LastUpdate 2009.5.11

J S M E 談 話 室

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JSME談話室「き・か・い」は、気軽な話題を集めて提供するコラム欄です。
本会理事が交代で一年間を通して執筆します。

No.75 「ゆとりと思いやり」

日本機械学会第87期会長
有信睦弘((株)東芝 顧問)


 昨年の6月末に会社の業務執行の責任から解放され、しばし時間の余裕ができたのを利用して出張ではない旅行を楽しんだ。11月に沖縄に行ったときに、進められて満座ビーチに出かけた。季節はずれだったが好天で、浜辺にはカップルが日光浴をしていた。ビーチにあったレストランでビールとビーフサンドの昼食を取り、勘定のときに着替えを何処ですれば良いか聞いたところ、浜辺は有料とのこと。それでもすぐに事務所に電話してくれて、季節はずれなので今は無料との返事とタオルまで貸してくれた。水は流石に冷たく、泳ぐのは諦めて日光浴を楽しんだ後、シャワーを浴びたらこれが止まらない。着替えた後、隣の売店の従業員にその旨を伝えると丁寧に御礼を言われた。
 一人での貧乏旅行故、那覇のバスターミナルから乗り合いバスで往復したが、これが髄便と時間がかかった。乗客はバスが完全に止まってから立ち上がり、必要な人は両替をして降りる。全員が降りきった後で乗車が始まる。乗り合いバスの利用者はお年寄りが多く、乗降は実にゆったりしているが、若者は決していらついたそぶりを見せないし急かせることもない。時間がかかる最大の要因だった。これが本来であり、バスが止まる前に立ち上がり事前に両替を済ませ、せかせかと乗降する都会のバスが異常なのだと言うことに思い至る。何のためにか先を急ぐあまり、思いやるゆとりを失ってしまっている都会の人々。
 所謂ゆとり教育が世間の批判を浴び、教育内容の改定が行われることになった。個人的には、頭脳に吸収力があるときにできるだけ多くの知識を詰め込めば、それが時間をかけて熟成され、個人の教養につながっていくと考えている。ゆとり教育の主旨は、定型的な教育内容を減らす代わりに、多様な個々人の才能を伸ばすことにより多くの時間を割けるようにすることだったと思う。しかし多様な才能を自ら知るには様々な知識が必要である。これが教育内容の削減と教えることの簡便化に重点が置かれてしまった、別の言葉で言えば教育内容の削減と効率化による教師の負荷の軽減に流れてしまったと言えないだろうか。ゆとりであるべき時間は子供たちの多様な才能を伸ばすのではなく、受験に最適化された知識とその使い方の習得に向けられてしまった。
 明治維新以後、或いは戦後に限定しても、私たちは常に先を負い続け、また後から追いかけられ、ひたすら走り続けてきたように思う。LSI事業に見られるように、ロードマップを先行した者が利益を得られ、製造工程を合理化・効率化することによってしか利益は継続しない。ロードマップや先行者がある内は良いが、それらが無くなりつつある今、私たちを導くのは豊かな想像力だろう。自分と異なる人々への思いやりがなければ、その人々にとって価値あるものを提供することはできない。年齢、性差、人種、等々、私達を隔てる壁は多い。この差を越えた思いやりは、研究の領域を超えた理解にもつながる。一つの領域を究めることは他の領域への想像力につながる。沖縄の人々の思いやりは心のゆとりに起因し、心のゆとりは日々の生活への深い理解に根ざしている。


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