最近は徐々に進行している老化現象のためか、テニスをしたあと膝が痛むことが多くなってきている。ひどいときには、自宅の階段を痛くて普通に下りられず、蟹の横ばいのように手すりにつかまりそろそろとおりるほど痛むことが二三日続く。そのようになると、若いときには気が付かないことをいろいろ体験する。通勤途上もっともつらいのは階段などの段差や坂である。上りもきついが、下りは特につらい。普通に正面を向いて右左と足をおろしながら階段を下りるのは、ゆっくり力を入れて足を下ろしても膝に衝撃荷重がかかるので、一歩一歩かなり痛い。また、膝が痛くて踏ん張れないので、階段の下りはかなり怖い。したがって、階段は壁や手すりにつかまりながらゆっくり下りなければならない。一方、階段の上りは膝に衝撃荷重があまりかからないので、ゆっくりであればなんとかなる。
このような状態になると当然、駅でエスカレーターやエレベータを探すことになる。最近、各駅にエスカレーターやエレベーターが続々新設されているのは、きわめてありがたいことである。しかし、膝が痛くなってからわかったことであるが、上りのエスカレーターはあちらこちらにあるのに、下りのエスカレーターは非常に少ない。運良く、エレベーターが見つかればよいが、エレベーターも少なく、あったとしてもわかりにくい場所にある場合が多い。ある駅では、改札口が線路とホームを跨いだ跨線橋の上にあり、道路面から改札口のある高さまで、およびホームから改札口のある高さまで上りエスカレーターが3台も設置されているのに、下りが一台も無い。上りより下りがきついのにまいったという感じである。
このような経験をすると、足を痛めている人やお年寄りの階段での行動が目につくようになる。皆、上りより下りの方がおそるおそるであり、つらそうである。下りは手すりや壁につかまった蟹の横歩の人もいる。自分の膝が痛くなる前までは、お年寄りや体の不自由な人は、階段の上りがつらいだろうから、上りのエスカレーターが必要だと思っていた。実際、自分も疲れていると、階段を歩かずにエスカレーターのお世話になる。83才になる母に駅の階段での話をした。母は喜んで、「そうなんだ、なんで下りのエスカレーターやエレベーターがほとんど無いんだろう、健康な人にはわからないだろうね」と言った。
私たちは、相手の立場、相手の気持ちになって物事を考えなさいと教わり、できるだけそのようにしようとしている。また、技術開発や製品開発においても客の身になって考えなさい、顧客満足を第一に考えることが企業の経営にとって重要な事柄だと教わっている。しかし、所詮、相手は自分ではないので、自分の経験から相手の立場や気持ちを推し量ることになる。経験しないことは非常にわかりづらいのである。駅の階段の上りエスカレーターの設置を検討した人も健康な自分の気持ちから弱者の気持ちを推し量ったのであろう。難しいものである。
企業経営において、顧客はこう考えるだろうと思い、また真の顧客満足は何かと調査し推測し経営戦略をたてるが、所詮、相手は自分ではない。時間の経過とともに周囲条件も変わり顧客満足も変化するであろう。読み違えがあるものと最初から思って、その時の対策を立てておいた方が安全であろう。完璧な戦略を立てるより、戦略を立てた後の思考の柔軟性が重要な場合が多いように思われる。
さて、こんなことを考えているうちに数日たち、湿布を貼った膝の痛みもほとんど無くなってきた。今の自分は、上りのエスカレータを時間短縮のため駆け上がっている。上りのエスカレーターは便利だなと思う。思考回路も健康人のそれになり、膝が痛いときの自分の気持ちになって考えるのも時間の経過とともに難しくなってきている。こんな自分に顧客満足を考えた技術開発や製品戦略ができるのであろうか。
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