地下鉄の駅を上がったとき,ふっと金木犀の甘い香りがすると「あー,秋がきたんだなー」と感じる.実りの秋ともいわれるように,食べ物もおいしいし,個人的には秋が四季の中で一番好きである.カリフォルニアに住んでいたとき,毎日青い空で天候も温暖でよかったが,秋がないのが不満だった.やはり,春,夏,秋そして冬と季節の移り変わりがないと,なんかピンとこないのである.
随分昔になるが,大学院生の時に小倉の祖母の家に遊びにいったことがあった.アメリカでの留学生活を終えて,帰国の報告を兼ねての久々の訪問だった.学生だったのでもともと身なりに構わない上に,アメリカのラフな服装がすっかり定着してしまっていたせいか,祖母は私のぼろぼろのジーンズ姿をみて,非常に驚いていた.祖母は洋服より和服を好み,いつもきちんと居住まいを正しており,また,華道と茶道の師範の資格をもっている,いわゆるとても日本的な女性である.一方,私たち一家は私が幼少時代にアメリカに住んでいたこともあり,しかも帰国後は東京で過ごしていたことから,祖母は日頃より私の日本文化に対する常識のなさを心配していた.私の身なりおよび素行を見て,祖母はさらなる不安を抱いたのか,着いたその翌日に,「ついては,東京に帰る前の日にごく親しい人を招いて秋のお茶会を開催する」と告げられた.
最初は,末席に座っていれば,いいやぐらいの気楽さでいた.しかし,その日から約5日間,これまた,お花とお茶の師範である叔母との2人による特訓が始まったのである.あやうく着物まで着せられるところだったが,私に合う着物がなく,着物は御免となったのがせめての救いだった.それでも,朝は早く起きて,今では誰も手入れをしないのですっかり野原と化しているが,その当時はバラ園と呼んでいた場所で,朝食用の野菜と生けるための花をとってきて,それから,午前中はお花,午後は離れのお茶室でお茶の訓練と一日中スパルタで鍛えられた.
正座に慣れていなかったため,これがなんといっても辛かった.最初の日は,しびれて立ち上がれず,畳の上にバランスを崩して転がってしまい,叔母におなかを抱えて笑われてしまった.お花については,お花をただ切って花瓶に放り込んでいたため,美しさとは程遠かった.お茶にいたっては,やっているうちに右に回すのか左に回すのかわからなくなり,えいっと一口で飲み干すやら,大きいアメリカのケーキになれていたせいか,お茶菓子をそのまま一口で食べてしまうなど,祖母が苦笑していたのを今で覚えている.あ〜あ,たかがお茶を飲むぐらいで,どうしてこんな仰々しくやらないといけないのかと思ったものだ.訓練の成果があってか,お茶会は無事に終了した.
あの当時は,プロトコールを覚えるので必死で,楽しむ余裕もなく,お花とお茶はこりごりと思った.しかし,お花とお茶の特訓を通して,日本人の季節感,そして日本文化と伝統において季節がいかに重要かとうことを学んだように思う.確かに留学していたボストンのあるニューイングランド地方にも四季がある.特に秋は大変美しく,紅葉の季節ともなると,あたり一面の木々の葉の色が変わり,それこそアメリカらしい「Spectacular
View」である.HalloweenやThanksgivingなどの秋らしい行事もあるが,日本のお茶会のように洋服や食べ物まで全てを秋のテーマに統一することはないように思う.だいいち,アメリカには衣替えの習慣がないので,四季のあるニューイングランド地方でも気温に合わせて着る物を変えるだけで,季節によって変えるという感覚はない.食べ物しかり,季節の野菜や果物,旬の魚といったことはあまり聞いたことがない.祖母は大変な花好きだったので,実際にバラ園で秋の七草,お花や野菜など,色々と見せてくれたりした.また,お茶の準備のときには着物から掛け軸,そしてお菓子など季節によってどの物を使うのかを教えてくれた.日本の伝統文化である華道や茶道はストイックで形を重んじているが,その形の原点は日本の自然の美しさ,四季に根付いているように思う.反対に日本に四季がなかったら,華道や茶道も生まれなかったのではないだろうか.
工業化により,世界的なグローバリゼーションが進んできた.そのため,国それぞれの持つ文化の違いや習慣の違いは以前と比較して,あまり感じられなくなったようである.しかし,各々の国が持つ文化は長い歴史を通して育まれてきたものであり,かけがえのない美しいもとだと思う.文化の違いによるナショナリズムと工業化によるグローバリゼーションは共存できるのかなと思うこともあるが,日本に四季の美しい変化がある限り,日本文化の根底に流れるものは変わらないように思うし,そうあって欲しい.
今年の秋は,久しぶりに紅葉でも見に行こうかな.
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