのであろうか,と考える.私が考えるに「理学」とは「真理を探究する学問」であり,「工学」は「人類文明の持続的発展を恒久的に探究する学問」である.それゆえに,工学の発展は,本来,高い倫理観に基づいて展開されるべきものである.20世紀における一部の先進諸国がそうであったように,周囲への影響は省みず,単に「利益追求」だけに走ったのでは歪を残す結果となる.その歪がその瞬間に生じるのなら対処もでき,抑制することもできるが,一般に時間遅れを持つことが多く,次世代への負の遺産となる.したがってエンジニア,とくに機械エンジニアは,今こそ,「工学」の本来の意味を肝に銘じておかねばならない.20世紀の飽食の時代を過ごして来た人々に「ギアチェンジをしてスローダウンせよ.」ということは難しい.しかし次世代を担う若者に,単に「技術」や「原理」を教えるだけではなく,「工学の持つ意味」を教えることも機械エンジニアを育てる教育者に課せられた責務だと考える.教育者の趣味の世界で教えられては困るのである.
 今日,地球温暖化問題や化石燃料の枯渇問題が叫ばれ,人類文明の持続的発展が危うくなっている.この危機的状態を救えるのは「エンジニア」でしかない.それゆえに,エンジニアを育てる教育者こそ大事な使命を与えられていると認識しなくてはならない.直接,CO2の固定処理や代替エネルギーの研究開発を行っている者だけが,これらの問題に関与しているのではない.人類の発展には循環型社会の構築が不可欠である.それゆえ,個々の物質からそれらが組み合わさったシステムまで,省資源・省エネルギーで高い安全性と信頼性を持つものでなくてはならない.それには,これまでの原理や法則を熟知し,それを踏まえたうえで新原理や新物質が開発されることが望まれる.教育者として,そのような使命感に燃えた機械エンジニアを育てたいものである.
 では,私共はどのように教育すればよいのであろうか.工学系における「物理」や「化学」の教育では,それらの応用製品を上手く授業に取り込んで現象理解に役立てる方法が,「原理」や「法則」,「性質」を視覚で捉えさせることができ,効果的である.この方法により,「原理」や「法則」がどのような発想と着眼点でその応用へと結び付いたのかを知ることもでき,学生諸君が自ずから「工学的センス」も身に付いて来るように思う.そして工学教育においてつぎに大切なものは,前節にも述べたとおり,システムとしての相互関連性を学ぶことである.今日の科学技術の発展は個別の機器は深化と分化をもたらし,エンジニアの視野を狭いものにしつつある.その一方で,それらの機器で構成されるシステムはますます複雑かつ高度化を遂げつつある.昨今の工業的事故について感じるのは,ヒューマンエラーとされる単純なミスとともに「機器と機器」や「技術とシステム」を結び付ける「繋ぎ」部での見落としが目立つ.そこで,エンジニアの互いの守備範囲を広げる(わずかだけでも)「繋ぎの工学」,「融合工学」がますます大事になってきていることを若きエンジニアに認識させる必要がある.この意識を持つ(体験させる)ことで幅広い「工学的センス」が得られる.
 人類と地球を守る学問が「工学」である.今こそ,大所からの工業教育・技術教育が求められ,そのような意識を持った教育者・機械エンジニアを養成することが必要である.

3. 若者の「物理離れ」と我が国の技術立国としての将来は

 大学受験生の大半が受けるセンター試験の試験監督をして思うことだが,理科の科目において,機械工学必修の基礎科目である「物理」の受験者が,年々,減ってきたように感じている.実際に入試センターからのデータを見ると,全受験生約50万人のうち「化学」や「生物」の受験生はいずれも約40%台にあるのに対し,「物理」の受験生は25%と極めて少ない.我が国で「若者の理系離れ」が叫ばれて久しいが,それは「物理離れ」であることに注視する必要がある.物理系学科として,理学部物理のほか工学部の電気系・土木系・機械系があることからすれば,化学系に比べ,母数となる杯が余りにも小さいといえる.具体的数値をはじいてみると,日本機械学会においては,毎年,機械系学科の学部卒業生に「畠山賞」を贈呈しているが,その大学・学科が約210学科あり,その学科の入学定員をWebから調べると約1.7万人となる.センター試験で「物理」科目を受けた約12.5万人から機械系を志望している受験生が12.5万人/3.2=3.9万人(機械系が物理系学科に占める割合が1/3.2とする),すなわち3.9万人/1.7万人=2.29の倍率(場合によっては,物理を受験しないまま)で入学させていることになる.大手機械メーカーの採用の方の言葉を借りれば,「将来,会社を引っ張る1人のリーダーを養成するには5人の採用が必要,すなわち5人のうち1人がリーダーに育つ」とのことである.機械エンジニアこそが「地球の未来」を救い,「人類文明の持続的発展」に答えを出し得るものと考える私にとって,若者の機械系への志望者倍率2.29倍は余りにも心もとない数であり,我が国がはたして技術立国として成立し得るのであろうかと疑問を持たざるを得ない.早目に方向転換して「観光立国」,「農業立国」への道を進んでは・・・.
 私共の大学工学部も出前講義として積極的に高校や小中学校に出向いているが,「物理離れ」に一向に改善の兆しが現れないのは誠に残念である.大学の工学系が高校や中学校と連携を持ち,若年層から教育する新たな学校制度や仕組みが望まれる.

4. むすび

 随筆を書く場を与えて頂いたこの機会に,日頃,思うところを文脈なく述べた.日本機械学会の理事を務めさせて頂き,有信睦弘第87期会長の就任のご挨拶時に掲げられた「(1)製造業の地盤沈下対策としてのMOTとイノベーション」,「(2)教育の国際競争と技術者資格への取り組み強化」,「(3)学生の工学系離れ対応」,「(4)会員相互の有益な活動の場の提供」の4項目について,理事・職員をはじめ皆様熱心に議論・検討しておられる姿勢に敬意を表したい.私共が抱える大問題を深い思慮もなく記しましたが,読者諸氏の意識に少しでも留まれば幸いである.


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