平成18年度から始まる第3期科学技術基本計画の標語は,「もの」から「ひと」への転換である.科学技術の担い手の基本は,豊かな発想や柔軟な思考ができる若手の人材を如何に育てるかである.科学技術基本計画の人材養成総合戦略における優れた研究者の確保に関しては,若手の活躍促進と公正・透明な人事システムの構築(スタ−トアップ資金の確保,テニュア・トラック制の導入,1回異動の原則)そして社会ニ−ズに対応した人材育成に関しては,大学院の強化と産学連携による人材養成(長期インタ−ンシップ,大学院の教育研究機能の強化,博士課程在学者への経済的支援の充実)を掲げている.特に,若手の研究開発者には,極力異分野での経験を多く積むことと1回以上の職場異動を奨励すべきである.この裏付けとして,科学技術政策研究所が著名学術誌の被引用度で世界のトップ10%に入るトップリサチャ−の多くは,外国での研究職に就いた経験があると報告している.因みに,このトップリサ−チャ−の半数は,39歳以下の若手に属する研究者である.
筆者の職場異動を通じた研究歴の紹介で恐縮であるが以下に述べさせて戴く.筆者は,出身が北海道ということもあり,凍結を含む低温環境で発生する現象を利用した研究をライフワークの一つとしている.小さい頃から雪や氷そして低温環境現象を身近に体験してきた経緯もあり,大学院生時代から世界に低温研究拠点としての北大低温科学研究所の様々な科学的成果を工学の立場から利活用する方法の展開を考えてきた.
大学院終了後の最初の勤務先は,カナダデアンロッキー山脈の東側にあるアルバーター大学で,河川の凍結に関する基礎研究を行った.この地は北緯55度の酷寒の地で,冬期には−40℃もの厳しい気候下での生活を体験した.例えば,自動車の潤滑油固化防止にオイルパンに電気ヒーターの装備,河川橋掛け工事を河川凍結期間での施行,冬期野外歩行での低温空気吸引防止用マスクの着用や低温乾燥地での静電気除去器具の普及等様々な生活上の工夫がなされていた.
その後,寒冷地にある北見工業大学へ赴任して,低温環境を対象とした研究を開始した.例えば,水道管や消火栓の凍結防止,路盤の凍上防止,地下水熱や融雪剤を利用した道路融雪,日射利用融雪剤による畑やゴルフ場の融雪,透明や色つき氷の形成そして滑る氷の製造,河川からの水道取水口の氷塊閉塞防止,農水産物や産業機器の凍結防止など,約10年の在任期間に,凍害や低温障害の回避に関する研究に携わってきた.特に,寒冷地の生活で重要なものに水道管の凍結防止があり,その凍結機構の解明が思い出に残る研究の一つである.北欧の老主婦の諺(old wives tale)に"During a cold night the hot water pipes in a house are more likely to freeze than the cold water pipes" という逆説的な水道管の凍結に関するものある.水道管の凍結研究に取り組んでいる間,この逆説的な諺の実証を試み,様々な温度帯での水道管凍結実験を行い興味ある成果を得ることが出来た.すなわち,水は0℃では凍らず必ず過冷却の状態になり,この不安定な過冷却状態の水は,氷核物質を氷生成の起源として,樹枝状氷が過冷却水領域に瞬時に広がる.この樹枝状氷の水道管内に占める割合は過冷却度により変わるもので,樹枝状氷が10%程度管内を占める場合でも管内水を流動させるのに5気圧以上の水圧が必要となり,普通水道管の氷閉塞となる.このような状態の水道管にお湯を掛けることで,樹枝状氷は融解して水道の復旧となる.そのまま低温下に水道管を放置すると管内壁から円環状の氷層が形成されて少量のお湯では融解できずに,水道管をヒ−タ−として高電圧の電気を流して,氷層の融解を行う羽目になる.北海道では,この水道管凍結の普及工事に毎年1億円以上も費やしているとの報告もある.さて,先述の諺であるが,水道水の温度が上がると水中にある氷核物質は,水道管底部へ沈降し,低温状態で水中に氷核物質が分散している場合よりもその氷形成頻度が低下し,大きな過冷却度を生じ易くなる.その結果的に多量の樹枝状氷の生成となり,氷による水道管閉塞が深刻な状況になることを現象論的に解明することが出来た.
平成元年に岡山大学へ赴任してから,低温関連の研究に対する方向性が凍害・低温障害の回避に関するものから低温環境を利用した研究へと一変した.当時は電力負荷平準化の方策として,深夜電力利用氷蓄熱に関する研究開発が活発化し,私共の研究室へ多くの企業関係の方を受け,様々な状態の氷を如何に効率的に作るかの相談に応じた.その中で,水の過冷却現象を利用して製氷する方法があり,この場合には,冷却管内で氷を生成させずに過冷却度を大きな低温水を如何に安定的に生成出来るかが研究の焦点となり,北海道での水道管の凍結防止とは逆の観点からの研究を行う羽目になった.さらに,含水物質としての生体や食品などの過冷却現象の活用は,非凍結状態すなわち氷の形成を伴わない状態での生体や食品の低温保存などへの新たな道を開くもので,その機構解明は学術的にも興味のあるものである.最近においても,冷蔵庫内で過冷却状態を維持したジュ−スなどをグラスに注ぐと,その振動などの刺激で過冷却状態を解放し,シャ−ベット状の飲み物が出来るなど新たな商品開発が可能となった.
岡山大学に赴任後,低温関連の研究施設の設置を要求することになったが,低温の研究は寒冷地で行うのが当然であるとの一般認識があり,苦労した経緯がある."暖かい地域では,冷たい需要が多く,寒い地域では暖かい需要が多い"ので,岡山では,低温関連の研究を行う必然性があるとの説明により,大規模な低温関連施設を地域共同センタ−内に設置して戴き,氷蓄熱を始めとする低温現象の利活用を目指した基礎研究情報の発信源となることが出来た.凍結を含む低温現象を利用した事例や発想は様々なものがあるが,多くは代々経験的に行っているものが中心である.その本質的な低温現象や機構を理論的に解明することが,この分野の展開に欠くことができないことと考え,岡山という温暖の地にある研究室で低温現象の解明を主とした研究開発を継続している.
新たな研究開発の展開には,異分野の研究開発者の交流はもとより,地域的な研究者のドラステックな異動も欠くことの出来ない要因と考えられる.
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