最近出くわした仕事の一場面にまつわる雑談を一つ書いて埋草としたい。
仕事柄、二つの中から、または複数の中から一つの事を決めなければならない場面に遭遇することが多い。民主主義の原則で言えば多数決で物事を決めるのが
必然であるが、組織運営の立場から言うとそうはいかない。時として全ての事柄を多数決にすべきだなどという、組織と社会を混同した発想をする人がいると、
「会社の運営は民主主義ではない」と言わざるを得ない羽目に陥る。とは言っても、独善的に物事を決める積もりは無いので議論は欠かせないが、果てし無く議
論が対立した末に、結局責任者が強行に決断することになるのは良い方で、意見も出ず、何を手掛かりに決断すべきか困ることすらある。多くの場合には賛成と
反対意見を参考にして、まず筋を通す事と、最大成果と最大効率につながると思われる案を採用する事になる。GMの社長であったスローンは、正しい決定には
適切な意見の不一致が必要だとして、反対意見が出ない会議では、決定をしない事を旨としていたそうだ。スローンの例は慧眼で、適切な意見の不一致が有れば
こそ、案件に関するメリット、デメリットなどの吟味がなされたことになって安心して決定を下すことができる。
議論の内容が研究開発の方向を決めるような場合には話が複雑で、賛成意見が多い案を選択することが正しいとは言い切れない。例えば新たな研究に着手する
場合、特許調査などのサーベイランスの段階で多くのコンペティターがいることは賛同者が多いことに等しいが、最近のようにオンリーワンや差別化が求められ
る時代になると、研究開発を新たに開始するのは返ってためらうことになる。追いつけ追い越せの時代には、参入者が多い研究が好んで選択された事を思うと隔
世の感がある。研究開発の分野では、賛同者が多い研究テーマでは大した成果が得られないことは常識に近い。賛同者の多いテーマよりも、皆が反対するテーマ
こそやらせてみるべきだとする意見は意外に多い。実際に過去の例を見ても、かつては注目されなかった研究から、大きな花が咲いた例は挙げ始めたらきりが無
い。
こうなって来ると、何を頼りに意思決定をするかは益々混沌とした話になって来る。研究開発の分野で、「セレンディピティー(Serendipity)」
という言葉がまことしやかな価値を持ってくる所以である。この用語を知る以前から、筆者もつたない自分の経験から、研究者にとって重要な能力の一つは
「感」であると思っていた。感と言っても、「深い知識と経験に基づいた鋭い感」と言う表現を私なりにしていたのだが、これが「セレンディピティー」に通じ
るものだと納得した覚えがある。「セレンディピティー」という概念自体は、全ての分野に当てはまることで、本来着想の類を意味する言葉だから意思決定とは
異質のものだが、研究開発の方向を決める場合には非常に重要な要素だと言える。特に、少数意見を採用する場合の重要な根拠になっていることが多いのだが、
決定の根拠が「自分の感です」と言われてしまうと、折角行った議論が何だったのかと思えて気力が萎えてしまう。実際には「セレンディピティー」に基づいて
意思決定が成される例は少ないし、それを発揮できる人も多くはない。大抵の場合には、多数の凡人による賛否の議論を通じて「深い知識と経験」に相当する
ケーススタディーを共同作業で実行しているというのが実情なのかもしれない。げに難しきかな、意思決定。
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