大学の使命として「教育」と「研究」であることはいうまでもないが、これま
で教員の採用や昇給などにおいては、教育に対する貢献が評価されたためしはほとんどない。法人化後の大学においては、競争的資金、外部資金の獲得が各大学
の重要な目標となり、資金を多くもってくる教授は何をしてもいいという風潮は否めず、極端な場合には講義がなおざりでも非難されることは少ない。これらこ
とは、教育に対する貢献の指標がないことにも一因となっている。しかし、この状況はJABEEの導入等が一つの契機となって変わりつつある。JABEEで
は教員の教育に関する貢献度の評価が必須であり、教員の自己評価、教員間の相互のFD、学生の評価などを基にした教員の評価も定着しつつある。筆者は、
20年以上前にアメリカの大学で教える機会があったが、当時ですでにaccreditation
committeeの委員の来訪に備えていろいろな代表的な答案の準備などしていた。学生による教育授業評価の一般的に行われていて、それが給料や昇進に
反映すると聞いて驚いた記憶がある。学生の授業アンケートはいつも有効とは限らないが、今でも、「先生が授業中に黒板の方ばかりみて学生の方をあまりみな
い」と書かれているのをみて、はっとしたことは忘れられない。
最近、講義でいつも頭を悩ませることの一つは、どのようにして学生にやる気を起こさせるかということである。最初から興味を持っている学生は問題ないの
だが、「寝ている学生をどのように起こすか」というのは難しい問題である。やる気さえ持ってくれれば、講義のかなりの部分が成功したといえるのではないだ
ろうか。
講義の内容にもよるがもっともシンプルな方法は、「ここは試験にでる可能性があります。この演習問題はこのような手順で解きます。必ず自分で解いてみて
ください。」である。しかし、これではあまりにも工夫がないし、また、これで起きる学生は、問題を少し変えると回答出来ない。よって身に付かない。「寝て
いる学生を起こす」ためには、その学生に質問をして、寝る学生は当てるという雰囲気を作ればいいかもしれない。確かに効果はあるが、しかしそれでは、積極
的に自分からやろうという気持ちにはならない。
すべての大学の機械系で講義されている材料力学を例にとると、数少ない仮定と数学法則を基に、実際の複雑な問題を分解し、解析しそれらを再構築して解答
が導かれる。ここには、学問としての一種の美しさがり、論理性が貫かれていて感動する。このため、優秀な学生は、材料力学にのめり込み問題を解くばかりで
なく、自分でも問題を作ることがある。このようなやる気と能力のある学生には教師の役割はあまりなく、勉強するきっかけを与えればそれでいい。しかし、こ
のごろ、このような学生はほとんどお目にかからない。大学院生でも、自分から積極的に活動しようとはしない学生が多くなった。いわゆる指示待ち学生が多く
なり、いわれたことだけしかやらない。
それではどうすればいいのか。学生がもっとも直接的に関心があるのは「自分に関係したこと」であるので、まずは関心の話題は自分に身近なもの、目に触れ
るもの、そして自分の知っているものとなる。この意味で、「JSME談話室」No.26で山口先生が、塑性加工学の講義では関連する材料や製品のサンプル
を持参してそれを基に講義をされることを述べておられるのは、動機付けですばらしいことでありそうありたいと思う。しかし,なかなか教材の準備の時間が十
分にとれないことが多い。実際のものを示して考えさせる。あるいは学生に簡単な実験をさせる、小テストをする、学生に課題を与えることも効果がある。とに
かく学生に主体的を持たせることである。しかし、これも50人以上の大人数講義となると双方向性講義は難しい。
材料強度学や破壊力学の講義はかなりやりやすい。世界の3大破壊事故の話をすれば必ず学生の目つきが異なってくる。520名が犠牲になった日航ジャンボ
ジェット機の事故の破壊解析等、大きな社会問題となり、学生の関心も大きい。新聞のニュースにでている科学技術の話題もいい。宇宙航空研究開発機構による
1月24日のH2Aロケット8号機の成功の直後の講義において、H2ロケット8号機の金属疲労による打ち上げ失敗の話をすれば興味を持つ。新聞記事に出来
るだけ目を通して、関連する記事を見つけ、その解説を講義でするのも、大学での講義で学んでいることが社会と結びついているので意欲をおこさせるものであ
る。これに加えて、Griffth、Orowan、Irwinがどのようにして破壊力学を作り上げてきたか。なぜ,Griffthは1920年の著名な論
文一つでその後破壊の論文がないのか。Parisの疲労き裂進展の最初の論文が、世界の3つのメジャーが学術誌で「掲載否」になり、しかたなく査読のない
George Washington大学の紀要に掲載された。しかし,現在の航空機の安全性はParis
の法則をなくしては達成されないことなど、学問の発展に貢献してきた人の話も、人間的でなまなましく、学生は興味を持つ。
結局、講義をするときに大切なものは人間ではないだろうかと、最近思っている。学生自らが科学や技術の中に潜むすばらしさや美しさを理解するのが理想で
あろうが、それは学問の初心者には難しい面がある。教師の方から、何がすばらしいか、どこが美しいか、どこに感動するかについて、そして、どうしてすばら
しいか、なぜ美しいと思うか、なぜ感動したかについて自分の体験を話すことである。このためには、教師自身が活発に活動し、研究し、創造し、感動してなけ
れば、生きた講義は出来ないことになる。この意味でいい教師は、いい研究者でなければならない。もっとも、いい研究者が必ずしもいい教師ではないが。
20年以上も講義を行っているが、いまだにいい講義をすることはなかなか難しい。聞いている学生も楽しいし、やっている教師も楽しいといった講義をした
いものであるが、なかなか満足のいく場合は少ない。「一回の講義で重要なことは一つしか話さない。」というのを原則とすると楽しい講義になりやすい。材料
強度学では可能であるが、材料力学では教えるべき内容が多くあり、そうはいかないことがある。未だに、決定版が見つかっていない。あるいは正解がないのか
もしれないし、解は一つではないのかもしれない。
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