LastUpdate 2007.9.14

J S M E 談 話 室

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JSME談話室「き・か・い」は、気軽な話題を集めて提供するコラム欄です。
本会理事が交代で一年間を通して執筆します。

No.60 「随想 企業と大学,職場を比べてみると―― 若者の進路えらび ――」

日本機械学会第85期企画理事
佐藤一雄(名古屋大学 教授)


 いま,お盆の暑さの盛りにこの原稿に向かっている.夏休みになり,大学院生諸君は将来の職業生活を考えながら生活していることと思う.また,就職した諸君は,どんな想いで職業生活をスタートしているのだろうか.企業に就職して,学会から縁遠くなってはいないだろうか.すくなくともこの随想の読者は,今,学会とつながっているわけだが.
 企業に就職すべきか大学に残るべきか学生から助言を求められたり,また,企業に就職後のキャリアの積み方を卒業生から問われたりすることが少なくない.たぶん,小生の経歴が,学部卒業後24年間を電機メーカーの研究所,あとの14年を大学で働いてきたのがその理由だろう.最近は,学生諸君とのんびり話をする時間が無いので,随想執筆の機会を利用して,大学と企業の職場としての違いを対比して若い諸君に伝えたい.年配の読者には,隣の芝生の話として読み流していただければ有難い.

 大学という職場の長所は研究テーマ選択の自由の一言に尽きる.研究テーマを選ぶことは研究者個人に100%委ねられるから,まさに自由そのものである.誰に言い訳を言わなくても良い.これは企業ではどんなに高い職位でも得られない自由だ.自分自身,企業から大学に職を移してはじめて実感したのがこの爽快感であった.着任早々,がらんとした机一つの自室でガラス越しにぼんやり青空を見てそう思った.自分の好きな分野で自分の足跡を残せる快感は何にも代えがたい.しかし,逆に危険でもある.十分な事前評価,他者の批判なしに思いだけで研究をスタートして,とんでもない方向に歩き出す恐れがある.だらだら続く研究テーマを厳しく評価される機会が無い.これを防ぐには,企業の人たちからのフィードバックが大いに役立つ.学会等での企業の専門家との接点を大事にしたいものだ.まあ,途中で間違いに気がつけば,だまってやり直しが利くのが大学の良いところでもある.
 しかし,同時に,若い研究者は業績を着実に積むことを忘れてはいけない.きちっとした論文を学術誌にできるだけ多く載せたことが業績になる.「業績リスト」つまり,論文リストが常に個人の業績の積分値を示すものとしてついて回る.これがなければ研究費を獲得することもままならない.大学人を評価する尺度は限られているから,これに外れるとどうしようもない.頭が切れること以上に,問題発見能力,発表能力,そして,一人で孤独に仕事ができる自立力が必要だ.さらに教授になってグループを仕切るには,研究室の経営能力が必要だ.自営業の社長と同様に,外から仕事を取ってくる,また,2-3人程の限られた雇用枠に能力ある人を雇い,育て,外へ出してやるという力量が問われる.一日12時間労働はあたりまえで,長期休暇もとれず,忙しさは同年代の企業人の平均をはるかに超えている.ただし,自営業の厳しさとはいっても倒産の危険が無いのが何より心強い.なかには教授の器量がなくて経営の体をなしていない研究室もあるが,それでも研究室はつぶれない.

 さて,もう一方の企業での職業生活はどうか.企業での個人の評価には様々な尺度が用意されているから,自分に都合の良い尺度がうまくみつかればそれなりに成功できる.研究能力,社会性,リーダーシップ,誠実さ,勤勉さ,など.5年も働けば自分が何に向いているのか,何が不得意なのか,おおよそ感じることができるだろう.しかし上司にも,あるいは本人にすら見えない長所もある.10数年ぶりに古巣の企業を訪問してみると,意外な人が,意外な職場で才能を発揮していることがある.もしも上司に恵まれなくても,企業では他の部署からも従業員の働きに目が行き届くから,得意分野で力を見せれば他の部署がほっておかない.上司だってどんどん異動してしまう.上司との組み合わせが続くのは永くて5年くらいだろう.自分が自立さえしていればどんな上司が上に来ても,いっこうに怖くない.まさに「天動説」だ.大学よりもはるかに開放的な人事システムである.これに対して,大学の人事システムは窮屈だ.研究室のリーダから能力を低く評価され,干されたら,これはかなり苦しい境遇だ.少なくとも学内で他に移る職場は無い.早く学外の新しい職場を探して異動するしかない.ほっておいたら10年あるいはそれ以上,同じ状況が続くことも珍しくない.
 企業では,若いうちは自分で汗をかかなくても,仕事に必要な資金がつき,チームができてしまう.大きなプロジェクトに入ったら,若者が裁量できる資金は大学より確実に多い.最近でこそ大学の若い研究者が大型の研究資金を獲得できる仕組みが整いつつあるが,それでも依然,企業での研究開発の場のほうが,力のある若者の活動を組織がサポートするめぐまれた環境を提供していると思う.
 しかし,若者は,これが自分の力で獲得した環境でないことを自覚しなければいけない.たまたま与えられた環境,与えられた資金と人員を使って働くわけだから,どこまで自分の思いと目標が一致しているのか,自分の力はどこに示せたのか,ときには冷静に自覚する必要がある.自分で考え,自分の判断で踏み出した事業・テーマなら,成功であれ失敗であれ,個人の能力が明らかに結果に反映されるが,多くの場合,企業内の研究・開発の成果は構成員の総合力の結果であって,個人の手柄ではない.個人はまず「全体に貢献した働き」によって評価され,「個人の完結性」の評価は副次的である.
 プロジェクトの成功のため,また自分の能力発揮のために情熱を注ぐのは当然だが,一方で,専門家の一人としての自分の力を知る冷静さを持つことが重要だ.これができれば,職場をスピンアウトするか否かの判断もおのずとできるだろう.また,海外に進出したり,大学へ転職したりして,カルチャーが変わってもやっていけるはずだ.学会等を通じて社外に専門家のネットワークを持っていれば,社内にいても自分の社会的ポジションが客観的にわかるだろう.仕事がうまくいっているとき,いないとき,いずれの場合も冷静に専門家としての自分を見つめることができるはずだ.これも学会に所属する効用ではないだろうか.・・・つい,日本機械学会会員増強の立場の発言になってしまった.閑話休題.

 給与の話を忘れていた.今のところ大学では業績を評価して給与に反映させる動きは無い.学部長,学長になればそれなりに上乗せされるようだが,これは経営責任がある職種だからである.それでも企業のトップに比べたら安いものだろう.そもそも一般の大学人は,研究テーマを誰に対してもお伺いを立てず,成果の約束もせず給料をいただくのだから,物を作り出す企業人より大学人の給料が安いと文句をいっては罰が当たる.大学人が収入の上で一点だけ企業人より優遇されるのは,知的所有権による利益の分配だ.特許の実施料収入に対して雇用主である大学の取り分が少ない分,発明者個人が優遇される.また,著作の印税も100%個人のものだ.しかし,特許や著作が世の中で当たる確率はきわめて低い.生涯収入を重視するなら若者は企業に就職すべきだ.

 いろいろな会合で,企業人,大学人が同席することがある.同い年でも,企業人は歳をとってみえ,大学人はなぜか若くみえる.この違いをどう説明するか?ひとつの解釈は,世間知らずの大学人の精神年齢のため,2番目の解釈は,若い学生と過ごす時間が長いのでその影響を受けて若返る,そして第3の解釈は,職場のストレスレベルの違いで,大学のほうが幸せな職場であるという説明.
 私は,やはり3番目の解釈をとります.なぜなら,同じように実年齢より若く見える職業のひとつの政治家は,世間の諸事にもまれ,年寄り集団にもまれても,なお若いのだから,理由の1,2は当たらない.だからシニアになったら断然,大学がいい.ただ,工学系のキャリアを積む覚悟なら,あとで大学に移るにしても,20代のうちに企業で社会的常識,つまり,「仕事のお作法」を身につけるのが悪くないと思います.
 さて,若者諸君,どの道を選びますか?

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