筆者は現在振動屋を自称しているが、大学時代に熱心に振動の勉強をしたわけではない。卒論では岡崎卓郎先生のところで熱伝達を、修士では曽田範宗先生のところで空気軸受の研究をした。ただし空気軸受の試験装置ではエアハンマーという自励振動が良く起こり、振動はいやなものだという意識しかなかった。研究室はトライボロジを専門にしていたので門前の小僧でこの方面の知識のほうが多かったと思う。
昭和43年に石川島播磨重工業(株)に入社し研究所に配属になったが、特に何をやるとも無く一年ぐらいが過ぎた。このころ会社が染谷常雄先生と共同研究をすることになり、どうも非接触の変位計を扱ったことのあるのは私だけという理由で、担当者になったらしい。その頃染谷先生はドイツから帰国したばかりで、ターボチャージャーを作っていた当社と一緒に高速回転試験を行うことになったようである。この共同研究の始まりのところは自分とは無関係なところで決まったが、その後染谷先生には非常に多くのお世話をかけた。このとき作った試験装置では20万rpmという高速回転を達成したが、後から考えると試験装置の設計は決して誉められたものではなく、最もやってはいけないものになっていたことが後になって判明した。
当時は高度成長のさなかで回転機械がどんどん大型化、高速化されていた時である。したがって振動問題が多発した。設計部隊からの要求を果たすことができない毎日であり、特に私のためという訳ではないが、悩み多き日々であった。そのころ京都大学の森美郎先生が主催する気体軸受研究会と東工大の谷口修先生の主催する高速回転体の振動問題研究会とが同時に行われており、幸いにも両方に出席することができた。両者ともいわゆるロータダイナミクスを扱っていたが、前者では剛体軸を、後者では単純支持のロータを想定していたように思われる。同じことをやっているのにまるで別のことを議論しているように思われた。両者はどう結びつくのかと、今ではばかばかしいことを考えることが筆者の振動屋としての出発点であった。
満足な知識がない状態で振動屋の修行を始めた訳であるが、知識のないことが支障になったという思いはあまりない。むしろ先入観なしに現実に向き合うことになったことは、苦労は多かったものの、本人にとっては恵まれていたと考えている。例えば筆者がはじめて現地で回転軸のフィールドバランシングを行う羽目になったとき、知っていることは不つりあい振動は不つりあいを修正すれば直るということだけであった。今のように良い計器があるわけではなく、先輩の指導があるわけでもなく、振動計一つでとにかくやってこいであった。どういうやり方で対処するか悩んだが、素人がやるのであるから時間のかかるのはやむをえない。とにかく確実に修正できることに徹しようと考え、まず同じ重りを周方向に次々につけて振動を測り、最も振動の小さくなるところを探し出し、この位置で重りを変えて修正量を見出すことにした。こんな手間のかかる方法は現在では嫌われるが、ためし重りを付けるとアンバランス量そのものが変わってしまうような変形の出やすいロータでは今でもこの方法が最良だと考えている。
その後だんだんとロータダイナミクスの問題点も明確になり、それにつれて研究論文も書けるようになった。また研究と同時に現場でのいろいろな問題を解決することも重要な任務であった。国枝正春先生の言うところの病理学者と町医者の両方をこなすことが仕事であった。このような現場密着型の技術者生活を送ってきたので、自分に分かることと分からないことを常に明確にし、分からないことに関しては教えてくれる人を確保しておくことに努力した。
学会の講演会と同好会、研究会とアフター5の両方に出来るだけ出席し、参加者と議論をし、知り合いを増やし、自らを鼓舞し、研究と共に振動対策に奔走することが出来たのは学会に所属したお陰と感謝している。自分なりのネットワークがいつの間にか出来、いわゆるスモールワールドが完成し、どんな問題にも迅速に対処できる仕組みが出来た。これが学会に所属することの最大の良さなのでしょう。
昨今日本機械学会は企業の40歳以下の技術者の会員減で悩んでいますが、仲間を作るためには自ら人に働きかける必要があります。まずは周りの人と共に学会に加わってください。講演会と研究会に出来るだけ参加し、アフター5も楽しんでください。ホモサピエンスとは賢い人という意味だそうですが、人は一人では生きていけません。よい仲間を作るうえで学会に勝るものはありません。ライバルを見つけ、負けないように頑張ることで自分の人生が充実します。困ったときには仲間以外に助けてくれる人はいません。
会員になるのはそこがSOCIETYだからだと考えます。
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