明治44(1991)年に東京高等工業学校の機械科を卒業された仁木源吉さんの受講ノート10巻程が東京工業大学の百年記念館に収蔵されている.仁木さんは百歳になるまでご存命で明治,大正,昭和,平成と4つ時代を生きられた方である.そのノートは,いずれも200頁から500頁もあり教科書のように実に見事なものである.当時の講義内容がどのようなものであったかを知る貴重な資料である.その一巻に「Strength
of Materials」があるが,13冊の英文の参考書が示された後に,「材料強弱論トハ何ゾ」から始まり,そして「Stress
and Strain」の説明へと続く,現在における材料力学の講義内容と同等,もしくはより詳細な内容が記述されており,講義中にこれだけの内容のものがノートできたのか感心する.仁木さんの残された口述によると,「講義には教科書のようなものは無かった.何でも筆記だったので大変だった.早口の先生には困ったが,先生の方も皆の手元を見てときどき待ってくれたけれど,聞きもらさないように夢中だった.」とあり,当時の学生が気持ちを張りつめて講義を受けていた様子が目に浮かぶようである.
これらのノートを見ているとどのような教育方法が良いのかについて考えたくなるが,ここでは,少し別のことに触れたい.現在では,Stressは応力,Strainはひずみが日本語の専門用語として定着しているが,仁木さんのノートには,それぞれ内力と歪が訳語として付記されている.Stressの訳語として応力を当てられたのは小野鑑正先生であるとされており,大正11(1922)年に出版された「材料力学」の序言の中で,「例ヘバ英語ノStress及びStrainニ相当スル適当ナ言葉ガナイ丈ケデモ誠ニ不便ヲ感ジマシタ」と記されている.応力という用語は物体が外力に応答して生じるものであることを端的に表しており,その概念を良く捉えた名訳中の名訳であり,我々は日本語として応力という用語を持ったために,材料力学の概念をより深く理解することが出来るようになったとさえ思える.一方で,小野先生の「材料力学」においては,Strainには伸びまたは辷りを当てており,その11年前の仁木さんノートの方には,現在の用語である歪が使われているのは興味深い.ひずみの概念の方が実は難しいことによるのかも知れない.
現在は,新しい用語については日本語に訳さずにそのままカタカナを当てることが多くなっている.その方が効率的かも知れないが,より深く概念を咀嚼するためには,母国語への訳を考えることが大切な作業のように思える.また,日本語化することによって概念に新たな広がりや発展をもたらすこともあるのではなかろうか.我々の機械工学はMechanical
Engineeringに対応する日本語ではあるが,本当に中身は一緒であろうか.少し違っているようにも思える.皆さんはどのように考えますか.
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